第21話:聖域の平穏と、姫騎士の誓い
森から村へ戻ると、そこにはいつも通りの、穏やかな風景が広がっていた。
「グルルゥ……」
村の入り口で待っていたクロが、俺たちの姿を見つけるなり、鼻を鳴らして近寄ってきた。
「ただいま、クロ。……もう大丈夫だぞ」
俺がクロの頭を撫でると、彼は安心したように目を細めた。
エルフたちも家の中から出てきて、俺と、俺の腕に抱きついたままのシルフィを温かく迎えてくれる。
「ルーク様、シルフィ! ご無事で何よりです!」
長老が杖を突きながら歩み寄ってきた。彼は俺の表情を見て、すべてが終わったことを悟ったらしい。深くは追求せず、ただ「さあ、温かいお茶の準備ができておりますぞ」と微笑んだ。
◇◇◇
その日の夜。
村の広場では、事件の動揺を払拭するかのように、静かなお茶会が開かれた。
と言っても、俺とシルフィ、そしてちょうど村を訪れていたフローラ王女の三人だけの、小さなお茶会だ。
「……そうですか。旧王国の残党が、シルフィ殿を」
事情を聞いたフローラの顔は、怒りで険しくなっていた。
「なんという卑劣な……! ルーク殿、我が国からも公式に抗議と、残党の掃討部隊を派遣いたします。これ以上、この聖域を汚す不届き者を許してはなりません」
「いや、そこまでしなくていいよ。もう、俺の知る限り厄介なやつは片付けたから」
俺はルミナス王国の最高級茶葉で淹れた紅茶を啜りながら、淡々と答えた。
バルトロたちを地獄(旧王都)へ送ったことで、もう彼らが戻ってくることはない。自業自得という言葉すら生ぬるい結末だ。
「それよりフローラ。頼みがあるんだ」
「はっ! 何なりと! 我が国の領土を半分差し上げましょうか!?」
「いらないから。そうじゃなくて……」
俺は、隣で俺の服の裾をギュッと握っているシルフィを見た。彼女の瞳には、まだ少しだけ不安の色が残っている。
「この村を、ルミナス王国の『聖域』として正式に認めてほしいんだ。地図には載せず、立ち入りを厳重に制限する『不可侵領域』としてさ。俺はただ、静かに暮らしたいだけなんだよ」
フローラは一瞬、呆気に取られたように目を見開いたが、すぐに深く深く、机に頭がつくほどに一礼した。
「ルーク殿が望まれるのであれば、我が国は全力をもってこの地を隠匿いたします」
フローラは顔を上げ、凛とした瞳で続けた。
「本日をもって、この森の周辺一帯をルミナス王国の『至高聖域』に指定いたします。許可なき者の侵入は、国家への反逆とみなし、私が責任を持って排除いたしましょう」
「……助かるよ。ありがとう」
これで、もう外の世界に怯える必要はなくなる。
俺は本当の意味で、過去を捨て、この場所で生きていく資格を得た気がした。
◇◇◇
フローラが帰路につき、村に静寂が戻った深夜。
俺はテラスの椅子に座り、満天の星空を眺めていた。
「ルーク様……起きていらしたのですか?」
パタパタと足音がして、シルフィがブランケットを持って現れた。彼女はそれを俺の肩にふわりとかけると、隣にちょこんと腰掛けた。
「ああ。ちょっと、空が綺麗だったからな」
「…………」
しばらく、二人で無言のまま星を見つめていた。
やがて、シルフィが小さな、震えるような声で呟いた。
「ルーク様。私……今日、ルーク様に助けていただいた時、思いました。私にとっての神様は、天にいる方ではなく、目の前にいるルーク様なんだって」
「シルフィ……」
「わがままを言ってもいいですか? 私……ずっと、ずっとルーク様のお隣にいてもいいですか? ルーク様がいつか、どこか遠くの神様の国へ帰ってしまわないか、怖くて……」
彼女の手が、俺の手の上に重なった。
少し冷たくて、でも一生懸命に熱を求めているような、小さな手。
「帰らないよ」
俺はその手を、優しく包み込んだ。
「俺の居場所はここだ。君がいて、みんながいて……毎日美味しいご飯が食べられる、この村が俺の『神の国』だよ。だから、どこにも行かない」
「っ……はい! はい……!」
シルフィは俺の肩に頭を預け、嬉しそうに涙を拭った。
彼女の髪から、ほのかに石鹸と、俺が淹れた紅茶の香りがする。
執着を捨て、すべてを諦めた先に見つけた、たった一つの『守りたいもの』。
星明かりの下、俺たちは夜が明けるまで、静かに寄り添い続けていた。
――その後。
俺を追放した王国がどうなったのか、俺は詳しく知らない。
ただ、風の噂では、防壁を失った王都は魔獣に蹂躙され、かつての王族や俺を裏切った女は、自分たちが捨てた「安らぎ」の価値を地獄の中で思い知ることになったという。
だが、今の俺にはもう関係のない話だ。
俺が全てを諦め、執着を手放した先に手に入れたのは、復讐の快感ではない。
大切な人の温もりと、美味しい紅茶、そして穏やかに流れる時間。
この小さな「神の国」で、俺たちの物語はこれからも続いていく。
(完)




