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無能と罵られ婚約者も奪われたので全てを捨てて辺境でスローライフを始めます  作者: 希羽


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20/21

第20話:平和を汚す者と、静かな怒り

 その日の午後は、いつもより少しだけ風が冷たかった。


「ルーク様! 見てください、図書館カフェの裏に植えたお花が咲きましたよ!」


 シルフィが、エプロンのポケットに小さな花を挿して、嬉しそうに報告してくる。

 俺は淹れたての紅茶を一口飲み、その穏やかな笑顔に目を細めた。


「本当だ、綺麗な色だな。シルフィによく似合ってる」

「えへへ……ありがとうございます!」


 シルフィは顔を赤くして笑うと、「皆様にもお見せしてきますね!」と広場の方へ駆けていった。


 本当に、ここでの生活は平和だ。

 かつての俺が喉から手が出るほど欲しがっていた『誰にも邪魔されない日常』が、ここにはある。


 ――だが、その平和が足元から崩れようとしていることに、俺は気づいていた。


(……虫除け結界に、小さな穴が開けられたな)


 俺が張った結界は、物理的な侵入だけでなく『悪意』の波動にも反応する。


 今、村の境界付近で、三つの不快な魔力が蠢いている。

 しかも、そのうちの一つには覚えがあった。


(宮廷魔術師団の……副団長の魔力か。まだ生きてたんだな)


 俺は椅子から立ち上がることなく、ゆっくりと紅茶を飲み干した。

 わざわざ結界に穴を開けて忍び込んできたということは、話し合いに来たわけではないだろう。

 嫌な予感がして広場の方へ視線を向けると、そこにはシルフィの姿がなかった。

 代わりに、地面に一輪の『小さな花』が落ちている。

 さっき、彼女が大切そうに胸に飾っていた花だ。


「…………」


 俺は静かに立ち上がった。

 怒りで頭が熱くなるかと思ったが、意外にも心は氷のように冷えていた。


「クロ。ちょっと留守番を頼む。エルフのみんなを家の中から出さないようにしてくれ」

『グルル……?』


 日向ぼっこをしていた黒竜が、俺の異変を察して身を起こした。


「大丈夫だ。……ゴミ掃除に行くだけだから」


 俺はそのまま、村の境界にある深い森へと足を踏み入れた。


 ◇◇◇


 森の奥。


 かつての宮廷魔術師団の副団長・バルトロは、捕らえたシルフィを魔法の縄で拘束し、醜い笑みを浮かべていた。


「ひ、離してください……っ! ルーク様が黙っていませんよ……!」

「黙れ、エルフの小娘。ルークだと? あんな腰抜けの男、人質さえいれば赤子同然だ」


 バルトロは、側に控える二人の暗殺者に合図を送る。

 彼らは旧王国で「影」と呼ばれていた、対人特化の魔術暗殺者だ。


「奴が来たら、即座に魔力封じの首輪を嵌めろ。あの膨大な魔力……再び我が国の盾として使い潰してやるわ。今度は逃げられぬよう、両足の腱を切っておくのもいいな」


 バルトロが下劣な計画を語っていると、森の木々がザワリと揺れた。


「……意外と早かったな、ルーク」


 木立の隙間から、俺が姿を現した。

 バルトロは勝ち誇ったように、シルフィの首元にナイフを突きつける。


「動くなよ! 一歩でも動けば、このエルフの首が飛ぶぞ! さあ、大人しく膝をつけ、ルーク!」

「ルーク様……っ! 来ちゃダメです! 逃げて……っ!!」


 シルフィが涙ながらに叫ぶ。

 俺は足を止め、無表情にバルトロを見つめた。


「……バルトロ。あんた、俺がどうしてあの国を出たか、まだ分かってないみたいだな」

「あぁ? 愛想を尽かされたからだろう? 安心しろ、俺たちが再び『居場所』を与えてやる。地下牢という最高の居場所をな!」


 バルトロの嘲笑が森に響く。

 俺はふぅ、と深い溜息をついた。


「俺は、すべてを諦めたんだ。名誉も、地位も、国への忠誠も。……でもな」


 俺の足元から、黒い魔力の波動が静かに広がり始めた。

 森の鳥たちが一斉に逃げ出し、空が急激に暗転していく。


「今、この場所にある『平和』だけは、絶対に諦めないと決めてるんだよ」

「な、なんだ……この魔力は……!? ひ、怯むな! こいつを殺せ!」


 バルトロが叫び、二人の暗殺者が影から飛び出した。

 彼らが手にした短剣には、あらゆる防御魔法を貫通する古代の呪いが込められている。


 だが。


「……邪魔だ」


 俺が指をパチンと鳴らした瞬間。


 ドォォォォォォォォォンッ!!!!!


 物理的な衝撃波ではなく、純粋な『質量を持った魔力』が二人を押し潰した。

 暗殺者たちは悲鳴を上げる暇もなく地面にめり込み、そのまま意識を失って沈黙した。


「な、な……っ!? ば、化け物か、貴様……っ!!」


 腰を抜かしたバルトロが、ガタガタと震えながらシルフィを盾にする。


「く、来るな! この女が死んでもいいのか!?」

「……シルフィ」


 俺が名前を呼ぶと、シルフィを縛っていた魔法の縄が、まるでおもちゃのようにパリンと砕け散った。

 俺の魔力が、彼女に危害を加える術式だけを選別して破壊したのだ。


「え……?」

「こっちへおいで、シルフィ。もう大丈夫だ」


 シルフィが俺の元へ駆け寄ってくる。

 俺は彼女を片腕で抱き寄せ、その頭を優しく撫でた。


「ごめんな、怖い思いをさせて」

「ル、ルーク様……っ」


 俺はシルフィを背後に隠し、地面を這いずって逃げようとするバルトロを見下ろした。


「バルトロ。あんたたちが守りたかった『国』は、もうどこにもない。……あるのは、あんたたちが犯した罪だけだ」

「ひ、ひぃぃっ! 助けてくれ、ルーク! 悪かった、私が悪かった! 何でもする、何でも話すから……っ!!」

「……謝らなくていいよ。あんたの言葉には、もう何の価値もないから」


 俺は右手を静かにかざした。


「『強制転送ディスチャージ』」


 まばゆい光がバルトロを包み込む。

 彼が飛ばされた先は――魔獣が跋扈し、もはや地獄と化した旧王国の王都跡地。

 そこで彼を待っているのは、かつて彼が見捨て、踏みにじってきた人々……ではなく、飢えた魔獣たちの群れだ。


 彼には、自分が望んだ『王国の再興』を、その身をもって味ってもらうことにした。


 森に、再び静寂が戻る。


「……終わったよ、シルフィ。帰って、温かい紅茶でも飲もう」


 俺が微笑むと、シルフィは俺の胸に顔を埋めて、わっと泣き出した。

 俺は彼女が泣き止むまで、ずっとその背中をさすり続けた。


 平和を汚す者は、もういない。


 俺はこの『究極の日常』を守るためなら、何度でも、世界を敵に回してでも戦うだろう。


 夕暮れの森を、俺たちは二人で、ゆっくりと村へ向かって歩き出した。

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