第二話 レモネード
大学の中庭には、すでに折り紙の飾りが揺れていた。
赤、青、黄色、緑。
風が吹くたび、紙の鶴や星がくるくる回る。
芝生の上にはテーブルが並び、学生たちが慌ただしく準備をしていた。
「ミア!」
クラブ代表のエミリーが駆け寄ってきた。
金髪をお団子にまとめ、ピンクの浴衣を着ている。
帯は少し曲がっていたが、本人は気にしていない様子だった。
「すごい! 本物の浴衣だね。きれい!」
「エミリーのも似合ってる」
「ありがとう。YouTubeを見ながら三回やり直した」
二人は笑った。
ミアは木陰に小さな屋台を作った。
白い布を机にかけ、手書きの看板を置く。
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LEMONADE
YUKATA SPECIAL
"$5 Cash or Venmo!"
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エミリーがそれを見て首を傾げた。
「浴衣スペシャルって何?」
「わからない」
「わからないの?」
「でも、ちょっと楽しそうでしょ」
「最高」
レモネードのピッチャーを置くと、氷が涼しげな音を立てた。
太陽はまだ高い。
ユタ州の乾いた暑さが芝生の上に広がっている。
湿度は低いのに、日差しだけは肌にまっすぐ刺さるようだった。
祭りが始まると、学生たちが少しずつ集まってきた。
浴衣を着た学生もいれば、Tシャツに短パンの学生もいる。
日本語を勉強している人、アニメが好きな人、友達に誘われただけの人。
いろいろな人が、折り紙を折ったり、箸で豆をつかむゲームをしたり。
たこ焼きに似せた何かを食べたりしていた。
ミア達のレモネード屋台にも、すぐに列ができた。
「これは日本の飲み物?」
最初に来た男子学生が尋ねた。
「いいえ。たぶん、アメリカの飲み物」
「じゃあ、どうして浴衣スペシャル?」
ミアは少し考えた。
「浴衣を着た人が作っているから」
男子学生は大きく笑った。
「それなら納得」
彼はVenmoで5ドルを決済し、紙コップを受け取った。
一口飲むと、驚いた顔をした。
「おいしい。少し塩が入ってる?」
「よくわかったね」
「祖母がメキシコで作ってくれたレモネードにも、塩が入ってた」
ミアは手を止めた。
「そうなんだ」
「うん。暑い日に飲むと最高なんだ」
彼はそう言って、芝生の向こうへ歩いていった。
ミアはしばらくその背中を見ていた。
日本の祖母が教えてくれた塩入りの味が、メキシコの祖母の味とつながる。
ユタ州の大学の中庭で、浴衣を着た自分が、それを紙コップに注いでいる。
世界は時々雑に混ざっているようで、実は見えないところで丁寧に結ばれているのかもしれない。
昼過ぎになると、客足はさらに増えた。
レモネードはよく売れた。
氷はどんどん溶け、ピッチャーの底が見え始めた。
ミアは予備のレモンを絞り、砂糖を足し、水を注ぎ、また少し塩を入れた。
そのとき、ひとりの老婦人が屋台の前で足を止めた。
白髪を短く切り、青いワンピースを着ている。
学生ではない。
たぶん近所の人か、大学の関係者だろう。
彼女はミアの浴衣をじっと見つめていた。
「その服は、日本のもの?」
「はい。浴衣です」
「ユカタ」
老婦人はゆっくり発音した。
「きれいね。花の模様?」
「朝顔です」
「朝に咲く花?」
「そうです」
老婦人は嬉しそうに微笑んだ。
「私の母も、朝に咲く花が好きだったわ。
ユタの砂漠にも朝だけ咲いて、昼には閉じてしまう 花があるのよ」
「砂漠にも?」
「ええ。雨のあとだけ咲く花もある。
短い時間だけど、とてもきれい」
ミアは、浴衣の朝顔を見下ろした。
日本の夏の花が、ユタ州の砂漠の花と重なる。
「レモネードを一杯いただける?」
「もちろんです」
ミアは紙コップにレモネードを注いだ。
老婦人はそれを受け取り、少しだけ飲んだ。
「ああ、おいしい。懐かしい味」
「懐かしい?」
「昔、夫と南の方へ車で旅をしたの。
モアブ、キャニオンランズ、アーチーズ。
赤い岩ばかりの場所よ。暑くて、喉が渇いてね。
道沿いの小さな店で飲んだ、
その時のレモネードが忘れられないの」
老婦人の目は、今見ている中庭ではなく、遠い赤い岩の道を見ているようだった。
「夫はもういないけれど、レモネードを飲むと思い出すわ。
車の窓を開けて、熱い風が入ってきて、ラジオから古い歌が流れていたこと」
ミアは黙って聞いた。
人は、故郷だけではなく、失った時間も味で持ち歩くのだと思った。
「あなたは日本から?」
「はい」
「遠いところから来たのね」
「とても遠いです」
「寂しくない?」
ミアはすぐには答えられなかった。
寂しい、と言えば簡単だった。
実際、寂しくないわけではない。
夜、アパートに帰れば、窓の外に知らない山並みが見える。
スーパーの棚は見慣れない調味料ばかり並んでいる。
寂しさはある。
けれど、その寂しさはいつも同じ形ではない。
時々、寂しさは新しい場所を知るための隙間になる。
そこから風が入ってきて、知らない匂いや声を運んでくる。
だから、寂しい日もあるとミアは正直に言った。
「でも、今日は少し平気です」
老婦人は優しく頷いた。
「それならよかった」
彼女はレモネードを飲み干し、コップを小さく振ってから去っていった。




