第16話:国家間の同盟と、ただの物々交換
ふかふかのベッドから体を起こし、フローラは呆然と周囲を見回した。
「……夢では、なかったのですね」
ルークが『お客様用』として一瞬で土から錬成したという迎賓館。
フローラが寝ていたベッドのシーツは、国宝級の天衣魔蛛の糸で織られており、雲の上にいるような寝心地だった。
蛇口をひねれば温かいお湯が出て、部屋の隅では見たこともない魔導具が心地よい風を送ってくれている。
ルミナス王国の王族である彼女の自室より、この辺境の村の『お客様用の部屋』の方が、何百倍も快適で豪華なのだ。
「姫様、おはようございます。ルーク殿が、朝食の準備ができたと」
同じく泥のように眠りこけていた騎士が、部屋へ呼びに来た。
フローラは身支度を整え、急いで外の広場へと向かった。
「お、おはよう。よく眠れたか?」
広場では、ルークがエルフの少女と一緒に、巨大な鍋でシチューを煮込んでいた。
足元では厄災の黒竜が腹を出して寝転がり、エルフの子どもたちがその上で跳ねて遊んでいる。
相変わらず、脳の理解を拒むような光景だ。
「ルーク殿! おはようございます! その節は、最高級の寝所までご用意いただき、誠に……!」
「いいっていいって。ほら、朝飯にしようぜ」
手渡されたのは、昨日余ったワイバーンの肉を煮込んだシチューと、焼きたての白パンだった。
一口食べただけで、再び莫大な魔力と生命力が全身を駆け巡り、フローラは危うく昇天しかけた。
「……ルーク殿。改めて、この度、我が国からの提案をお持ちいたしました」
食後。
フローラは居住まいを正し、真剣な表情でルークに向き合った。
周囲の騎士たちも一斉に緊張の面持ちになる。
「我がルミナス王国は、ルーク殿の圧倒的なお力と慈悲深さに感銘を受けました。どうか、我々をルーク殿の『傘下』に加えていただけないでしょうか!」
フローラは深々と頭を下げた。
「毎年、我が国の国家予算の半分を貢物としてお納めいたします! ルーク殿の村に手を出そうとする愚か者がいれば、我が国の全軍をもって殲滅をお約束します! どうか、どうかご検討を……!」
「…………」
大国の王女からの、事実上の『属国化』の申し出。
しかし、ルークは困ったように頭を掻いた。
「いや、そういうのはいいよ」
「……えっ?」
「俺は別に王様になりたいわけじゃないし、誰かを支配したいとも思ってない。ただ、ここで村のみんなと静かに、美味しいものを食べて暮らせればそれでいいんだ」
ルークの澄み切った瞳を見て、フローラはハッとした。
彼は本当に、権力や金といった『世俗の執着』を完全に手放しているのだ。
「それに、貢物とか言われても置き場所に困るしな。……あ、でも、ちょうどいい機会だから『取引』をしないか?」
「と、取引、ですか?」
「ああ。村で野菜や肉はいくらでも採れるんだけど、お茶の葉っぱとか、本とか、そういう娯楽品がないんだよ。だから、うちで採れたキャベツとかワイバーンの素材を渡す代わりに、そっちからお茶や本を送ってくれないか?」
「なっ……!?」
フローラは耳を疑った。
「そ、そんな……っ! 神話級の霊草や、国宝級のワイバーン素材と、ただの茶葉や本を交換するなど、あまりにも釣り合いが取れません! 我が国がぼったくっているようになってしまいます!」
「俺にとっては、茶葉の方が価値があるんだよ。ダメか?」
「ダ、ダメなわけがありませんっ!! 直ちに、国中の最高級の茶葉と、王立図書館の書物をすべてお送りいたします!!」
フローラは涙ぐみながらルークの手を握りしめた。
こうして、ルミナス王国は『最高級の物資をただの茶葉と交換してくれる、絶対に怒らせてはいけない超神聖不可侵の同盟国』を得ることになったのだった。
◇◇◇
その数日後。
崩壊寸前の旧王国、王城の謁見の間。
「……なん、だと?」
玉座に座る国王の顔は、死人のように青ざめていた。
「へ、陛下! ですから、隣国のルミナス王国へ送った使者が、追い返されたのです!」
ボロボロの伝令兵が、絶望的な報告を叫んだ。
「ルミナス王国はすでに、『辺境の森の主、ルーク様』と不可侵の絶対同盟を結んだと! そして、『ルーク様を不当に追放し、愚弄した貴国との国交は、本日をもって永久に断絶する』と通達が……っ!」
「あ、ああ……あぁぁぁっ……!」
国王は玉座から崩れ落ちた。
ルーク。その名を聞くたびに、後悔と絶望が胸を抉る。
自分たちは、ただの有能な魔術師を追放したのではない。
大国ですら平伏し、すがりつくほどの『生ける神』を、自らの手でゴミのように捨ててしまったのだ。
「終わりだ……。我が国は、ここで終わるのだ……っ」
ズドォォォォォンッ!!
その時、王城の堅牢な正門が、オーガの巨大な棍棒によってついに打ち破られた。
魔獣の咆哮が、城内に響き渡る。
「ヒィィィィッ!! 嫌だ、助けてくれ!! 誰か、ルークを呼んでこい!!」
王城の地下牢では、レオン王子が狂ったように泣き叫んでいた。
だが、誰も彼を助けには来ない。
かつて彼らが無自覚に享受していた『究極の安らぎ(絶対防壁)』は、もう二度と彼らの元へは戻ってこないのだ。
愚かな王国の歴史は、こうして静かに、凄惨に幕を閉じた。




