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番外 前日譚と呼ぶにはあまりに些細な話

ここだけ三人称のちょっとした番外です。

 これは、当事者である少年にとっても本当に唐突な事だったので、まずは詳細を可能な限り省いて簡潔に事実だけを述べる。


 少年は怪物に襲われていた。


 というのも彼が中学校からの下校中、唐突に何者かに肩を叩かれたかと思い振り向くと、そこには紙をくしゃくしゃに丸めて捻って折って無理矢理人型にしたような化け物が立っていたのだ。しかも三体もだ。そいつらから隠しきれぬ明確な敵意を感じ取った少年は咄嗟に逃げるが、走って追いかけられ、今や袋小路に追い込まれている。

 連中の動きはほぼ人並みだったが、ただ一点、腕力だけは相当な物であった。攻撃手段は腕をただぶらんと叩きつけるだけの雑なものだったが、それだけで電柱やブロック塀が崩れ去っていくのを、少年は目の当たりにしている。そんな怪物が、自分めがけて腕を振るおうとしてくるのだ。

 まだ中学二年生である彼にとっては強すぎる刺激である。そして、彼はそんな化け物三体に追いつめられ、じりじりと行き止まりに向かって後退する事しか出来ないでいた。

 

「う。うう……」


 思わずうめき声を漏らす事しか出来ない。その小さな声は、不思議と周囲に響く。紙の怪物が大人しすぎるせいだ。その三体は一言も発する事なく向かってくるのだ。

 その無音の恐怖に、少年は竦み上がって諦めそうになる。心が徐々に押しつぶされていくような感触に恐怖し、少年はしゃがみこみ、もう奇跡を待ち望む事しか出来なくなってしまう。

 頭を抱え、少年は静かに祈る。


「うぅ……神様……助けて……!」


 人並みの台詞だったが、しかし紛れもなく本心だ。

 そもそもこんな連中に襲われる心当たりも無ければ前触れも無かったのだ。

 心の準備が出来ていないなんてものじゃない。彼からして見ればこんな理不尽あってたまるかなのだ。

 だから、こんな状況を作りだしたであろう神にどうにかして欲しいと願ったのだ。


 しかし、その祈りは少年の予想していなかった声によって叶えられることとなる。


「生憎、俺は神様じゃねーが、それでもいいなら助けてやろうか?」


「えっ?」

 少年が驚きしゃがみこんだ態勢から上を仰ぎ見ると、そこには漆色の和服に身を包んだ男の背中があった。腰元には長い鞘が据えられていて、どう見てもサムライのようにしか見えなかった。何時の間にか出現していたその男は、異質な空気を放ちながらそこに佇んでいる。

 軽そうなその声からして、どうやら若い男、少なくとも青年である事は確かなようだ。背後からでは、その短く結んだ髪しか確認する事は出来なかったが、しかし雰囲気からして敵ではない事だけはわかる。

 そんな状況に少年が戸惑っていると、青年は静かに振りむいた。にんまりとした軽薄そうな笑顔がそこにあった。

 彼は弧を描いた鋭い目で、こう告げた。


「そうビビんなって。ま、どの道見た以上はほっとけねーし、お前がどう答えようが俺は助けることにした。待ってろ。詳しい話はこいつらぶっ殺してからな」


 それから、少年が何かを言う前に青年は動いた。

 腰に据えられていた刀の柄を握り、直後には一番右端にいる紙の化け物の前まで高速移動。剣道の達人はすり足だけで信じられない速度を出すと言われているが、そんなレベルの話では無い。足が動いているのが確認出来ないのにも関わらず、瞬き程度のほぼ一瞬で、地面を滑るかのような動きで間合いを詰めてみせたのだ。

 少年は驚きで声が出せない。紙の怪物からも面食らったような雰囲気が伝わってくる。

 青年は、そんな驚愕によって生まれた一瞬の空白にニヤりと笑みを濃くし、静かに呟く。


「先に言っておく。俺のこれは刀っぽいが刀じゃねえ。筆だ。だから銃刀法には引っかからないからな。喰らえ、バーニングゥゥ! オーバーカイザァァァソォォォォォドッ!!!!」


「いや、それ自分でソードって言ってないっ!?」


 それでもソードは剣なので刀では無いのは確かなのだが、少年にはそれが鞘に納められた刀にしか見えなかった。

 だが青年は、そんな少年の気持ちなどまるで気にかけていないかのような態度で、腰にある柄を握り、それを一気に鞘から引き抜いた。どう見ても高速の抜刀だ。速すぎて刀身を見ることすら叶わない。恐らく刀の色であろう黒い線が、化け物の右肩から左側の腰にかけて走り抜ける。

 ……と、思った時には既に刀身は鞘に納められていた。速すぎる納刀。抜くのも切るのも納めるのも、ほとんど視認出来ないレベルの圧倒的なスピード。その際に、きん、と鳴らされる金属音。

 その音が響くと同時に、紙の化け物は半分に断ち切られ、即座に縮むようにして消滅していく。

 青年はその様子を満足そうに眺めた後、両腕をだらんと垂らして、残った二体の怪物に微笑みかける。


「で、お次はどなたですか、ってな。なあ。俺のカイザークラッシュを喰らいたい奴はどっちよ?」


 さっき言っていた技名と違うが、どうやら本人的には挑発のつもりのようだ。

 彼の言葉が聞こえたのかどうかは分からない。しかし、それに呼応するかのように走って襲いかかってくる紙の化け物二体。

 同時に青年に対して向かって来ているわけだが、その当事者はどうにも余裕そうな表情を崩さない。

 それどころか更に笑みを強くして、ゆっくりと再度柄に手を伸ばす。


「おっと、二人同時だなんて、モテる男も時として辛いもんだな」


 などと軽口を叩いてる間に、二度の金属音が響く。

 よく見ると、怪物の身体にはそれぞれ一本ずつ細い黒い線が引かれていた。どうやら先ほどよりも速い抜刀を二回繰り返し、二体とも切り伏せたのだ。ちなみに、先ほどのようにわざわざ技名を叫ぶ必要性が無いという事がこれで判明した。

 そして次の瞬間には、やはり二体とも縮むようにして消滅していく。


 こうして、化け物は全て消えた。


 その場に残ったのは、少年と謎の青年だけである。

 けれども少年は、戸惑いと畏れのせいでほとんど何も言えない状態であった。本当は色々と聞きたい事があったのだが、どうしても口に出来る気分にはなれなかったのだ。

 しかし、そんなジレンマを抱えている少年とは対象的に、和服の青年は普通に話しかけてくる。


「よぉ。俺は高花光墨たかはな みつすみってんだ。よろしくな」

「はあ、どうも……」

「折角助かったのにテンション低くね? まあ、いいけどよ。さっきも言ったが、とにかくこんな状況になった以上は放っておけねえ。悪いが、ちょいと付き合ってもらうぜ」

「ああ、はあ……」


 言われるがまま、少年は高花という青年に連れられ、恐らくは彼の家であろう和風の屋敷に連れて行かれた。その一室である広い和室で、彼は高花から全容を聞くこととなる。

 どうやら先ほどの紙のような怪物は、最近になって現れた連中だそうで、人を襲うが正体は不明だそうだ。見た目が紙に酷似している事から、高花は個人的に「カミクズ」と呼んでいるらしい。

 そして、どうやら高花はそいつらに対抗出来る刀のような武器を持っていたので、戦いに身を投じる事を決心したそうだ。そんな高花とは何者なのか、少年は気になったが、その日は結局それだけの説明で帰された。

 帰路についた少年は、困惑しながらもこう思ったという。


「何だかよくわからないけど、もう命の危険にさらされるのは懲り懲りだよ」


 だが、そんな彼の願いとは裏腹に、その後も彼は順当に巻き込まれていくこととなる。

 例えば、最初と同じ下校中に突然カミクズに襲われたり、友達の家に遊びに行った際に襲われたり、デパートで買い物している時に襲われたりなど、実にバリエーション豊かに危機に晒され続けていた。学校で襲われなかった事だけが唯一の救いだ。

 そのたびに彼は高花に助けられ、色んな事を知っていくのであった。


 その中でも特別、高花の正体についての話や、彼の武器である「筆」についての話は、少年にとって実に興味深い物であった。

 高花については、どうやら彼は記憶喪失の男だったようだ。現在の家である高花家は、実は彼にとっても本当に実家かどうかもわからないようだ。ただ、道を彷徨っていたら、数年前行方不明になっていた高花光墨と瓜二つだったという事で引き取られたらしい。

 しかし、彼は自分が本物の光墨かどうかもわからないので、そのせいで家族とは溝が出来て居づらい気分を味わっているようだ。


 そして、筆については、これは彼が最初から持っていた代物だそうだ。

 刀身を見せてもらったら、墨のように真っ黒であったその武器は、どうやら切れば切る程黒が落ちていき銀色に変色していくそうだ。そうなると、どういうわけか切れ味や殺傷力が落ちるそうだ。

 だが鞘に入れると再度黒く染まり、その威力を取り戻すそうなので、彼はいつも抜刀しているとの話だ。


「でもそれって、結局は刀じゃないの?」

「わかってねーな。筆っぽいからこれは筆で間違いねーんだよ。それに、俺にはそういう確信があるの。何でか知らんけど」

「ふーん。よくわかんないや」


 時にはこんな会話も交わし、彼らはどんどんカミクズとの戦いに巻き込まれていく。

 だが、この流れが変わったのはそれから少ししてからだ。ここらの近辺で化け物を殺して回っている少年が居ると、彼らはそんな噂を聞いたのだ。そしてそれ以降、カミクズと遭遇する回数が圧倒的に減ったのだ。

 もっとも、少年としては普通に他人事だと思ったし、平和になっているからいいと思っていた。が、そんなある日の事だ。

 いつも通り、高花が少年を守って戦っている時にそれは起こった。


「ふーっ。一丁上がりだぜ」

「おつかれー」


 すっかり板についたそんなやり取りも、もう何回目になるだろうか。

 こんな感じの関係がしばらくは続くであろうと少年は思った。高花も同じ気持ちだっただろう。

 だがしかし、今日ばかりはそれで終わらなかった。

 戦闘終了後のその現場に、新たな来訪者が現れたのだ。


「お前か、最近、カミクズを一時的に戦闘不能にして場を荒らしている奴は」


 聞き慣れぬ声に、少年と高花はその方を向くと、そこには何処かの中学校の制服であろう学生服を身に纏った男が立っていた。

 少年と同年代であろうその中学生は、鋭い眼光で二人を睨みつけ、おもむろに高花目がけて走ってくる。

 少年はその動きに反応出来なかったが、高花の方は素早く睨み返し、手早く柄に手を当てる。


 激突は一瞬だった。

 その中学生が右腕を伸ばし、高花目がけて思い切り振り抜いてくる。しかし、殴る目的ならば些か遠い。当然、拳が届く距離では無かった。だとすると、何かを投げたのだろうか。

 高花は咄嗟にそう判断したのか、即座に二歩ぶん左に高速移動する。が、その予想に反して何も飛んでくる気配は無かった。どうやら飛び道具による攻撃では無かったようだ。

 なのにも関わらず、中学生は驚いたような表情で急停止し、高花の刀を警戒するかのような動きで大きくバックステップ。距離を置いてくる。あたかも何かを避けられたかのようなリアクションだ。

 そして、少し離れた位置からこう言ってくるのだ。


「ほう。今のを見切るとは中々の腕前じゃないか。流石、カミクズなのにカミクズを狩っているだけあるな」

「はあ? 突然襲ってきたくせに人をカミクズ扱いとか流石に気分が悪いぞ。一体、何なんだよお前」

「私か? そうだな。私はお前たちのように……いや、正確にはお前たちのようなカミクズを掃除する者だ」


 その中学生は年齢のわりに妙に偉そうな喋り方をしていた。

 その上、少年の友人をいきなりカミクズ呼ばわりしたのだ。これは少年としても気分が悪かった。確かに高花は少し変わった力を持ってはいるが、だからと言ってあんな化け物とは一緒にして貰いたくない物だ。


「つーか、俺は単に、紙みてーな化け物の事を個人的にカミクズって呼んでるだけだけど、お前の言ってるカミクズってのは一体なんなんだよ?」

「そうか。やけに意志疎通が速いと思ったらそういう事か。納得した。だとしたらお前と私の言うカミクズは微妙に違うな。どうやらお前は自らをカミクズだと自覚せずに、同胞のみをカミクズと認識して殺そうとしているだけのようだな」

「ああ? マジでよくわかんねーよお前。一体なんだっていうんだよ!」

「わからないのはこっちだ。兎にも角にも、お前を喰わない事には始まらない。その力、喰わせて貰うぞ」


 そう言って再度向かってくる中学生。

 高花もそれに対して「ちっ、戦うしかねーのかよ!」とぼやきながら再度「筆」を構える。

 そんな一瞬の間に、中学生は先ほどと同じように腕を構えて一気に振る。もちろん何かが投げつけられている可能性があるので、高花は刹那の速度で左に避ける。が、中学生は軌道修正もせず、先ほどまで高花が立っていた位置までまっすぐ走り抜けていく。

 一体何をするつもりなのか、少年は疑問に思うが、しかしすぐに結論は出る。

 なんと、中学生は、何も無いはずの空中に足をかけ、高くジャンプしたのだ。まるで透明な足場でもそこにあったかのような挙動だ。というかそうとしか思えなかった。高花もそう感じたようで、若干呆気にとられていた。

 そしてその隙を中学生は見逃さなかった。彼は空中で腕を振るう。高花はそれに対し、一瞬反応が遅れる。するとどういう事か、高花の身体に何本もの赤い線が引かれる。視認できない何かによって切られたせいで溢れた出血の色だ。


「ぐっ……」


 どういう手品なのか、一気に血まみれになった高花が膝をつく。

 そのすぐ傍に軽やかに着地した中学生は、そんな隙を見逃すわけが無かった。

 彼は仰ぐように両腕を広げ、ゆっくりとわけのわからない事を口走る。


「―――『カミクズ』確認。参から伍までの封印解除を許可する。魔界封印解除。ゲート、解放」


 言うなり、彼の眼の前に黒くて丸い平面的な何かが出現する。だいたいバスケットボールぐらいのサイズの正体不明の何かだ。

 嫌な予感しかしなかったが、少年は見ているだけで何も出来ない。

 だが、高花はまだ諦めるつもりは無かったようだ。目が死んでいない。彼はぎらついた目で、また柄に手を添える。


「舐めんなクソがぁ!」


 高速の抜刀。

 しかし、その刃は中学生には届かない。

 彼の眼の前にある、その黒くて丸い何かに阻まれているのだ。

 歯を食いしばる高花。少しだけ驚いた表情の中学生。


「驚いた。そんな真似が出来るとは思わなかった。意外と体力が残っているのだな。ならば、それも返してもらうぞ。元々こちらの物だ」

「何?」


 中学生がそんな台詞を吐くと同時に、黒い物体に「筆」が吸いこまれていった。

 まさに、吸われているという表現が一番的確であった。原理は不明だが、それにより高花は武器を手放さざるを得なくなり、ついに彼は唯一の反撃の糧となるものすら失った。

 項垂れる高花。けれども中学生の攻撃はまだ終わらない。


「―――捕食補助作動。我が存在は魔、我が定義は牙。捕食封印解除。魔界の牙、展開」


 今度は、彼の両手から黒く巨大な爪が伸び始める。だいたい腕の長さと同じぐらい長い爪だ。見るからに武器だった。もうこちら側には武器は無いのに、圧倒的な戦力差を見せつけられたらもうどうしようもない。

 それからはもう悲惨だった。抵抗出来ない高花を一方的にいたぶる中学生。何度も切りつけ、傷つけ、蹂躙する。

 最後には、巨大な狼の頭のような姿に変身したその中学生に、高花は喰われて消えて無くなった。そんな惨状に、少年はもう声一つ発する事が出来なかった。だからなのか、中学生は少年に目もくれず、何処かへ去っていってしまった。


 そして、最後には少年だけが残された。

 一人になってしまった彼は、もう考える事しか出来ない。そうして出た結論もまた、酷いものだった。

 彼は気付いてしまったのだ。こちらが悪者だったという事実に。


 というのもあの中学生は最初に言っていたのだ。

 カミクズを一時的に戦闘不能にしているのはお前か、と。その言葉が本当ならば、高花はカミクズにとどめを刺せずにいたという事になる。一見、カミクズを倒しているように見えるその派手な戦いも、結局倒すまでに至ってなかったという事になる。恐らくあの口ぶりから、後処理はあの中学生がやっていたのだろう。そして、それが向こうからして見れば迷惑行為だったというのは容易に想像できる。

 結局、あの中学生はこれまでもカミクズを倒してきたのだろう。あの不思議な力で。

 ならば一体、高花はなんのために戦っていたのだろうという事になってしまう。


「そんなの、決まってるじゃないか……」


 少年は静かに呟く。

 少なくとも、彼が少年と出会ってから最後を迎えるまで、高花光墨が戦う理由など、一つしか無かったのだ。


「俺を、助けるためだ……」


 その事実に気がついた少年は、もう後悔する事しか出来なかった。

 それ以降、彼が筆を見るたび嫌な気分になるのはまた別の話である。

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