第一章『郷土史研究部』
清々しい朝。
というには少々熱気が多く、少なくとも快適だと感じる事はできない初夏の朝。俺はいつものようにリビングでパンを齧りながらニュースを見ていた。
「また殺人かよ。世の中狂ってんな」
毎朝報道されるニュースに自分なりの感想を言いながら朝食を食べるのが、俺の日課になっていた。
「京介。そろそろ行かないと――」
お袋が言い切る前に、来客を知らせる高音が響く。
「ほら。悠里ちゃん来ちゃったよ?」
そんな事いちいち言わなくても分かってる。とは口に出さず、俺はコップに半分くらい残っていた牛乳を飲み干した。毎朝律儀に迎えに来る幼なじみを初夏の日差しの下にいつまでも待たせる訳にはいかないと思ったからだ。
「んじゃお袋。行ってくる」
鞄を持ちながら、ローファーを履く。つま先をアスファルトに叩きつけ、かかとまでちゃんと入るうようにする。靴のかかとを踏むのが嫌いだからだ。
「いってらしゃい。帰りは遅くなる?」
「ああ。今日は部活があるからちょっと遅くなる。多分、夕飯までには帰れると思うけど――」
そこまで言いかけて、それは約束のできない事だと悟った。
「そう。じゃぁ、お夕飯冷める前に帰ってきなよ。今日はカレーだからね」
好物を夕飯だと宣告されると、早く帰らずにはいられない。我が母親ながら、息子の深層心理を読んだいい戦術だと感じる。
「分かった。絶対に早く帰ってくる」
そうとだけ告げて、玄関の扉を軽快に開け放った。
扉の向こうで待っていたのは、初夏とは思えないほどの鋭い日差しと、ショートカット綺麗に整えた幼なじみだった。
「よっ! 悠里。待ったか?」
「おはよう京ちゃん。ううん。全然待ってないよ」
浜松悠里の透き通るような白さを誇っていた細腕は、少しばかり赤くなっていた。ちゃんと日焼け止めは塗っているのだろうかと心配したが、おそらくちゃんと塗ってあるだろうと俺は思った。
悠里はその辺をしっかりとする女だからだ。
「そんじゃ、行きますか」
「うん!」
いつまでも自宅の前で無駄話をしていると、後でお袋に冷やかされるので、早々に彼らは学校に向かった。
悠里は控えめに、俺の横を歩いている。自分をあまり強調しない控えめな性格をしている悠里は、いつも彼の後ろをついてくるだけだった。高校二年生になって、やっと彼の横を歩けるようになったが、今でもどこかぎこちない。だが、それでも彼女にとっては大きな進歩だった。
「悠里。今日の部活、何するか知ってるか?」
いつも一緒の幼なじみ。そこから想像するのが容易なように、悠里は俺に部活動まで合わせてきた。それが去年の春。入学してすぐの話だ。
「ううん。なんでも加奈ちゃんがずっと温めてきた題材を調査するらしいよ」
つまり、屋外活動という事か。嫌な予感が的中した。どうやら帰りは遅くなりそうだ。一度深く溜め息をつくと、遅くなってもカレーがまだ残っている事を天に祈った。
「悠里。どうやら帰りが遅くなりそうだから、今日はどっかに泊まってくか」
まるで茹蛸のように真っ赤になっていく幼なじみ。このように悠里をからかうのは俺の悪い癖だった。自覚してる。でもやめられない。
「え、え、えぇぇ! 京ちゃんそれどういう意味?」
期待通りの反応をありがとよ。顔に出さず、心の中で腹を抱えて笑った。
「どうもこうもそのままの意味だよ」
「え、えぇ! 駄目だよ今日は。色々と心の準備が……」
すでにパンク寸前の悠里。
「何を勘違いしてんだ?」
「へ?」
まさにそれは素っ頓狂を具現化したかのような声だった。
「だから、遅くなるなら学校に泊まることになるかもな、って事」
かなり遠まわしに、かつ意地悪に。それが俺の悠里へのやり方だった。
「うぅぅぅ。京ちゃんの意地悪……」
すぐに自分がからかわれた事に気づいた悠里は、少し涙目になりながら「うぅ」と嘆いていた。
だが、俺は悪くないよな。かれこれ十年以上からかっているのに、それに耐性ができない悠里が悪い。
そう開き直る俺に対し、悠里は今にも泣きそうな顔をする。
「ごめん。ごめん」
と一言謝って、頭を撫でる。俺がこうして悠里の頭を撫でるのも、十年続いてきた習慣みたいなもので。
「うぅ。ずるいよ京ちゃんは……」
と、悠里が唸るのも十年間変わらない反応だった。そのセリフを聞いて、またいつも通りの日常が始まる。
そんな事を思った。
無言で教室に入ると、一度視線が集まる嫌な感覚がしたが、すぐにそれは消え、教室はいつも通りの騒がしさを取り戻した。俺は自分の席に向かい、後ろをついてくる悠里もまた、俺と同じ道を歩いた。机の上に鞄を乱暴に置き、それとは真逆のゆっくりとした動きで椅子を引き、席に一度着いた。
「なぁ悠里」
振り向かないまま、後ろの席に座ったであろう悠里に声をかけた。
「なにかな?」
と、声が後ろから聞こえてきた。顔は見えないものの、その声質からして、何を言われるのか分からず困惑しているようだ。
「いや、そんな大事じゃないんだが、どうやら昼飯を忘れたらしい。それも、お前のせいでだ」
席についた俺は、とりあえず鞄の中身を無造作に取り出した。その時、いつもは最初に出てくるはずの弁当が存在しない事が判明したのだ。朝は少し慌ただしかったせいか、俺は愚か、お袋ですらその存在を忘れていたようで、今頃リビングのテーブルの上で弁当箱は静かにお留守番中だ。いや、もしかしたらお袋が食べている可能性もあるかもしれない。その可能性の方が高いだろう。
「え、え? なんで? なんで悠里のせい?」
慌ててる慌ててる。顔は見てないが、今ごろ顔から煙がでるほど脳がショートしているに違いない。
「そりゃそうだろ。朝から幼なじみの呼び出しが激しいから、すぐに家を出たらこのありさまだ。その結果から、誰のせいだと悠里は推測するよ?」
いやぁ、俺って本当はすごく性格が悪いのかもな。まったくもって悠里に非はないのだが、あれやこれやで理由を付け、幼なじみをこうも困らせるとは……。
「え、うぅ、それって悠里が悪いの? 朝迎えに行くからこんなことになったの?」
あえて顔を見ない。これこそ俺が怒っていると悠里に勝手に錯覚させるための術なのだが、正直今すぐ振り向きたい! おそらく悠里は目頭に熱いものを溜め、真っ赤になった可愛らしい顔をしているに違いない。
「……自分の胸に聞いてみるといいさ」
よし、そろそろ詰みだ。ここで一気に悠里のせいじゃないと晴らし、安心感を与える。その時の悠里の顔を見る為に、俺はこんな意地悪をしているのだからな!
「また悠里をいじめてますの? いい加減になさったら?」
そんな時だった。俺の楽しみをたった二言で消し去った声が聞こえてきたのは。
「え? おんちゃんどういう事?」
そこで俺は初めて悠里の方、つまり後ろの席に振り返った。そこには予想通り今にも泣きそうな悠里と、その横で腕を組んで仁王立ちする女生徒が一人。
「どうもこうも、悠里? 京介君の言う事は信じちゃいけないっていつも言っているじゃありませんこと?」
「う、うん……。でもね、京ちゃん私のせいでお弁当忘れちゃったみたいで……」
「そんなのハッタリですわ。いくら悠里が迎えに行ったからといって、お弁当を忘れる事とは関係ありませんわ。というより、京介君の自業自得です」
「え? そうなの? 京ちゃん?」
クソ! あともうちょっとで俺の計画は完璧に遂行される予定だったのに!
「……騙される悠里が悪い」
「もう! バカバカバカ!」
頬を漫画のようにふくらませて肩を何度も叩いてくる悠里だが、こちらとしては痛くもかゆくもない。むしろ怒っている悠里も割と可愛い。これもなかなかありだな。
なんて思ったのもつかの間。俺は計画を破断に追い込んだ張本人を軽く睨んで口を開いた。
「おい音色。よくも俺のささやかな朝の至福を邪魔してくれたな!」
西園寺音色。俺たちの同じ学年に所属する女生徒で、超の付くお嬢様だ。俺もそうだったが、誰しもが抱く第一印象は『美少女』だろう。大きな瞳に綺麗に通った鼻立ち。枝毛の一本も見当たらない吸い込まれるような漆黒の長い髪。そして制服の上からでも彷彿とさせるモデルのようなスタイル。まさに美少女の鑑のような女子だ。
「何を言っていますの? 誰がどう見ても京介君が悪い状況じゃないですか。あんなに悠里が意地悪されてたら、私でなくても止めると思いますわ」
反論の余地もないごもっともな事を、いわゆるお嬢様口調で淡々と言ってくる。
「まぁそれに対しての反論はないよ」
屈服するのは性に合わないが、まぁ仕方がないだろう。学校一の変わり者と呼ばれる西園寺音色嬢とは、これ以上無駄な争いは避けたい。
「それなら、悠里に謝ってくださいまし」
間違ってはいないのだが、いちいち言う事が正統すぎて面白くない。
俺は一言悠里に頭を下げ、すぐに音色に向き直った。
「さてさて、我が部の副部長様が、一体俺たちに何の用かな?」
音色は、我が部の副部長を務めている。基本副部長という重要な役職は三年生がやるのが妥当なのだが、我が部の三年生は部長以外存在しない。そこで二年生である音色が任命されたのだ。
「用ってほどの事じゃありませんわ。昼休みに部室に集まるようにという部長命令を伝えに来ただけですことよ」
そういうのは普通部長がやるべき事なのだろうが、そこに音色を使ってくる部長は俺や瑞樹の性格を良く分かっていると思う。
「分かった。悠里も聞いたな?」
「うん。お弁当も持っていけばいいんだよね?」
「そうですわね。お昼休みは丸々部室で過ごすことになるでしょうから」
まぁ、昼飯は購買でも行って適当に買っていくか。
「では伝えましたからね?」
そう言って、お嬢様の気品溢れる優雅な歩き方をして、音色は廊下に消えていった。
「なんの話かな?」
「決まってんだろ? 今日の放課後活動についてだろうよ」
「やっぱりそうだよね。まさか学校抜け出して部活をするなんて、加奈ちゃん言わないよね?」
どうかな。あの部長様はたまに外れた行動をとるからな。
「どうだろうな。一応その覚悟はしとくべきだと思うな」
「う、うん……」
丁度その時、HRが始まる事を知らせるチャイムが、校内に鳴り響いた。耳に残るそれは、まるで外で泣きわめいている蝉たちの大合唱のように、いつまでも脳内に響き渡っていた。
「諸君! 緊急の収集に参じてくれて感謝する!」
昼休みになり、俺が部室に入ったと同時に、我が部の部長、三島加奈子は、まるで軍隊の教官のように声を張り上げた。
「今日集まってもらったのは他でもない。我が部の放課後の野外活動についての事である!」
黒縁眼鏡をかけ、茶色がかったポニーテールはいつも通りだ。だけど普段の部長はこんな喋り方ではない。今日はどこか気合いが入っていると言うか、いちいち発する言葉が固い。そういえば今日の研究は部長が前から温めていた題材だったけ。多分気合いの原因はこれか。
「いい? 今日はとうとう、なんと、まさか!」
引っ張りすぎだ。本題にさっさと入ってくれ。
「なによ京介? 文句あるの?」
どうやら考えていたことが顔に出てしまったみたいだ。
「いや。なんでもないっすよ」
面倒なので、特に反論することはない。俺はそんな事よりもさっき購買で勝ち取った焼きそばパンの事で頭がいっぱいだ。
「じゃ話を続けるわね。今日はこの町最大とも言われる伝説。有城村についての調査及び解明を行う事にしたわ」
ほう。
「有城村? いやぁ、部長もかなりクレイジーな課題を出してくれるぜ」
我が部唯一の後輩、大友瑞樹が初めて口を開いた。いつもながら綺麗にジェルか何かで固められた短髪は見事だが、やはり言動といいいい加減に見えるのは瑞樹のチャームポイントでもあり欠点でもある。
「そうですわね。まさかそんな根も葉もない噂話を調査なんて」
音色が続けて口を開く。我が郷土史研究部の部員は五人。少ないのは当たりまえだろう。郷土史に興味のある奴なんてそうはいないからな。どう考えたって変わった奴しか入部しないだろう。分かっている事だが、うちの部活は学校内でも変人しかいないさ。
「根も葉もない噂。いいじゃない! 私たち郷土史研究部は、そういった都市伝説や噂を研究、調査、解明をするのも目的としている部なんだから。むしろ今まで有城村伝説を調べなかったのが不思議なくらいよ」
不思議なのは活動目的と部長の異常なほどの好奇心だが、まぁそれは置いておこう。俺もこの部活に参加している時点で変人の一人に数えられているのだからな。
「……京ちゃん」
袖が引っ張られたと思ったら、そんな幽霊みたいな声が聞こえた。もちろん犯人は幽霊ではなく悠里と言う名前の生身の人間なのだが、一体なんだ?
「何か、嫌な予感がするよ……。今回はやめようって加奈ちゃんに言って?」
人一倍怖がりな癖に、こんな部活に入ったのには俺にも少し責任があるとは思ってる。
「自分で言え」
だが、入ってしまったからには覚悟を決めろ悠里。今までだって怪しい事を調べてきたけど結局何もなかったじゃないか。
「……うぅ」
小さな声で唸った後、袖が引っ張られている感覚は消えた。
「部長。有城村については今日から資料集めとかの予定ですか?」
俺は悠里が諦めたのを確認したあと、部室の窓際で腕を組む眼鏡っ子に声をかけた。部長は人使いが荒いから、資料集めで夜遅くになるなんて日常茶飯事だった。それを予想した朝の母への宣告だが、どうやら当たりのようだな。
「いいえ。大体の事はもう調べ済みよ。今日の放課後、有城村があったとされる場所に調査しに行こうと思ってるわ」
耳を疑った。あの部長が、一見温和で人当りが良さそうな眼鏡っ子だが、本当は真逆の悪魔である三島加奈子が。もう調査済みだと?
「どうやら、温めていたというのは、狂言ではないようですわね」
「そうっすね。流石の俺も目が点っすわ」
度胆を抜かれたのは、どうやら俺だけではないらしい。
「そうですか。それはそれは、部長もやる気が違いますね」
ようやく絞りだした言葉がこれだ。顔は引きつっているに違いない。
「あれ? あんた達、どうしたの? 顔色が悪いわよ?」
『いえ。なんでも……』
今日は雨が降る――いや、槍が降る。そんな予感がした。
「じゃぁ、放課後にはすぐに出発したいから、この昼休み中に、有城村についての説明をしておくわね」
部長の、私が全部調べておいたわ宣言から、何分が経過しただろう。すごく長い時間がたった気がする。だが、それは壁に掛かっている時計を見て、錯覚だと言う事に気づかされた。俺たちは、一通りの説明を受けるために部室の真ん中に置かれている机に座った。
「みんなも噂くらいは聞いた事があると思うけど、かつてこの町のはずれに、有城村という小さな村があったそうよ。元々漁業と農業が盛んだったこの町の農業部分の一角を、有城村が担っていた。ここまでが、郷土史に載っていた正式な歴史よ」
それは初めて聞いた。というか、興味がなかったと言った方が正しいのかもしれない。その後に続くであろう『あの噂』が有名すぎるために……。
「有城村ってホントにあったんっすね?」
瑞樹も噂は知っていても、その正式な部分とやらの話はまったく知らなかったようだ。むしろ知っている人間の方が少ないだろ。
「大友君。途中で口を挟むのはお止めください」
おちゃらけている瑞樹も、音色には頭が上がらない。それは周知の事実だが、今ほど音色がまともだと思った事はなかった。
「ありがと音色。じゃぁ、ここからは郷土史にも載っていない話をするわ」
また袖が引っ張られる。しかも今度は小刻みに振動していて、やられている方はあまり気分がよくない。
「怖いなら、耳でも塞いでろ」
俺はそう悠里に耳打ちした後、部長に顔を向けた。
「有城村は、今となっては地図にすら存在しない村ってのは、皆も知っているわね? でも確かに存在したの。それは正式な書籍に残っているんだから。では何故消えたか。有名よね」
部室の温度が何度か下がった気がした。霊や怪奇などはまったく信じない俺でさえ、悪寒が走るのを感じた。
「……村人が……死んじゃったんだよね?」
その原因を話したのは、部長ではなく、俺の横で顔を伏せて震えていた悠里だった。俺はもちろん、みんなも驚いたようで、一瞬時が止まったように静まりかえったが、すぐに部長は口を開いた。
「そうよ。しかも一夜で村人全員がね。ここからはすでに噂の領域だけど、大量殺人が行われただとか、有毒なガスが発生したとか。そこに関しては色々な説があるわね。でも、確かに言える事は、それを機に有城村は歴史から抹消されたって事。そして、今もその有城村がどこかに存在しているっていうのが、有城村伝説よ」
知っている事もあれば、知らない事もあった、結局その地図から消えた幻の村を探すってのが、今回の活動目的だ。とはいえ……。
「本当にあるんすかね? そんなクレイジーな村」
「もし本当にあるのだとしたら、もう見つかっていてもおかしくないですわよね?」
そう。いつも調べていた都市伝説や怪談とは規模が違う。普通そんな村が実在したのなら見つかっていてもおかしくないはずだ。
「みんなもおばあちゃんとかに聞いたことない? 有城村を見つけた人は神隠しにあうって話」
神隠し。
やけにその言葉がずっしりと俺にのしかかった。最近そういう話を聞いたからかは分からないが、昔俺もそんな話を聞いて怖くて夜寝れなかった。
「そりゃ聞いた事はありますぜ? でもそんなの迷信っすよね?」
「迷信かどうかは、今日の放課後分かるわ。とにかく放課後、部室に集合。必要な物を持って目的地に出発するわ」
一度決めた事は絶対に曲げない。俺が嫌いじゃない部長の性格だ。いかにも気が強そうでおかしなこと好きの部長って風貌の加奈子さんは、見たまんまで安心したのは遠い昔の話だ。初めて入部した日、いきなり都市伝説を調べに行くと言って、俺と悠里を外に連れ出していったのすら、今となっては良い思い出だ。もちろん、あの頃は変な部活に入ってしまって面倒だ、などと思っていたものの、そんな変な部活に引かれて入部したのは俺の責任であり、こうやって部長に振り回されるのも俺の自業自得である。
『了解』
俺たちは、揃ってはいるもののあまり乗り気ではない声でそう言った。
子守歌のような授業は瞬く間に過ぎ去り、とうとう運命の時間がやってきてしまった。
「みんな、集まってるわね!」
一人だけ異常に元気なのだが、他の連中は何をしにどこまで行くのかも知らされていい状態だ。百歩譲っても元気なんてなれない。
元々、都市伝説や怪談話などを研究、調査する部活なのだから、これからの学外行動は部活としてしっかりとしたものなのは言うまでもない。だが、俺に付いてきただけで入部した悠里や、まともな文化部だと勘違いして入部した音色とかは、いつも活動的ではない。俺や瑞樹は自らの意思で入ったのだから文句は言わないが、有城村伝説を調べるとなると、相当山の方まで行くことになる。あぁ憂鬱だ。
「部長! 俺はいつでもハイテンションでっせ!」
まぁ部長以外にもテンションが高いのは一人いるようだが、俺たちの学外活動なんてこんなもんだ。前なんて海底に沈む埋蔵金を探しに素潜りまでさせられた事もあったな。そう言った経験が多い俺たちの学外活動だ。何をさせられるか分からない状況でテンションなんて上がるはずがない。
「悠里。荷物持つか?」
これでもかと詰められている鞄を背負っている悠里に、俺は優しさを見せた。
「大丈夫。京ちゃんだって荷物重いでしょ?」
悠里だけではない。数々のパターンを想定して、俺たちは登山家が持っているような鞄に荷物を詰め込んで背負っている。そんなもんどこに置いてあったかって? 部室に決まっているでしょうが。
「ほら! きびきび歩く! 日が暮れたら調査できなくなるでしょ?」
先頭を歩く部長はまるで遠足のような足取りで前を進んでいく。その後に瑞樹、音色、俺と並んでいるが、この恰好で町中はあまり歩きたくない。制服に馬鹿でかい鞄。どこから見ても変な集団だ。
「なぁ音色」
俺は少し前を歩く音色に耳打ちした。
「なんですか?」
「お前本当に目的地知らないのか?」
何故音色に聞いたか。それはこいつがうちの副部長で、今までもこう言った下調べは部長と共にやっていたからだ。
「今回ばかりは私も本当に知りませんわ。有城村を調査するというのもお昼に初めて知りましたし」
「そうか。せめて大まかな場所だけでも知りたかったんだけどな」
大まかな場所さえ分かれば、お袋に一本連絡を入れて遅くなることを伝える必要があるからな。
「大まかな場所なら、大体の見当はついていましてよ?」
一度伏せた顔を、俺はもう一度上げた。
「有城村というのは、町はずれの山の中腹にあったとされているのは私でも知っていますから、おそらくそのあたりだと思いますわ」
音色の口から出たのは、思ったよりも簡単な予想だった。というか、それすら予想できなかった俺は情けない。
「確かにそうだな」
「そんな事も分からなかったの? 私はてっきり知っていて運動靴を履いて来ているのだと」
「運動靴は学外活動の必需品だからな」
「そうでしたわね」
場所に大まかな検討が付いた俺の足取りは、その後少しずつ重くなった。そりゃそうだろ。町はずれの山って言ったら、小学生の時、夏休み前のもらうしおりに行ってはいけない場所としてピックアップされていたような要注意地区だ。熊もでるし、危険な野生動物の宝庫だ。よく迷い込んだ人達が記憶喪失になって帰ってくるという噂もある。それだけ頭を打ちやすい危険な崖などがあると言う事だ。何が楽しくてそんなところに出向かなきゃならんのだ。
と、心でいくら愚痴っても意味がないのは知っています。だから俺は、部長に後を黙ってついて行った。
どのくらい歩いただろう。町中の中心部に位置する我が高校から、海とは反対の方向に進んでいった俺たち一向は、どんどん繁栄の色を無くしていく街並みをバックに歩き続けた。緑が増えてきたと思った頃、それは目に入ってきた。
『この先、猛獣出現あり。立ち入りを禁ずる』
どのくらい前に建てたらこれだけ草に取り込まれそうになるのか疑問になるほどの古びた看板。ちょっと待て、これはつまり入るなって事じゃないのか?
「さぁ行くわよ!」
袖を掴んでくる悠里の力が、より一層強くなったようだ。これはつまり、危険だ、やめようと言う事だろう。
「ちょっと待ってください」
俺は悠里に言わされるように部長に声をかけた。
「何よ?」
楽しみを潰された子供のように不機嫌な声を出す部長。だが今日は怯まない!
「この看板が物語っているように、ここは入っちゃいけないんじゃないんですか?」
どうだ? これだけの物があれば、さすがの部長も引き下がるしかあるまい。
「これの事?」
部長がそう指差すのは、俺が確認した古びた看板ではなく、その奥に立っているまだ真新しい看板だった。
『この先、五時以降の登山を禁ずる』
五時以降の登山を禁ずる。つまり、五時前ならこの山に入っていいと言う事なのだろう。
「すいませんでした!」
俺は間髪入れずに頭を下げた。まったく、どんだけ前の看板なんだあれは。というか、新しい看板を立てたんなら処分しろよな。
「京ちゃん……」
「すまん悠里。魚を咥えた猫と部長を止めるのは不可能だ」
「さぁ! 気を取り直して行くわよ! この奥に広がる廃村を調べるのが私たちの部活よ!」
はたしてこんな山に廃村なんて本当に存在するのかが疑問だが、まぁここまで来たらついて行きますよ。そう思いながら、俺は部長の後を付いて行った。
その後はひたすら獣道を歩いた。登山用の舗装された道を何度か通ったが、すぐにそれとは違う道に逸れ、ひたすら木々を遮りながら歩いて行った。この時期は間違いなく真夏なのだが、それすらを疑わせる涼しさが、逆に不気味だった。まだ昼間なのに薄暗く、足元はぬかるんだり、ごつごつとした道だったり。本当にこの先に村などあるのかを疑わせる。先頭の部長や瑞樹は、探検気分なのかもしれないが、音色は元々体育会系じゃないのもあり、少し肩で息をしていた。俺はというと、さすがにまだ限界ではないにしろ少々疲れた。悠里もそうだ。こいつも元々運動なんて無縁な人間だからな。
「部長。この辺で休憩しませんか?」
少し拓けた場所に出た時、俺はそう部長に提案した。流石の唯我独尊加奈子様でも、部員が疲れているのに無理強いをしたりはしない。案の定、俺たちはそこで少し休憩していく事になった。それぞれ倒れた大木や大きな石の上に座り、持参した水筒などで休憩した。「はい、京ちゃん」
悠里はお茶を入れ、俺に渡してきた。気が利くというか、自分の事よりいつも他人の事を考えて行動する悠里の性格は、実は俺はあまり好きじゃなかった。
「俺は大丈夫だから、悠里が飲みな」
「私はもう飲んだから」
嘘だ。俺は知っているぞ? 真っ先に皆に飲み物を配っていたお前を。
「本当にいいって。それで部長? あとどれくらいです?」
俺は差出してくる悠里の手を取ることなく、部長に話を振った。
「ん? あぁ、この地図じゃこの辺のはずなんだけどね」
部長の懐から出てきたのは、宝の地図のようなバツ印が書かれた紙だった。
「つまりこのバツが有城村って事ですね?」
「そうよ。この辺はもうバツ印の近くなはずだから、舗装された道が出てきてもおかしくないんだけどね。あぁでも、随分と昔の話だからその道ももうなくなってるか」
おそらく道など存在しないだろう。さっきから感じている悪寒がそう物語っていた。さっき感じた涼しさとは違う、何か体を凍らすような寒さ。特に霊感がある訳ではないのだが、おそらく近くに有城村は存在する。
「まぁ、まだ三時だし、余裕で着くと思うわ」
そう腕時計を見ながら顔を緩ませる部長は、さすがに場馴れしているだけあって余裕の表情だった。逆に俺はというと、得体のしれない雰囲気を感じて弱腰になっている。まったく、しっかりしろ俺!
「あれ?」
そんな素っ頓狂な声がしたのは、俺が自分の腕時計で三時を確認した時だった。
「どうした?」
声の主は悠里。何かを探しているような素振りをしながら、泣きそうな顔で。
「携帯、落としちゃった」
「嘘だろ? どこでだ?」
「分からない。多分ここら辺だと思う」
「ちょっと待ってろ」
俺以外の部員も、心配そうにあたりを見回す。俺は自分の携帯を取り出し、悠里をアドレス帳から検索した。
「今お前の携帯に電話するから、マナーモードとかにしてなきゃ見つかるだろ」
そう携帯を耳に当てるが、いつもの聞きなれた通話音は聞こえてこなかった。一度携帯のディスプレイを確認する。
「最悪だ。ここ圏外みたい」
俺の一言で、他の皆も自分の携帯を確認するも、その表情と反応からして、皆一様に圏外なのだろう。
「しょうがねぇな」
そう言って、俺は辺りを探索し始めた。もし今来た道沿いで落としたなら、今日の調査は終了だ。それならそれで俺は一向に構わないのだが、部長が不機嫌になるのはほぼ間違いないだろう。だからという訳ではないが、このあたりに落ちている事を祈りながら、俺は草木をかき分けた。俺が水を飲んでいた場所の奥。なんとなく。いや、本当に何となくだが、悠里の携帯があるような、そんな気がした。
「あったぞ!」
予想通り、その場所からは悠里の携帯が出てきた。携帯を取ろうと手を伸ばした俺だが、その横に落ちていたもう一つの物体が目に入った途端、思わず反射的に手を引っ込めた。俺も本物は見た事がなかったが、その形の模造品ならいくらでも拝んだ事があった。なにせ、夜店で賞品として飾られているような代物だからな。どうせこれもその類のものだと言い聞かせ、俺はその物体に手を伸ばした。
嫌な重量感が手首や腕を刺激する。明らかに子供が遊んでいるものではない事は、少し持ち上げただけでも分かった。黒光りするボディーに、やけに手にフィットする感じ。人間が武器として使うためだけに生産されたそれは、世間では拳銃と呼ぶ。日本の警官が所持しているような、あんなリボルバータイプのものではなく、海外の警官が持っているような、照準を合わせやすく、尚且つ一撃で相手を地に沈めることのできそうなタイプだ。テレビで見た事があるが、トカレフなどと呼ばれる小型の拳銃に似ている。
さっきから嫌な感じはずっとしていた。これ以上進んではいけない。そんなブレーキを空気がかけていたような、そんな感じだ。まだ本物かモデルガンかも分からないこの代物だが、俺の予想では本物だろう。こういう時に限って、俺の予想ってのは当たるからな。
「あったの?」
そんな声と共に、無数の足音が俺に迫ってきた。咄嗟に拳銃をベルトとズボンの間に挟み、だらしなくシャツを出して隠した。それと同時に携帯を取り、
「ほらよ。落とすんじゃねぇぞ?」
と。悠里も差し出した。
「流石、悠里先輩の事なら何でも分かる京介君!」
「それはおちょくってんのか?」
「いやいや、普通に尊敬の眼差しを向けてるだけっすよ」
「どうだか」
とりあえずおちょくってきた瑞樹をあしらうくらいの冷静さは取り戻せたようだ。だが、問題はこれからだ。こんなとこにいつまでも居たくない。
「それで部長。そろそろ良い時間だろうし、今日は帰らないか?」
そう提案しても、そんな法案がすぐ可決される訳もなく、
「何言ってんの? まだ三時じゃない! これからよこれから。目的地はもうすぐなのよ?」
俺は時計を確認する。まだ三時。どうやらさっき俺が確認した時から十分すら経過していないようだ。随分と長く感じたが、時間は正確だ。
「でも何か嫌な予感がするんですよね」
「一体どんな感じよ」
「なんて言うか、何かが前から押さえつけてくるような、そんな感じです」
「よく分からないわ」
「まぁそうですよね」
この部長が引き下がってくれる訳ないか。誰かが怪我でもしない限り引き返す事などないだろう。そこで一つ俺が怪我をする芝居でもしようかと思ったが、今さらやったところで疑われるだけだし、本当に怪我をするのは正直御免だ。
「さて、悠里の携帯もあった事だし、そろそろ行くわよ」
その時だった。奥の草むらがざわつき、何かの気配が俺たちを睨んだのは。黒い影が飛び出し、悲鳴が俺の耳に入ってくる。
「きゃぁ!」
黒い影は一体。すさまじい速さで音色、部長の順に一撃を食らわしていく。
「悠里!」
咄嗟の行動だった。俺は悠里の名前を呼び、手を伸ばす。
「京ちゃっ――」
が、俺の手が届く前に、悠里の瞼がゆっくりと閉じ、膝から倒れていった。一瞬影が悠里の体を抱きかかえたような気がしたが、頭に血が上った俺にはそんな事どうでもよかった。
「この野郎!」
俺は懐に手を伸ばし、先ほど手に入れたあの黒い物体を掴んだ。だが、ここからどうする? あたりを見回すと、部員全員地面をなめるように倒れている。どんな動物かはしらないが、そんな事を一瞬でやってのける相手にこんな使った事もない武器でどう対応するんだ。使い慣れない武器ほど、足手まといになって危険だと、前にテレビでやっていたが、本当にその通りだな。気休めにすらなりはしない。
「動くな。手荒な真似はしたくない」
そんな言葉が俺の耳に届く。俺が動物だと思っていたそれは、人の形をしていた。薄暗いせいか、顔が良く見えない。改めて対面してみると、背丈は俺より少し高めで、別に野蛮な感じはしない。だが、どこか戦闘に慣れた様な身のこなしをしており、何よりその右手に持つ猟銃が、その人物の危険度を上げていた。
「くっ!」
動けない俺に対し、そいつは冷静に足を運び、そして俺の目の前から姿を消した。
「なっ!」
断末魔のような声しか出ない俺の耳に、
「すまない。こんな手しかなかったんだ」
という男の声が聞こえてきたのと同時に首の裏に衝撃が走り、俺の目の前は真っ暗になった。




