願いを叶える者
2018年、東京。
咲野多恵は、ごく普通の高校二年生だった。
友人と笑い、勉強を教え、家に帰る。
誰にでもある日常。
ただ、その胸の奥には誰にも言えない虚しさを抱えていた。
「自分が生きている意味なんてない」
「せめて誰かの役に立てたら」
そんな願いを抱いた夜、多恵は一体の怪異と出会う。
――「望みをひとつ言え。なんでも叶えてやろう」
そして彼女が願ったのは、
「人の願いを叶えられるようになりたい」
だった。
ーー怪異。
それが生まれる理由は山ほどある。怨念や悲しみ。歓喜や幸せ。恐怖や信仰。あるいはーー契約。
2018年。東京のとある高校の終業式。
友人「たえー。夏の課題どっかにやりに行く?」
多恵「あー。図書館行く?クーラーあるし。七麗彼氏は?遊ばないの?」
七麗「遊ぶ遊ぶ。毎日遊ぶ訳じゃないし。多恵先生の授業が楽しみですので!」
咲野 多恵。高校2年。そこらにいる高校生。ただの人間。……この時はまだ。
七麗「またねー。明後日お昼図書館ね!連絡する!」
多恵「じゃあね。」
切り替わるように柔らかい表情が薄くなる。悲しげで希望もないような。
多恵「ただいま。」
静寂が広がる。両親も兄も帰ってきていないようだ。
ーー独りの時間。
自室へ入る。カバンをその場に手放しベッドへたどり着けぬまま膝から崩れ落ちる。
多恵「なんで生きてんだろ。」
目の前の全身鏡が目に映る。生気のない目。乾いた口。辛うじて座っている体。見るに堪えないものだった。軽く唇を噛み目を逸らす。
痛いのも嫌。苦しいのも嫌。ずっとこんな……。
多恵「七麗に教えるとこ復習しよ。まだ最初の方だったよね。干支と十干だから…」
スラスラとペンが動く。現実を忘れられるものなら何でもやった。音楽、ゲーム、小説、勉強。最近はそれも追いつかない。末期だ。
多恵「こんなもんかな」
兄「ただいま。」
部屋の前に兄が立っていた。
多恵「おかえり。足跡くらい鳴らしてよ…。影薄すぎ。」
兄「…るっせ。課題やんの?なんかあったら聞けよ。」
多恵「平気。」
兄は無言で部屋に戻る。兄はなんでもできる。何ができないのか分からないくらい。強いていえばコミュ症くらいかな。対人となると不器用が凄い。優しいんだかなんだか。
少し気まずさを感じながら兄の部屋へ行く。
多恵「父さんと母さんは?今日遅い?」
兄「遅くなるから自炊しとけって。俺いいから自分の分やって。」
多恵「へい。」
あたしも別に良いか。もう22時。夏休みだけど生活リズムは崩せない。寝るか。
諸々終わらせベッドに寝転がり天井を見つめる。何してんだろ。なんのために何してるの…?生きるためじゃない。なんのため…。
涙が零れる。無力感や劣等感が胸の奥に絶望を滲み出させる。
ーー翌日。
七麗のスマホが鳴る。"先着いて左奥の席確保してるからかもん"多恵からだった。
図書館の自動ドアを跨ぐと心地よい涼しい空気が流れ込む。
七麗「お待たせー」
多恵「おつかれ。スポドリ、飲みな。」
七麗「先生奢りですか!ありがたきー」
いつものノリで拝むように手を擦り合わせる。多恵は微笑みながら教材を広げる。
多恵「やるか。」
ーー1時間後。
七麗「ん?十干がなんなんだっけ?」
七麗は額にペンを当てながら眉間に皺を寄せる。
多恵「10日間を区切るために使われてたやつ。十二支と合わせて占いとかもあるね。んで…」
七麗「占い?なにそれやりたい。」
多恵が時計を見る。
多恵「1時間やったし休憩がてら占いする?」
七麗「やるやる!どうやってすんの?」
多恵「まずうちらは2002年生まれの午年。干支と十干を組み合わせて見ると…壬午だね。」
七麗「みずのえ…?」
多恵「これ1周で60年あるの。午年でもうちらの壬の他に、丙とか甲とか。十干によっては強さもある。性格の占いとかよく見るかも。」
七麗「強さって?あたしらは?」
多恵「壬午は勘の鋭さとか行動力と頭の回転の速さとか。戦う強さとかじゃないからね?」
七麗「戦闘力的なやつかと思ったー」
七麗が残念そうに天井を見上げる。
多恵「ただし、丙午は迷信だけど女が男を喰うって言われてる。夫の命を縮めるとか。丙午の年は厄災が多いとか。」
七麗「なにそれ怖。呪いレベルじゃん。」
多恵「根拠はないんだけどね。昔の人は信じて丙午の歳だけ出生率が低かったんだって。」
七麗「先生は物知りですなぁ。」
多恵「調べたら出てくるって。いいとこだし再開するよー。」
七麗「うぅ…。はい…。」
ーー4時間後。
多恵「そろそろ夕方だしお開きにする?」
七麗「そうします…」
久しぶりの勉強漬けで七麗が机に突っ伏している。
多恵「隣のカフェ行くかー」
七麗「行こ!ひんやりココアが飲みたいんだ〜。あ、彼氏に連絡しとこ。」
多恵「切り替えの速さ…」
七麗が微笑む多恵をじっと見る。
七麗「たえってさ。たまにふわふわしてるよね。なんか…心ここに在らずー!みたいな?」
言葉が詰まる。図星だった。
多恵「そう?」
その場しのぎの一言。そんなこと自覚している。痛いほど。苦しいほど。
多恵「早く行こー。うちも疲れちゃった。カフェオレ飲みたい。」
七麗「行こ行こー」
七麗「糖分生き返る…」
多恵「今日頑張ったもんね。」
七麗「やっぱたえは保護者目線なんだよなー。精神年齢高いよなー。」
多恵「どこがよ。気のせいだよー」
七麗「あ、そろそろ時間。彼氏と待ち合わせしてるんだ。また今度教えて!またね!」
多恵「じゃあね。気をつけて。」
微笑みながら手を振る。そしてまた独りになる。表情が薄くなる。
多恵「帰ろ。」
いつもより遅く帰路に着く。世界が遠い。全部等身大なはずなのに全て大きく感じる。
ーーたえってさ。たまにふわふわしてるよね。なんか…心ここに在らずー!みたいな?
七麗の言葉が頭をよぎる。
多恵「ほんとだよね。」
玄関のドアを開ける。靴がない。また誰もいない。独りの時間。
多恵「ただいま。」
返事が返ってくるはずもないのに言葉が出る。
「おかえり。」
突然後ろから声がした。咄嗟に振り向く。
多恵「兄さん…。心臓止まるかと思ったじゃん…」
兄「帰ってきたら玄関空いてるほうがビビるだろ。」
多恵「……おかえり。」
兄「ただいま。」
自室に入った瞬間力が抜けベッドに倒れ込む。
多恵「……疲れた。」
今日の勉強だけではない。重みの籠った言葉。
ーー誰かのためになれば少しは報われる。
そう願って毎日過ごしている。何の根拠もない願い。
天井を見上げながら思考が止まる。気づけば夜になっていた。
多恵「20時。散歩行こ。」
とにかく1人になれる場所が欲しかった。1人に。
緑道。公園へ続く自然に囲まれた場所。公園は立地も高く眺めがいい。夜景が星空に見えた。家も。星空との違いはそれぞれの光に人の人生がある事だ。視界に移る光を感じるだけで目が回る。
そよ風がなびく。風が体に溜まった嫌なものを流してくれる気がした。全てじゃなくても。
ーー夜21時半。
多恵「帰らなきゃ。」
来た道をまた歩く。街灯の明かりも木々に遮られ足元に光はぼんやりとしている。またいつもの暮らしが待ってるんだ。
その時。
視界が暗くなった。身体が重い。暖かいような冷えきったような曖昧な感覚。
ーー何かいる。
??「人間。」
人間……?どういう事?人じゃない?足がすくんで動かない。
??「望みをひとつ言え。なんでも叶えてやろう。」
多恵「望み…?」
望みなら山ほどある。前向きになりたい。生きた感覚が欲しい。楽しみが欲しい。……違う。
うちの望みなんか叶っても……。世間にメリットなんか無い。意味の無い人生送ってきたんだ。せめて人の為になら…。
多恵「なんでもいいの…。」
??「あぁ。なんでも叶えてやるさ。」
多恵「人の願いを叶えられるようになりたい。」
??「あいわかった。ただしお前は今から人間では無い。死ぬことも許されぬ。願いを叶えた物を見送れ。拒みは許されん。」
多恵「え……?そんな、聞いてな…」
??「聞かれてないからな。満月と三日月の日に願いを叶えろ。お前と通ずる館があるはずだ。」
それだけ残し何かは消えた。
多恵「どういう事…。人間じゃないって。……?」
多恵が振り返る。緑道の奥。何かがある。呼んでる。
歩き続けた。緑道を外れ草むらをかけ分ける。
目の前には小さな洋風の館。ここが呼んでいる。
恐る恐る近づきドアノブに触れる。1番先に来たのは…安堵だった。ドアを開く。
中には大量の天体道具。天井には星一つ無い夜空。
紺色の机の脇に黒い椅子が2つ向かい合っている。紺の夜空と金に囲まれた空間。
違和感に気づいた。館に入ってから服の肌触りが変わった。私服じゃない。全身を見渡す。
白いドレスシャツ。淡い水色の丈の長いアシンメトリースカート。アンティークブーツ。ミストブルーと紺色のグラデーションの天体模様のローブ。ローブには馬酔木の金刺繍。
多恵「なにこれ……うちの服…。」
家……には帰れない…。どうしたら…。
多恵「役に立てば報われる……。かな。」
この時は甘すぎる考えに飲まれていた。
多恵「とりあえず外歩こ…訳わかんない…」
緑道を歩く。夜中の11時。しばらく歩くと人影が1つ。
犬の散歩らしい。スルーして歩こうとした。
飼い主「お嬢ちゃんこんな時間に外出ちゃダメでしょ?こんなに服に草くっつけて…。」
服を払ってもらっている…はずだった。服が私服に戻っている。
多恵「あれ…服…。」
飼い主「補導されるよ?下の名前なんて言うの?家まで送ってあげるから。」
多恵「ご迷惑おかけ致します。私は……えっと…」
名前が分からない。自分の名前…。忘れることなんかある?あれ?
多恵「だ、大丈夫です!すみません!」
館へ走った。今の唯一の居場所へ。
多恵「はぁ…はぁ…なんで…?」
ひたすら混乱した。記憶どころの話じゃない。自分の名前を忘れるわけが無い。でも思い出せない。
多恵「部屋見て落ち着こ…。一旦違うもの。」
混乱しながらも部屋を見渡す。部屋の1番奥。古い皮の本が1冊だけ置いてあった。恐る恐る開く。
ーー馬酔木の花に秘められし言の葉、贄なり。
印の言葉。されば、贄を厭わぬ者にのみ、花は願いを聞き届けん。
多恵「印の言葉…?合言葉…ってこと?それが馬酔木……。花に秘められし言の葉…花言葉?贄って…」
合言葉を聞かないと叶えられない。叶えるには犠牲が必要。そんな犠牲なんか測れないよ……。代償は必要ってことか…。
でもまず家に連絡しないと…このまま話しても信じてもらえるわけ…。でも帰らなきゃ。
スマホ…あれ……?電源つかない…。早く帰らなきゃ。
出来るだけ早く走る。息も絶え絶えだ。救急車のサイレンがうるさい。早くつかない……と…。
角を曲がると家の目の前に救急車が止まっていた。家には兄さんしかいなかったはず…。
多恵「兄さん!?そんな…なにが……え?なにあれ…」
兄「███!!███!!起きろ!頼む…」
担架で運ばれている自分に兄が必死に声をかけている。
多恵「兄さん……?うちここにいるよ…?」
勝手に足が走り出した。野次馬が邪魔だ。避けようとした時。
誰にもぶつからず勢いあまり転んだ。
ーーすり抜けた。
多恵「……?…え?」
理解できないままよろめきながら兄に近づく
多恵「兄さん。ここいるってば。ねえって。……兄さん!!」
届かなかった。ただ立ちすくむことしか出来なかった。必死に叫ぶ兄の声。担架で動かない自分の体。ザワザワと小声を零す野次馬。
救急車は自分と兄を乗せ病院へ向かい、野次馬も去った。家に……。
ドアノブを掴んだ。掴める。せめて部屋に…。
自室へ走る。なにこれ…。
部屋が荒らされていた。泥棒ではない。鋭く大きい爪痕。化け物だ。何が来たの。
多恵「……!なんか…いる。」
逃げなきゃ。
ひたすら走った。館へ。足が絡んでも関係ない。ただただ走る。
館に入った瞬間。膝から崩れ落ちた。
多恵「意味わかんない……。なにこれ…。夢から醒めてよ……」
涙がこぼれた。自分の現状。家に帰った時の光景。誰にも頼れない状況。絶望だった。
泣き疲れ眠ってしまった。翌朝。
何をしたらいいかも分からない。目的もなく緑道を歩いた。夜になれば館に戻る。それが数日続いた。
何日目かわからなくなった。数えてないだけかもしれない。公園から街を見ていた。家の近くに喪服を着た人が集まっていた。
すぐに分かった。
多恵「うちの……」
咄嗟に走った。抑えきれない嫌な予感を耐えながら。角を曲がれば……
やっぱりうちの家だ…
やだやだ…だってこれじゃ…。うちが……。
玄関かリビングが見えた。
ーー自分の遺影。
分かってた。分かってたけど…。
1人の少女に目が止まった。周りの目を気にせずひたすらに大泣きしている。
多恵「違うよ。死んでないって。ねぇ…。……!」
まただ。名前が出てこない。友達…いつも一緒にいて。一緒に遊んで勉強して…。……名前。思い出せない。
気づけば館に戻っていた。隅に座り込み赤く腫らした目で遠くを見つめていた。今日は何故か部屋が明るい。
ーーチリン。
ドアが開いた。助けてくれるかも…。
ドアの方向に目を向けた。……え?
ストライプのスーツで身をまとった人型の怪異が立っていた。頭が…電球…?街灯…?
??「これは、噂通りですね。綺麗なお方だ。」
"馬酔木を…捧げに参りました。"
多恵「馬酔木…。願い…ですか。」
??「はい。私、灯鳴と申します。以後お見知りおきを。」
人の願いを叶えるものだと思っていた。化け物が来るなんて……。あれを見たあとだ。どうにでもなればいい。椅子に座った。
多恵「願いはなんですか。どうぞ。」
椅子を勧める。
灯鳴「失礼致します。この辺りの街灯が古くなってしまって。手入れはしているのですが、本来の光も灯せず。可哀想でしょう?なので貴方に修復していただきたいのです。」
多恵「工事なんか出来な……。…!」
激しい頭痛と自分の葬式がフラッシュバックした。
なに?なに?…!
ーー拒むことは許されん。
拒否権がない。
多恵「わ、分かりました。ただどうやってやれば……!」
頭に流れ込んできた。対価。代償だ。
多恵「あなたの力の2割をいただきます。」
灯鳴「かしこまりました。お願い致します。…!」
灯鳴が膝を崩した。力が吸われたんだ。
多恵「これで…大丈夫だといいですが…」
灯鳴「いえ、ありがとうございます。電熱を感じる…。皆が活気を取り戻しました。ありがとうございます。では私はこれにて。」
丁寧にお辞儀をした後ドアから去っていった。閉まるドアの隙間から優しい光が見えた気がした。
多恵「出来た…のかな。」
ドアの小窓から満月が大きく輝いていた。




