安らぎの辺境と、時々、氷点下の兄⑥
新連載です! 全12話でサクッと完結します。
頭を空っぽにして楽しんでいただけたら幸いです。
多少明け透けでコミカルな表現もありますが、どうぞ生温かい目で見守ってください!
「お義兄様、見てください! この辺りにしか咲かない『氷晶花』ですよ。煎じて飲むと、前世のあのエナジードリンクみたいな味がするんです」
「マジか、懐かしいな……。そういやアッシュは知ってるのか? あいつ、王都で『飲み物がもの足りない』って文句言ってたぞ」
──辺境伯領の深い森。
木漏れ日が降り注ぐ穏やかな散策路を、イアンとオティリエは並んで歩いていた。
二人の間には、どこまでも長閑で平和な空気が流れている。
「……いいんです。兄様に教えたら、また『そんな得体の知れないものを口にするんじゃない』って、説教3時間コースになっちゃいますから」
オティリエが苦笑いしながら花を摘む。
その隣でイアンは王子の身分を忘れ、前世の友人と接するように気安く笑っていた。
「だな。……にしてもオティリエ、お前本当に可愛くなったよな。前世のあの万年寝不足みたいな弟とは思えないぞ」
「お義兄様こそ。あの頃のひょろっとした頼りない面影がまったくありませんよ。今は……まあ、お兄様にボコボコにされてる時以外は、ちゃんと王子様です」
「一言多いんだよ。……でも、サンキュな。こうして二人で歩いてると、……ようやく自然に息が吸える気がするよ」
二人は森の奥にある、澄んだ小川のほとりに腰を下ろした。
せせらぎの音と鳥のさえずり、そして前世の記憶を共有し、今世の苦労を分かち合える戦友との時間──。
それは二人にとって何よりの「癒やし」だった。
──……!
「……ッ?! 誰だ!!」
イアンは反射的に剣の柄に手をかけ、オティリエを庇うように一歩前へ出る。
武闘派王子としての本能が、鋭い「気配」を察知したのだ。
静寂を破り、茂みからゆっくりと姿を現したのは──銀髪を冷たく輝かせた美しい「死神」だった。
「なかなか鋭いじゃないか、イアン。私の気配に気づくとは……少しは特訓が身に付いているね」
「あ、アッシュ……!? 貴様、なんでここに……?」
アッシュは一切の汚れもない白手袋を整えながら、悠然と歩み寄ってくる。
彼が放つ圧倒的な「冷気プレッシャー」によって、周囲の小鳥たちが一斉に逃げ去っていくのが見えた。
「『なんで』? 心外だな。可愛い妹が、前世問題のある男と二人きりで森にいるんだよ? 兄として心配するのは当然だろう?」
アッシュはオティリエの隣に滑り込むようにして腰を下ろす。
そして当然のような顔をして、オティリエが摘んだばかりの氷晶花を指先で弄んだ。
「……オティリエ。この花は毒はないけれど、飲みすぎるとお腹を壊すんだ。後で私が正しく調合してあげるから、勝手に口にしないこと。いいね?」
「……は、はい。兄様」
オティリエは直立不動で返事をする。
さっきまでの穏やかな空気は一変し、そこは一瞬で「アッシュによる統治領域」へと変貌した。
アッシュはチラリとイアンに視線を向ける。
その瞳には「前世夫」に対する皮肉と、それ以上に「妹へ近づく男」を冷ややかに牽制する光が混ざっていた。
「イアン。おまえも少し自分の立場を考えろ。オティリエはまだ子供だが、男女二人でウロウロするんじゃない」
「……いや、だがいくらなんでもまだ年齢的にいいんじゃないか?」
イアンの至極全うなツッコミを、アッシュは優雅な毒のある微笑で受け流した。
「そう……。なら、おまえは『13の筆下ろし』すらしていないとでもいうのかい?」
「っ!!??」
「……あぁ、そろそろ戻ろうか。オティリエ、今聞いたことは忘れなさい。今世のお前は女なんだ。わかったね?」
アッシュは立ち上がると、オティリエの手を優しく、けれど絶対に離さないという強い意志を込めて握りしめた。
その後ろでは、イアンが盛大な溜息をついて肩をすくめながら付いていく。
……そんな無言の牽制を飛ばし合う二人を余所に、オティリエだけは愕然とした表情で固まっていた。
(……え? え??)
冷ややかな視線を飛ばし合うアッシュとイアンは、そんなオティリエの様子を密かに気にしつつも、屋敷へと連れ立って帰宅する。
その後、二人は何やら連れ立って屋敷のどこかへと消えていったのだった──。
数日後、地獄(?)の夏休みは明け、二人は学園へと帰っていく。
だが、残されたオティリエはあれからずっと、気になって気になって仕方がなかった。
(……13歳で『筆下ろし』って……!? え?えっと、じゃあ前世の姉ちゃん(お兄様)も、そうなの……!?)
未だ衝撃から立ち直れず、頭を抱えて赤面するオティリエである。
そして魔狼がいないのは、健診中だからだった。
「おい、バカ犬。オティリエといるつもりなら、変な病気持ち込むなよ。わかったか!」
「キ、キャイン!キャウン!キャウウゥゥゥン!(も、もちろん!絶対!持ち込みませーん!)」
◇◇◇◇
───夏休みが明け、国立ラズールワンド魔法学園に新学期が始まった。
王都へ戻ったイアンは若干やつれていたものの、あの「魔境(辺境伯領)」から解放され、久しぶりにのびのびとした時間を過ごしていた。
役員に抜擢されて連日多忙なアッシュと、その誘いを必死で断り、一人学園生活を満喫するイアン。
アッシュの影から解き放たれ、ぼんやりと秋空を眺めながら「平和」の尊さを噛み締めていた。
──だが、学園の空気がどこか明らかに異様だった。
「ねえ、見た? イアン様、最近とても退屈そうね。ずっとぼんやりとお一人でいらっしゃるわ」
「夏休みの間、ずっと辺境でアッシュ様と一緒に過ごされていたから……寂しいのかしら?」
「二人とも、あの神がかった美貌だもの……。もしかして、本当は『そういう関係』なんじゃ……」
耳に飛び込んでくるのは、ひそひそ話と、好奇と興奮に満ちた熱い視線。
それは、アッシュとイアンに対する「BL疑惑」の囁きだった。
「な、なんだと!? ふざけるな! 俺とアッシュが、そんなわけないだろうが!」
予期せぬ方向から飛んできた腐女子レーダーの誤作動に、イアンは血の気が引く。
(くそっ! あの辺境のドS野郎、一体何をしやがったんだ……!?)
昼休みの食堂で、熱視線に耐えかねたイアンは、アッシュを人気のない中庭へと連れ出した。
アッシュはいつも通りどこ吹く風で、優雅にパンをかじっている。
さらりと揺れる美しい銀髪に、吸い込まれそうな澄んだアイスブルーの瞳───。
整いすぎたその顔立ちは、ただパンを食べているだけでも絵画のような神々しい。
「おい、アッシュ! お前のせいだろう、このバカげた噂! お前は俺について、どんなデマを流したんだ!?」
アッシュはゆっくりとイアンを見上げた。
その冷艶な青み銀色の瞳には、イタズラが成功した子供のような悪趣味な光が宿っている。
「デマ? 別に何も流していないが。ただ、寮の部屋が隣同士だと知人に話しただけだ。それに……イアン、お前が私の部屋に夜な夜な毎晩訪ねてきて、私の好物のお菓子を持参していた話を伝えただけだが?」
「それはてめぇが『献上品』って名目で強制召喚してただからだろうがぁ!」
怒りに満ちてイアンは叫ぶが、アッシュは素知らぬ顔で可愛らしく首を傾げる。
「そう言えば、辺境での滞在中に、お前が私の腕にしがみついて『アッシュ、お前がいないと怖いんだ』と震えていたことも友人に語って聞かせたな。もちろん、適度な誇張を面白おかしく加えたが……」
「てめぇが『夜の訓練だ』とか言っておいて、わざと俺を森へ放置したからだろうが! 俺は別に怖がってなんか……」
イアンがそこまで言いかけたところで、アッシュはクスリと優雅に笑い、意味深な眼差しを送ってきた。
そして、ゆっくりとイアンへと歩みを進め顔へと近づける。
華やかな赤髪を揺らし顔をサッと青ざめるイアンと、至近距離で見つめ返す銀髪の絶対的美貌──。
「……まあ、実際は俺がお前を『からかっていた』だけだからな。それがここまで変な噂になって広まるとは、俺も思わなかったぞ。……実に面白いじゃないか。それに考えてみれば、前世では『夫婦』だったわけだし、ね?」
アッシュの甘い吐息が、イアンの耳元をかすめさせる。
──その瞬間、たまたま背後を通りかかった女子生徒たちがその光景を目撃し、口元を押さえて「きゃあっ!?」と熱狂的な嬌声を上げた。
「っ……!? やめろ、アッシュ! そういう変なフリはやめろ! 周りが本格的に勘違いするだろうが!」
イアンは顔を真っ赤にしてアッシュを押し退けたが、アッシュは楽しそうにニヤニヤと笑うだけだった。
「何をそんなに焦っているんだ、イアン。別に構わないじゃないか。これでお前も『新しい扉』が開くかもしれないぞ?」
「開くかそんなもん!!」
アッシュの楽しげな言葉に、イアンは絶望した。
前世で「いじめっ子」気質だった彼だが、BLというジャンルにはこれっぽっちも興味はない。
そして何より、相手があの「鬼嫁(現・悪友兼魔王)」だなんて、想像しただけで寒気が止まらないどころか鳥肌ものである。
「お前は、俺の学園生活をどこまで掻き乱せば気が済むんだ……!」
イアンの悲痛な叫びは、秋の澄み渡る空へと虚しく吸い込まれていった。
アッシュにとってイアンをからかうことは、前世からの趣味であり、今世における最高のストレス解消法。
この不憫すぎるBL疑惑は、アッシュという「元妻」の悪ノリによって、さらに加速していくのだ──。
最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました!
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