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三章 北の森の魔物 7

すこし残酷な描写を含みます。

 

「殿下!!」


 腕を貫かれた様子を目撃したそれぞれが叫び声とも悲鳴ともつかない声をあげてウィルを見つめた。

 腕を貫かれたウィルはやや俯いてしかし、微動だにしない。軸足とは反対のつま先が攻撃の勢いを殺したために僅かに地面を抉り取っていた。


「げぎゃぎゃ」


 そうしている間にもウィルの腕からは血が波打って彼の衣装へと染み込んでいる。己の攻撃が与えた傷の深さを知り、カザールは嬌声を上げた。

 黄ばんで歪な歯を剥き出しにして次の一撃を与えようと、ウィルに突き刺したままの腕を引き抜こうとするが、そこで動きが止まった。


「ぎ?」


 爪が抜けないのである。獲物に突き刺さった己の爪はまるで何かに締め付けられたかのように微々たる速度でしか動かなかったのだ。

 不思議に思ったカザールは首を傾げた。


 もう一度勢いをつけて爪を抜こうと身をよじるが、次の瞬間思わぬ激痛がその身体を襲った。


「しっ」

「げぎゅああ!」


 僅かに呼吸を吐き出したウィルが剣を捨て、空いた手をカザールの顔面の、眼球へと突き立てたのである。カザールの顔を覆うようにして突き出されたその手のひらは人差し指と中指が第二関節の辺りまで埋まっていく。


 柔らかい肉をゆっくりと押し出していく不快な音がこの時はやけに大きく周囲に響いた。


「つかまえたぞ」


 一秒ほどして引き抜かれたウィルの指には桃色の肉と血がこびりついており、潰れた眼球はどろどろとカザールの顔を伝っていった。


 堪らず空いている手で己の顔を覆うカザールだったが、その直後、再び激痛に襲われて悶絶の声をあげた。


 血肉のついた手を腰に吊るしていた短剣にあてがい、引き抜いたそれを無造作にカザールの脇の下へと押し込んだのだ。

 悲痛な声をあげてカザールはびくびくと身体を痙攣させるが、片方の腕がウィルに刺さったままであるため距離を取ることができない。


 下からねじ上げられた短剣は傷口を押し広げていき、魔物は叫び声をさらに大きくさせる。刀身が根元まで埋まったとを確認するとウィルは一息に今度はそれを引き抜いた。

 傷口から滝のように血が噴き出していく。


 次いで己の腕を貫く今は赤く染まった魔物の腕を、肘のあたりで切り飛ばした。いや、切り飛ばしたというよりは関節ごと叩き切った。

 至る所から飛び散る血液でウィルの顔や身体も赤く染め上げられていく。


「あぐごうわええ!」



 攻撃の反動で己の肩も大きく上下し、そこで初めてウィルは苦痛で顔を歪ませた。

 片方の手を失い、もう片方もだらしなく垂れ下がったカザールは衝撃から尻餅をつく。潰されて視界のない顔をきょろきょろ不安げに動かしながら苦悶の声を上げ続けていた。


 土を抉り取るようにして、ウィルはわざと足音を立てた。短剣をしまい、放り投げていた剣を持ち上げる。その音に反応したカザールは怯えたような声をあげて、逃げ出そうとするがバランスを崩して前のめりに倒れてしまう。


 しかし狂ったように叫びながら逃げ惑う魔物は、芋虫のような姿勢になりながらも地面を這っていた。

 それをゆったりとした足取りでウィルが追いかける。

 そしてすぐに追いつき、手に持っていた剣を逆手に持ち帰ると、カザールの背中へと突き刺した。

 地面に縫い付けられたカザールは海老反りになりながら先ほどまで以上の悲鳴を身体から絞り出した。


 灰色がかった毛並みは今や赤と黒のまだら模様に染まっていた。血液と一緒に体液も染み出し始めている。


 ジャスカールたちは目の前の光景に思わず息を飲む。それまでの戦闘とは明らかに違う雰囲気をひしひしとその身に感じていた彼らは、ただ一人を除いてその場に縫い付けられていた。


 もはやびくんびくんと身体を震わせるだけの魔物は掠れた声でなおもこの場から逃げ去ろうと頭を持ち上げた。

 昏い瞳で獲物を眺めるウィルは、手に持っていた剣をその肉体に捻り込んでいく。


 その度に声にならない声で悶絶する魔物だったが、その動きは次第に緩慢なものへと変化していった。身体から噴き出す血の量も目に見えて減っており、いまや僅かな量が弱々しく流れているだけであった。


「殿下……」


 あまりにも残酷な光景に言葉を失ったジャスカールは、ウィルを呼ぶだけで精一杯であった。リゼッタが気を失っていて良かった、と彼は心の底から思わずにはいられなかった。


 それほどまでにウィルの行動はこれまでの彼と一線を画すものであった。


(……これではまるでどちらが魔物かわからないではないか )


 ウィルは消え入りそうな声でもぞもぞと動くカザールを冷たい目で見下ろした。背中に足を乗せ、剣を引き抜いていく。


 カザールは細かく痙攣するだけで、暴れるだけの力すら残っていないように思われた。剣を引き抜き終えたウィルは怪物の横腹を蹴りつける。鈍い音を立ててカザールは仰向けに転がされた。


 魔物はすでに息も絶え絶え、生きていることが奇跡のような状態だった。口からよだれと血とを垂れ流して、舌ももう、伸びきってしまっている。


 ウィルは魔物を再び凍てつくような視線で睨め付けると、手に持った剣を大上段に振りかぶった。

 一拍の気合を込めて、剣を振り下ろす。






 甲高い金属音と共にウィルの剣は何者かに弾かれた。弧を描いて地面へと突き刺さる。ウィルは一瞬何が起きたのかわからない様子で己の手を眺めていたが、すぐに目の前にいる男を昏い瞳で睨みつけた。


 振り下ろされた剣を受け止め、弾いたのはギルだった。表情は相変わらずさえないが、汗は引き、瞳は力強さを取り戻していた。ウィルの目を正面から射抜いている。


「何を……」

「ふん」


 余計なことをするな、そう言外に匂わせているウィルのことなど気にした様子もなく、ギルは振り返り、幽かに息のある魔物へ向けて剣を突き刺した。くぐもった悲鳴をあげて、カザールはあっけなく絶命する。


 ウィルはギル睨みつけ唇を噛み締めた。ギルはふっ、と表情を緩めてウィルへと近づいていく。ウィルは思わず後ずさろうとするが、その足は地面に縫い付けられたように張り付いて動かなかった。


 やがてギルは立ちすくむウィルの前へとやってくると、その身体を抱きしめるようにして耳元で囁いた。その仕草は大切なものを壊さないようにと触れるもののそれだった。


「ウィル?お前はこんな風にしちゃいけない。お前は真っ直ぐでいるんだ」


 その言葉を聞いた瞬間、ウィルは再び何かを思いだしそうな気配にとらわれたが、すぐにそれは吹き抜けていく風とともに霧散してしまった。


 しかし気がつくとウィルの頬には二筋の涙がこぼれ、張り付いた汗や砂を落としながら顎先へと流れていった。


「えっ、あっ」


 何かを伝えようと目を見開いて口をぱくぱくと動かすウィルだったが、緊張から解き放たれた身体は糸の切れた人形のように力をなくし、彼は意識を失った。


 倒れ込んできたその身体を、ギルはそっと受け止めて優しく微笑んだ。顔に付いた血を指先でそっと拭う。


 そしてすぐに視線だけを向けてジャスカールを呼んだ。

 慌ててジャスカールが二人の元へ駆け寄ると、ギルはウィルを任せた。


 ウィルを支えたジャスカールはぎょっとした表情で主人をみた。あまりにも軽いと感じたのだ。おそらくその出血のせいだろう。

 狼狽した様子で慌ててメリダの方へウィルを運んだジャスカールはおろおろと振る舞うだけであった。


 メリダはため息をついてリゼッタとウィルとを交換し、その治療を始めた。

 ジャスカールはホッとしてふとギルの方へ視線をやったが、そこにはもう誰もおらず、二体の物言わぬ死体が転がっているだけであった。


 探そうと迷いかけるも、目の前の主人達を見捨てては行けない。ジャスカールは治療するメリダの方へと意識を向けなおした。


「ん……」

「殿下っ」

「……ああ、ジャスカールか」


 出血が止まるとウィルはすぐに目を覚ました。ぼんやりとした目であたりを見回したウィルはリゼッタのところ目を止めた。


「リゼッタ、は……」

「ええ、無事です」

「そうか……魔物は」

「ええ、そちらも」


 ジャスカールは大柄な身体を揺らして頷いた。逞しい笑顔がその顔に浮かび上がる。つられて微笑んだウィルは自慢げにメリダの顔を見上げた。


「どうかな、お姫様」

「ったく、大したものね、勇者さま」


 皮肉っぽく見上げたウィルにメリダは同じように答えて不敵に笑った。顔を見合わせた二人はどちらからともなくその場で吹き出した。


 殺伐とした空気が薄れて和やかな雰囲気が彼らを取り囲んだ。

 やがて笑いがおさまったウィルは、男を探した。


「あのギルとかいう男は」


 ウィルの問いにジャスカールたちは、それが、と一様に首を振った。そうか、と力を抜いたウィルは男のことを思い出していた。


(初めて会った気がしなかった。名前を聞いた時、何か、僕の記憶の中の大切な……)


 痛む首を振ってウィルは考えを打ち消した。自分にとって重要な人物なら、また会うこともあるだろう。ウィルはただ彼にお礼を言えなかったな、と思った。


「少し、疲れたな。ジャスカール、リゼッタを頼んだよ」

「仰せのままに」

「じゃあ見張りたちを呼んでくるわ」

「ああ、僕は少し、寝る」


 そういったウィルは体力の限界だったのだろう。いくらもしないうちに眠りへと誘われていった。夕刻まではまだ時間がある。真昼を過ぎて穏やかな風があたりに吹き始めた。

 まどろむ意識に身を委ねながら、ウィルは満足感に包まれていた。


楽しんでいただけたなら、幸いです。

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