神崎さん
「あら、そんなところにいたの」
まるでハムスターか何かに呼びかけるように、その少女はそう言った。
「狭い所好きにしたのは良くなかったかしら…でも、タコだし…(ブツブツ)」
少女は聡太の存在など気にも留めず、タコの挙動を矯めつ眇めつ観察している。
「あの〜…もしもし?」
聡太はやや呆れ顔で声をかける。
自己の発明品につき絶賛省察中の少女は、そこではじめて聡汰に気づく。
「……何?」
薄氷のように繊細で美しく、起伏に乏しい表情をしている。
表情に何ひとつ動きはないが、人に向けられたそれは、どこか冷たく感じられる。
それでいて、黒曜石を思わせる深い黒の瞳には、目を逸らし難くなる不思議な魔力があった。
少女の名前は神崎凛蘭。
聡汰と同じ、楓中学校の2年生である。
「(……何って…ボクの机なんだけど…)」
他人の机を試験場にしておいて「何?」はないだろ、と内心思いつつ、なぜだか反論の気力がわかない聡汰は、ひとまず有意義な会話を志向して————
「それ…何?」
と、奇妙なタコの正体を聞いてみるのだった。
「………」
少女はすぐには答えず、聡汰を凝視している。
この黒くて透明な目は、どうしてこうも人に疚しさを与えるのだろうと、聡汰はいつも思うのだった
「ボタン」
「え?」
神崎さんはふいに視線を落とし、そう発声した。
「あ」
聡汰は言われて、学ランの第一ボタンがほつれて外れそうになっていたことに気づく。
「やべ、最近ゆるいと思ったら…」
聡汰がそう言うが早いか————
「プルプ」
〈シュルルン!〉
魔女の号令で、名の与えられたタコが俊敏に聡汰の学ランの中へと侵入する。
「え?」
〜〜〜〜〜〜うねうねうねうねうね〜〜〜〜〜〜〜〜
「ッうひゃあああぁ!?」
聡汰は驚きとこそばゆさから、本日通算何度目かの悲鳴を上げる。
侵入者は器用に前たての隙間から触手をのぞかせ、派手に踊り狂っていた。
「ちょ、ま…止め…!?」
聡汰は泣き笑い叫びながら、なすすべなく悶えている。
神崎さんといえば、そんな滑稽なクラスメートの姿さえ、表情一つ変えずに見守っている。
〈シュルルルルン〉
聡汰がこそばゆさに失神するより早く、一仕事終えた侵入者は主のもとへ戻った。
「ハア…ハア…な、何を……ハア…ハア…」
過呼吸気味の聡汰は、何か大事なものを奪われたり侵されたりしなかったか確認する乙女のように、しきりに胸のあたりを点検している。
「!」
すると、すぐさまその侵入者が、実は幸福をもたらす座敷わらしタイプの侵入者であったことに気づく。
「ボタンが…!」
先ほどの第一ボタンが、丁寧に縫い付けられていた。
よく見ると、僅かに緩んでいた他のボタンもきれいに留められている。
加えてさらに、知らぬ間に蒸気でも当てられたのか、生地のシワがしゃんと伸びている。潤いを取り戻した布が、明らかにコシを取り戻している
しまいには襟元から微かに、寒蘭を思わせる品の良い香りが立ち昇ってくる————
タコの犯行は、完璧だった。
聡汰への回答義務を十二分に果たした神崎さんは、特に挨拶をするでもなく、そのまま立ち去ろうとする。
「あ…神崎さん!」
聡汰はとっさに呼び止めた。
彼女は存外、律儀に足をとめ、声の主に向き直る。
見返りの仕草のみならず、少女は足を止める動作すら何か様式美のようなものを思わせた。
聡汰はなんとなく無視されるような気がしていたものだから、つい用件が遅れてしまう。
「それも…キミが作ったの?」
見るも可憐な少女に抱きかかえられたタコは、今やブーケか何かにみえた。
少女はコクリと頷いて、静かな教室をあとにした。
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