裏へと至る道 その肆
久方振りに見た『彼女』の姿は、相も変わらず美しかった。
暗くてよく見えなくても、薄明かりで微妙に見える部分だけで、充分にその美しさがわかる。
よく観察すると、着物のラインがうっすら見える。顔は、光の当たり具合で見えそうで見えない。
……というか着物って、絶対この子生徒じゃないってわかるよね。
いくら暗くて見ずらいとはいえ、なんで気づかなかったんだろう当時の俺。
どれだけいっぱいいっぱいだったかがよくわかる。
「あ、あのっ……俺、か、かかかみっ、上っ……く、倉……零次っていうんだけどどど……!」
どうやら過去の俺は想像以上にテンパっていたらしい。
……ただ名乗るだけでこれかよ。あー、これは仕方がない。
「上倉、零次……?」
『彼女』はきょとんとした表情で聞き返す。
「あ、ああ、うん。うんうん。クラス違うから知らないかーそうだよなー」
過去の俺はさっきから目が泳ぎまくっている。もう素晴らしい泳ぎっぷりだ。金メダルも夢じゃなさそうだ。
なんかもう廃寺の空気が恐すぎて、心ここにあらずって感じである。
「まあそんなことどうでもいいよな。そんなことより早くここ出ないか……? みんな心配してるし。ホラ、行こう……急がなきゃ……はやく出ないと……」
……露骨に帰りたがってるよ! あっれー、こんな情けなかったっけ俺?
当時はこれで精一杯だったんだろうが、改めて客観的に見るとキツいものがある。
「帰る……? え、でも……」
「いいから、はい絵馬。これで問題なく戻れるな。さあ早く出ようすぐ出よう早く早く早くハヤクハヤクハヤクハヤク……」
……恐っ!? 昔の俺恐っ!?
恐怖で完全に頭がやられてらっしゃっていた。
……駄目だこいつ。はやく何とかしないと。
「帰る……の? 何処に……?」
「決まってんじゃねぇか。みんなのとこだよ……早く出ようぜ?」
「みんなって……いうのは?」
「はぁ?」
若干キレ気味で返す当時の俺。
『何言ってんだコイツ』と言わんばかりの反応だ。
……でもたしかに、その反応はわけわかんないよな。
何かかみ合ってない、この時の俺はそんなことを考えていたはず。
それも当然だ。
……だってこの時点で、俺と『彼女』は誤解しあっていたのだから。
「少し考えたら、いや、むしろ考えるまでもなくわかるだろ……ここに一緒に来たみんなだよ!」
『彼女』を帰りの遅いクラスメイトだと勘違いし、さっさと連れて帰りたい俺。
ていうか早く廃寺から出たいだけなのだ。そのため全力で『彼女』を連れ戻そうと考えている。
「一緒に来た……みんな?」
しかし実際には全くの別人で、よく状況が掴めていない『彼女』。
ちなみに『彼女』はこの時、たとえるなら家出をしたような状況でいた。そのため今の発言もあり、俺を『自分を連れ戻しに来た者』だと勘違いをしてしまう。
……いや、それは真実でもあるんだが、ここでそれを出すとややこしくなるんで、忘れてくれ。
今ならわかる。
この時の俺達、全然かみ合ってなかった。
「……っ、とにかく、ここ出るぞ! 留まる意味もないし、何よりみんな心配して……」
「嫌」
「……は?」
「私、帰りたくない」
目を点にする過去の俺。
まあこの状況、俺からすれば不可思議なことだらけだから仕方がない。
「なんで、帰りたくないんだ……?」
「自由がないから」
「はぁ!?」
露骨に顔をしかめる。
早く出たいという気持ちが高まりすぎて、感情の制御がきかなくなったらしい。
「あそこには……自由がない。自分の意志では何も出来ない……だから、私はここで自由に生きるの」
「何言ってんだよ? そんなんどうでもいいから早く出るぞ!!!!」
「嫌っ!!!!」
「えぇぇぇぇぇぇ?」
素っ頓狂な声を出して突如頭を抱え出す俺。たしかこれは頭痛が止まらなくなった時だ。
小声で「なんなん? お前マジなんなん?」と延々と呟き続け、ずーん、と暗いオーラを放ちまくっていた。ちなみにその間、『彼女』はずっと立ちっぱなしだ。なんて律義なのだろう。しかし頭を抱えた俺は、そんな『彼女』の様子など一切気にかけてはいなかった。
……この時、俺は考えていたはずだ。どうすれば早く帰れるかを。どうすればこの子を説得出来るのかを。
この状況は数分続き、俺はようやく頭を上げる。
どうやら俺の記憶通り、何かを思いついたようだ。その顔に迷いは無かった。
「……あのさ」
「なに?」
「……お前の悩みについて、もっと詳しく教えてくれないかな。俺も出来る限り力になるからさ」
過去の俺は、やけに冷静に話し始めた。心なしか表情の筋肉にも力が入っている気がする。
……たしかこの時の俺の作戦は、相手の悩みをその場だけでも解決させた感じのムードにして、その勢いで連れて帰るというものだった。今思い返して見ると酷いなこれ。
「……聞いて、くれるの?」
『彼女』もやけに素直に聞き返してくる。
まあこれは仕方のない反応ではあるのだが、それにしても傍から見てるぶんでは不自然なくらいの素直さだ。
……当時の俺よ、もっと疑わなかったのか。
「もちろんだ。これも何かの縁。どんと話してみろよ!」
疑ってなかった。微塵も疑ってなかった。
……まあ『彼女』に関しては別に疑う必要もないのだけれど、そんなんじゃいつか騙されかねないぞお前と言いたい。って、今の俺にも同じことが言えるか。
ちなみにこの時の俺はやけに元気がいいが、これはいきすぎた恐怖と混乱が混ざり合って、まるで深夜明けのような妙に高いテンションになってしまっているだけだ。別に落ち着いたわけでも、恐怖を克服したわけでもない。
「……ありがとう」
そう言った彼女の声色は少しだけ明るかった。
今思えば、ここが一つの分岐点だったのかもしれない。
ここで俺が別の手段でコミュニケーションをとっていたら、また変わった結末になっていただろう。そう思うと、ここでやり直したかったような気分にもなってくる。ここでならまだ引き返せてたはずなのだ。それで何かが解決するわけではないが、少なくとも俺は何も知らないままのうのうと暮らすことが出来たのだ。
全てを知った今、それは出来ない。故にこの選択は、俺を戦いへと導いたとも言える。
だが昔の俺はそんな事を露にも知らず、先ほどまでの元気の下に隠した怠惰な瞳で、おずおずと語る『彼女』の言葉に耳を傾けていたのであった。腕を組みながら、無言でウンウン頷きながら聞いている。我ながらやけに偉そうな態度だ。
「……あのね、私は、最初から一人だったの。暗くて、寂しくて、何もないところにずっと一人だった。他に誰かが居ても、その中に私の味方はいなかった。だから私はいつだって一人。逃げ出した先でも、結局は一人だった。孤独で、選択権もろくにない状態。どこに行っても変わらない。だからね、私は自由が欲しいの。孤独から抜け出して好きに生きられるような、そんな自由。誰かと好きに話したり、好きな場所に行ったり、たまには好きなことして遊んだり。そういう自由を、絶対に手に入れるってここで決めたの。ここから私を連れ戻したいのなら、私に『自由』を与えて欲しい。私の願いは、それだけだから」
……耳が痛い。今の俺を強烈な後悔が襲う。
この発言、現在の俺にはあまりにもキツすぎた。なんというか、罪悪感で胸が潰れそうになりそうなほどの言葉なのだ。
実は『彼女』がこうなってしまった原因は俺にあったということが後々にわかったので、それを踏まえたうえで聞くと相当申し訳なくなる発言だったのだ。
「へーへーほーほー……なるほど」
けれども当時の俺は適当な態度で頷いていた。
もし、こいつを殴れるのなら殴りたかった。ここまで自分を殴りたくなったのは初めてだ。
しかも、この時あたかも発言の意図を理解したような態度をとっていたわけだが、実は全然そんなことないのだ。
過去の俺が思い浮かべていたのは『この子は家庭でうまくいってなくて、他人とも打ち解けることも出来ず、どこへ行ってもうまくいかなかった。だから、今感じている束縛感から解放されたくて『自由』がどうこう言っているのではないか』というイメージであった。
しかしそれは事実とは大幅にかけ離れたものであり、当時の俺は間違った想像で納得してしまったということになる。これも俺の大きな後悔のうちだ。『彼女』には本当に申し訳ないことをした。
「だから私は帰らない。ここから自由を……手に入れるんだから……」
「んー、お前の言いたいことはわかった」
わかっていない。
何一つ理解なんてしてないし、推測も全部間違っている。
……だというのに、俺の声に一切の淀みがなかった。
「なあ、一ついいか?」
「……何?」
「こんなとこに自由なんてねーよ。馬鹿じゃねぇの?」
「……っ!?」
……そういえば、そんなことも言ったなぁ。
何を考えて、こんな追い討ちかけるような事を言ってしまったのか。
いくら勘違いしているとはいえ、それを差し引いても酷い。悩みを聞くんじゃなかったのか、という感じだ。
……本当に馬鹿野郎だ。やり直したくてしょうがない。
ついでに解説を入れるが、この時の俺はこういう勘違いをしていた。
『彼女』はうまくいかない現実を苦に、この廃寺に閉じこもって現実逃避している、と。
この現状をそう判断し、説教こそが最善と判断したのだろう。そういうわけで唐突に説教を始めたというわけだ。恥ずかしい。
……それにも関わらず、当時の俺の心は震えていた。自分でも、よくわからない衝動があったのだ。
「なんで、なんでこんな中途半端なことすんだよ? こんなんじゃ自由どころか、何の束縛からも逃げれてないぞ」
「……そんなことない。現に私はちゃんと逃げ出せてる。これから自由を……」
「これからどうするつもりだ? 一生逃げて生きれるだけの金があるのか? 宿はどうする?」
「……それは」
「行き当たりばったりじゃねぇかよ。馬鹿か?」
「……っ」
押し黙る『彼女』。どんどん口が悪くなっていく俺。
……振り返ってみれば、これはもう完璧恐怖心を攻撃に変えてるなぁ。
ある意味八つ当たりのような気がしないでもない。
「……だったら、私はどうすれば良かったの……?」
不安に駆られた『彼女』の声。
自分で説教をしておきながらこう言うのもなんだが、これは仕方がなかったのだ。
『彼女』には、たとえ行き当たりばったりでも、逃げ出したい理由があった。
否、というより『彼女』の場合状況が複雑で『逃げ出さなければ、何も始まらなかった』のだ。
その逃げ出した行為を否定され『彼女』は途方にくれている。
「やっぱり……自由なんて求めるのが間違いだったのかな……」
「よくわからないけど、そんなわけないだろ。それは間違った考えじゃない」
即答だった。
真顔で否定できるその感性は、我ながら感心する。
事情をよくわかっていないのに、相手が自分の中で勝手に思い悩んでいるというのに、それでもずかずかと入りこんで文句を言う。
そういった今は失われてしまった感性を、その時の俺は持っていた。
「でも帰ったらまた自由がなくなるんだよ!? あなたは私にどうしろっていうの!?」
「なんか何を悩んでるのか知らないけどさ。好きに生きればいいだろ、そんなん」
「……え?」
そう言う俺の顔はやはり真顔だった。
語尾に『キリッ』をつけてもいいぐらい、完璧な決め台詞だ。
今だったら恥ずかしくて絶対言えない。
しかも二人とも勢いだけで話しているせいか、会話の流れがどこかめちゃくちゃだ。こうして見直すと恥ずかしいものがある。
だが、本人達は真剣そのものである。
「好きに生きるって……そんな……」
「何でもかんでもしたいようにすりゃあいい。知ってるか? 自由なんて何処にでもあるんだぜ」
「無いよ」
「即答かよ。あるから。たとえば今から全ての立場を捨てて、ゴミでも漁って暮らす。それもある意味自由なんだよ。だって何にも縛られない生活だぜ? ……色んなもの捨ててるけどな」
これは当時から続いている今も変わらない俺の考えだ。
ここに関してのみは、当時と同感だ。
人は、何か大切なものを捨てるだけで案外身軽になれるものなのだ。ただ、その代償が大きくなってしまえば結果として自由を失う。それだけの話なのだ。
とはいっても、この考えにはまだ青い部分もある。全ての立場を捨てても、法や人など縛るものはたくさんあるのだ。その辺が、まだ当初の俺にはよくわかっていなかった部分だ。
「……それは、たぶん、本当の、私の欲しい自由とは……違う気がする」
それを無意識のうちにわかってか、『彼女』もそれなりに反論する。
そう、これは『彼女』の反撃だったのだろう。この言葉に対して、何か反論して欲しかったのだろう。そうすることによって、話しながら自分なりの答えを見つけたかったのだろう。
しかしながら、俺はそれをあっさりと肯定した。
「ああ、その方法じゃ駄目だ。何故なら人は、大事な何かを捨てないために自由を犠牲にしているんだ。あんたもそうだったんじゃないのか? 無難な今を壊したくないとか、さ」
「……っ!」
「だから自由を手にするってのは何かと引き換えなんだ。お前にとって自由っつーのは、何かを犠牲にする価値のあるもんなのか?」
「……」
無言。
無視している、というよりは返答に困っているようだ。彼女にとって自由の代償とは、過去の俺の想像以上に大きなものだったのだ。今までそれを考えないようにしてきた彼女に、奇しくも何も知らない俺が現実を思い返させたのだ。
その状態が数分間続いた。
そしてようやく『彼女』が、その小さな口を開く。
「……どっちも、大事……選べない……どうしよう……」
ぽつりぽつりと零された言葉には、最早強い意志など宿っていなかった。
「……そうか、でもそれでいい」
だが、それでも俺は、強く肯定した。
迷いのあるその言葉を。やたら上から目線で。
……何様だお前。
「え?」
「どっちも大事なら、どっちも捨てない方法探しゃいいだろ」
「いや、それは……なんというか……えぇー?」
「つーかお前、みんなのとこ戻ったら自由なくなるとか言ってるけどさ…」
俺の目に強い意志が宿る。
……また来るのか……来ちゃうのか……
「たとえ何処に行ったってお前はお前だろ? 今回だって行動出来てんじゃねぇか。そうやって自由を求める意志がある限り、人は何処へだって飛べるさ」
はい、恥ずかしい中二台詞ありがとうございました。
……ホント凄いな過去の俺、恥ずかしくないのか!?
現在の俺は聞いただけで悶絶しそうだった。
だが『彼女』は今の俺とは間逆の反応を見せた。
「……どこに行っても、私は私……か」
……ちょっと感動しちゃってるよ! 嘘だろ!?
「ああそうだ、だから早くここ出て……みんなのとこ帰ろう! ねぇ帰ろう!?」
……昔の俺しつけぇ! てかさっきの説得は全部そのためかよ……我ながら性格悪いな。い、いや、今は別に……そんな性格悪かねーよ…
「ありがとう。胸のモヤモヤが晴れた。なんか、すっきりしたかもしれない……」
「そうか良かったな。帰ろう」
「うん、そろそろ帰るよ……」
そう言うなり、部屋の奥にいる影が立ち上がる。
そうしてそのままこっちに歩いてくる。近づくにつれ、月明かりに触れる面積が多くなり、『彼女』の全貌が見えてくる。
長い銀髪の美女がこちらに歩いてくる。明らかに西洋風の顔立ちなのにも関わらず、着物がよく似合っている人だった。
「……え、誰……?」
ここに来てようやく誤解を解く過去の俺。
だがもう遅い。
「じゃあ私、帰るね。わざわざ迎えに来てくれてありがとう。『魔王様』」
そう言って『彼女』は俺の胸に手を当てる。不覚にもドキリとする。
「え、あの、何処へ……?」
ぽかんとしてる当時の俺。
状況についていけてないようだ。それはそうだろう。
俺からしてみれば、ただいなくなった女子に話しかけてただけなのに、実はそれは全くの別人で、しかもよくわからない電波発言をしてくる子だったのだ。これが混乱しないわけがない。
「もちろん……『魔王様』の中へ……」
「はいぃ!?」
『何この超展開!? わけわかんないんだけど!』という気持ちが、言葉に出さなくてもわかるぐらいに伝わってくる。
……ぶっちゃけ超展開だよなぁ。
……こうして、いきなり『彼女』は発光しだして、辺り一面が光に包まれたと思うと……
「ちょ、はい!? 何!?」
次の瞬間、彼女の姿は跡形もなく消えていたのであった。
「え? き、消えた…? それより今光って……つか魔王って何? え? え?」
何が起きているか全く把握しきれていない当時の俺。
自分のことだから気持ちは痛い程よくわかるが、流石に『え?』を連呼し過ぎな気がする。
【やあ】
唐突に。また頭に声が響く。
現在の俺にとってはひどく懐かしい声。
過去の俺にとっては……
「うひぇああ! また出た! 車輪お化けぇぇぇ!」
墓場で出会った、車輪型のカミクズのトラウマがまだ残っていたらしい。
そういやあいつも頭に直接語りかけてきたから、また来たのかと勘違いしたのか。
【車輪お化け…?】
「ぎゃあぁぁぁ! 来るな……! 来るなぁ……って、その声……」
その声を『俺』は知っている。
過去でも現在でも、聞き覚えのある声。
さっきまでそこに居て話していた『彼女』の声。
【はぁ、ようやく気づいてくれた。ただいま、魔王様!】
「だから魔王って誰!? もしかして俺のこと言ってんの!? 勝手に話進め…な…い…で…」
それだけ残して、昔の俺はブッ倒れた。
もともと頭を使うのは苦手なタイプであり、尚且つイレギュラーには弱いのだ。
ここまでの展開に頭がついていかず、混乱してしまったのだろう。
さらに廃寺という常に緊張感が強いられる場所にいたため、限界だったのだろう。色々と。
……つか、この時はマジで限界だった(本人談)
まあ、何はともあれ。
この日、俺は悪霊(?)に取り憑かれたのであった。




