第13話:姫騎士の驚愕と、ただの村人
「た、ただの村人……ですか?」
ワイバーンの群れを気絶させた黒竜の隣で、銀鎧の女騎士――フローラが呆然と呟いた。
「ああ。辺境の森を開拓して、細々と農業をやってるんだ」
「の、農業……。厄災の黒竜を従えて、無詠唱の大治癒魔法を使う農家が、この世界のどこにいるというのですか……!」
フローラがツッコミを入れていると、俺の背中に隠れていたシルフィが、ひょっこりと顔を出した。
「失礼ですね。ルーク様は、ただの農家ではありません。生ける大地の神であり、我らエルフの絶対的な守護者様です!」
「……エルフ? 神……?」
フローラはさらに混乱したように頭を抱えた。
シルフィの言葉は半分以上勘違いなのだが、訂正するのも面倒になってきた。
「まあ、何者でもいいじゃないか。怪我が治ったなら、俺たちはもう行くよ。クロの散歩の途中だったからな」
「えっ? あ、お待ちください!」
俺がクロの背中に乗ろうとすると、フローラが慌てて立ち上がり、頭を下げてきた。
「名乗りもせず、失礼いたしました! 私は隣国ルミナス王国の第一王女にして、近衛騎士団長のフローラと申します! この度のご恩、なんとお礼を申し上げればよいか……!」
王女様か。どうりで立派な鎧を着ているわけだ。
「気にしなくていいよ。それより、こんな国境付近の山道で何をしてたんだ? お姫様が自ら来るような場所じゃないだろ」
「それは……」
フローラは少し顔を曇らせ、山道の先――俺がかつて住んでいた王都の方角を見た。
「ここから先にある王国が、突如として大量の魔獣に襲撃され、崩壊の危機にあるという急報を受けたのです。かつてあの国は『絶対防壁』という強力な結界で守られていたはずなのですが……」
「…………」
「我が国にも影響が及びかねないため、私が視察と救援の先遣隊として向かっていたのですが、途中でこのワイバーンの群れに襲われ……ルーク殿に助けていただいた、という次第です」
なるほど。
俺が結界の維持をやめたせいで、あの国は予想通り魔獣のテーマパークになっているらしい。
アリアやレオン王子は、今頃どうしているだろうか。
「……ルーク様?」
俺が黙り込んでいると、シルフィが心配そうに袖を引いてきた。
「ああ、ごめん。なんでもないよ」
俺はフローラに向き直り、肩をすくめた。
「悪いけど、その国の救援に行くなら、ワイバーンより凶悪な魔獣がうじゃうじゃいるはずだ。あんたの戦力じゃ、とてもじゃないけど命がいくつあっても足りないと思うぞ」
「それは……百も承知です。ですが、見捨てるわけにはいきません!」
「そうか。立派なお姫様だな」
かつての俺なら、フローラのその「自己犠牲」の精神に共感し、一緒に王都へ助けに行っていたかもしれない。
でも、今の俺は違う。
他人のために自分をすり減らすのは、もうやめたのだ。
それに、あの王都の人間たちがどうなろうと、俺の知ったことではない。
「じゃあ、気をつけてな。俺たちは村に帰るから」
「えっ……ル、ルーク殿! お願いです、どうか我々に力を貸していただけないでしょうか!?」
フローラが必死にすがりついてくる。
「ルーク殿のその途方もない力があれば、あの王国を救うことも可能なはずです! どうか、どうか……っ!」
「……悪いけど、断るよ」
「な、なぜですか……!?」
俺はクロの背中に飛び乗り、フローラを見下ろして静かに告げた。
「俺は、自分の手の届く範囲の日常だけを守れれば、それでいいんだ。それに……俺はもう、あの国には二度と関わらないと決めているからな」
「……っ」
俺の言葉に込められた冷たい響きに、フローラは息を呑んで後ずさった。
何か複雑な事情があるのだと、察してくれたのかもしれない。
「ルーク殿……。わかりました。無理を申し上げて、本当に申し訳ありません」
フローラは深々と一礼した。
しかし、彼女は顔を上げると、どこか決意を秘めたような瞳で俺を見つめてきた。
「ですが、命を救っていただいた恩は、必ずお返しいたします! 我々は一旦国へ戻り、態勢を立て直します。ルーク殿、貴方の村は、どのあたりにあるのでしょうか?」
「この先の深い森の奥だよ。でも、結界を張ってるから普通の人間には見つけられないと思うけど」
「必ず、ご挨拶に伺います!」
フローラの熱意に負け、俺は苦笑しながら適当に手を振った。
「まあ、来れるものなら来てみなよ。美味しいお茶くらいは淹れてやるから」
『グルルルルッ!』
クロが力強く翼を羽ばたかせ、俺たちは再び大空へと舞い上がった。
◇◇◇
「……信じられません」
空の彼方へ消えていく黒竜の影を見送りながら、フローラは震える声で呟いた。
回復した騎士たちが、彼女の周りに集まってくる。
「姫様。あの方は、いったい……」
「わかりません。ですが……あの方の力は、一国の軍隊すら赤子のように捻り潰すほどの魔力をお持ちでした。もしあの方が敵に回れば、世界は終わります」
フローラはギュッと拳を握りしめた。
「ですが、あの方の瞳には、一切の野心や邪気がありませんでした。まるで、すべての執着から解き放たれた、本物の神のような……」
彼女は、ルークが飛び去った辺境の森を真っ直ぐに見つめた。
「王都への救援は中止します。急ぎ本国へ戻り、父上に報告を。……我々ルミナス王国は、何があってもあの『ルーク殿』と良好な関係を築かなければなりません。国運を賭けてでも」
こうして、ただの田舎村の村人のつもりであるルークの存在は、図らずも大国の王女の心に強烈な楔を打ち込むことになったのだった。




