還れない者の行方
境界を越えた先でカロンたちが目にしたのは、焼却炉に囚われ続ける大量の魂だった。
炎によって縛られ、苦しみだけを抱え続ける怪異たち。
境界守として、その異常を見過ごすことはできなかった。
魂を還したカロンは、原因を作った者たちの存在を知る。
これは単なる事故ではない。
境界を弄ぶ者たちと、カロンは向き合うことになる。
境界を通過した。いわゆるテレポート。シダーは原理に関して考えることは一旦やめたようだった。
「ここの階か……淀みしかない。」
シダー「凄い…。本当に来たんですね…」
シダーは知っているはずの景色を落ち着きもなく見渡している。
「あれ……は…」
地獄だった。死体はない。それでも奥にある1つの部屋から苦痛に満ちた声が、叫びが絶え間なく響いている。扉の隙間からは、幾重にも重なった黒焦げた魂が外へ這い出ようともがき、互いを押し潰し合っていた。
「どれだけ焼いたの…」
声が震える百体は超えている。この建物が、この地域が無事なだけ奇跡だ。これだけの魂が一か所に閉じ込められているのに、この建物も、この地域も崩壊していない。あり得ない。怨霊にもならず、暴走もせず、ただ焼かれた苦しみだけを抱え続けている。
「なんで…」
シダー「カロンさん……?」
強く動揺し立ち尽くしているカロンの肩に手を添えようとした。
「触るな」
一瞬で空気が凍りついた。境界守の声に初めて温度が宿る。それは温もりではない。底の見えない、冷たい怒りだった。
境界守は扉へ近づいていく。早く還してあげなければ。なぜ留まっているのか。扉の窓から見えた景色に足が止まった。
「火が…消えてないんだ…」
全部繋がった。
魂と火は強く結びついている。焼かれた怪異の魂は燃え続ける限り離れられない。暴走や怨霊化すら許されない状況。苦しみだけが積み重なっていく。
ーー拷問だ。
シダー「カロンさん!どういう状況なんですか?」
さっき魂の概念を知ったばかり。文献を読んでいたとしてもただの情報として頭に入れていただけなのか。
「中見なよ。」
シダー「中って…焼却炉です。……!火が。」
知識はあるらしい。魂が見えている素振りはない。見えているのなら逃げ出していて当然だ。こんな景色。
「焼かれた魂が、炎に縛られてる。」
「逃げることも、暴走することもできない。」
「苦しみだけが積み重なってる。」
「……どれだけの苦痛か、分かる?」
「境界を壊しかねない。最悪の行為だ。」
火を消せば、魂は解放される。だが、その瞬間から暴走と怨霊化が始まる。この数だ。一歩間違えれば、この街は終わる。
「外から火、消せる?」
シダー「はい。消せますが…。ひ、一人で行くんですか…?」
「死にたいなら来な。」
シダー「……。」
「あたしを中に入れて。早く。」
声は冷静だった。苦痛からの解放。それを迅速に行うのが今の最適解だ。
シダー「は、はい。開けます。」
鍵を回し扉が開いた。シダーには燃え続ける火以外はいつも通りの焼却炉だ。ただしカロンの表情は、大量の惨殺死体でも見たような表情だった。
「扉閉めて。」
密室。1つでも暴走した魂が外に出れば被害が出る。複数となればこの地域が危ない。
カロンは焼却炉を見据え、静かに息を吐く。
「この室を魂の檻とする。」
青白い膜が部屋全体を覆い、扉をすり抜けようとしていた魂たちが、ゆっくりと室内へ押し戻される。
「シダー。火。消して。」
ゆっくりと鎮火されていく。魂の唸り声が大きくなっていく。廊下を揺らすほどの怨嗟が一斉に溢れた。怨霊化するもの、暴走するもの。部屋から出ようと必死に結界を引き裂こうとしている。
「苦しかったね。痛かったね。もう大丈夫。還れるよ。」
境界守は空に手をかざし目を瞑った。
「その嘆きを、終わらせよう。その怒りを、眠らせよう。」
「もう、舟は待っている。岸は遠くない。恐れるな。」
優しさに満ちた声だった。魂の色が変わっていく。焦げた黒から、深い紫へ。そして徐々に透明に近づいていく。外殻の焼痕が溶けるように剥がれ落ちていく。本来の姿へ戻っていく。
鍵を取り出し、境界を開く。
「境界は開かれた。汝らを、還るべき場所へ送る。お還り。」
コインが強い光を帯びる。一枚のはずのコインが、百を超える魂の送り賃を静かに受け取っていた。 1つ目が、ためらうようにカロンの周囲を回り、そして門へ向かった。続いて2つ目、3つ目。次々と還っていく。
焼却炉に響いていた叫びは、もうなかった。残るのは、炎の消えた炉の静けさだけだった。最後の一つだけが少し留まった。カロンの掌の近くで小さく明滅し、まるで礼を言うように一度だけ強く輝いて、門を潜った。
焼却炉から、全ての魂が還った。役目を終えたように結界も薄く透明に消えていく。
「良かった。」
かざしていた手がだらんと下りた。
静かに扉が空く。恐る恐るシダーが覗いている。
シダー「カロンさん。状況は…終わった…みたいですね。」
「続けるんでしょ。その場しのぎにしかならない。」
止めないと。止めないといけないけど。また人間に干渉することになる。半端な技術だけ身につけて、境界に触れる。私欲のために犠牲を出すことを躊躇わない。1番嫌いな所だ。
「あたしは境界守だ……。」
シダー「カロンさん…?」
「指示してるやつがいるんでしょ。会わせて。」
シダーは息を呑んだ。
シダー「な、何をするんですか。そもそも僕は研修生です。そんな権限なんて…。」
「まずは話。その、カロン?が来たって言えばいいでしょ。あんたの顔見ればどんな扱いされてきたか多少は分かる。連れて行って。」
シダー「……分かりました。中に入る交渉は僕がします。」
シダーは交渉のシミュレーションを繰り返しながら、早歩きで部屋を出た。境界守も、その背を静かに追う。
焼却炉にはもう、叫び声はない。
「もうこんな苦しみ方はさせない。」
小さく、力強く呟いた。




