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三章 北の森の魔物 6

残酷な描写があります。

 ウィルは目の前で起きた状況を始め理解することができなかった。倒れていくリゼッタと目があって、ようやく状況を飲み込んだウィルは、彼女の元へ駆け寄った。


「リゼッタ!!」


 彼女を受け止めると時を同じくしてジャスカールとギルが二人を庇うようにして前に出た。メリダはすぐさまウィルに抱きかかえられたリゼッタへと駆け寄った。


「くそ、カザールか。報告は嘘じゃなかったってことか」


 ジャスカールは大剣を真っ向に構えて猿のような化け物との距離を測っている。カザールは黒い顔に似合わないほどの白い毛をたなびかせて甲高い声でジャスカールに威嚇の声を上げた。鋭利な爪からはリゼッタのとおぼしき血液がぽたぽたと垂れて地面に生えた草を赤く染め上げていた。


「リゼッタ!しっかりしろ」

「揺らしちゃダメ!出血が酷いわ」


 焦りから取り乱したようにリゼッタの名前を呼ぶウィルをメリダは諌めた。抱きかかえられたリゼッタを軽く持ち上げて抉れた傷口に手をかざす。ぼんやりと光を宿したメリダの手は彼女の傷口に触れるか触れないかのところで発光を強くした。光がリゼッタの身体へと少しずつ移動していく。


 リゼッタは痛みに顔をしかめた。もともと白いその顔は出血から青白く染まり、荒い呼吸を繰り返す彼女の額には大粒の汗がびっしりと浮き出ていた。


「リゼッタ!絶対に助かるから!」


 ウィルは指先をリゼッタの額に当ててその汗を優しく拭ってやる。ふと、リゼッタが震える手でその手を取った。表情に生気はなく、瞳の焦点も僅かに定まっていないように思えた。


 苦しそうに喘ぐリゼッタの姿をみて、ウィルは何故か自分の脳内にある光景が浮かび上がるのを感じた。自分の心臓が一際激しく脈打ったところで時間が止まったような錯覚に陥った。


 走馬灯のように断片的に一人の女性と自分と誰かを映し出していく。

 その中で、非常にぼんやりとではあるが、確かに彼の記憶として彼の脳内に今と良く似た景色を映し出していた。


(ねえ……さん?……ギ……ううっ)


 ふいに頭が激しく痛み、ウィルはすぐにその思考を放棄した。目の前で苦しむリゼッタに声をかけることに集中する。


「でん……か……」

「どうした!?」

「ふふ……酷いお顔です……」


 喋る度に傷口が痛むのだろう。何度もつっかえるようにして、それでもリゼッタは口を開いた。とてつもない痛みが彼女を襲っていることは誰がみても明らかだったが、気丈にもリゼッタは口元に笑顔すら浮かべてウィルの顔を見つめていた。


「傷が開くから、しばらくお休み」

「はい……でも、殿下にこうして抱いていただけているので……少しもったいなくて」


 リゼッタはそう言って年相応の悪戯っぽい笑顔をその顔に浮かべた。依然として額の汗は酷いが、メリダの応急処置が効いているのか、呼吸は徐々に落ち着きを見せていた。


「それよ……りも……、どうです?……私だって、殿下の役に……立てるん……」

「リゼッタ!?」


 ウィルの手を握る力が弱まった。ゆっくりと瞳が閉じられていき、リゼッタは最後まで言い終えることなく意識を失った。だらん、と彼女の身体から力が抜け、その重みを増した。

 最悪の事態を思い浮かべてしまい、焦りから泣きそうな表情で彼女の名前を呼ぶウィルに、メリダは安心させるように微笑んだ。


「大丈夫、眠っただけよ。戻って治療すれば、問題ないわ」


 いいながら、己の額をローブの裾で拭う。リゼッタの治療に集中していた彼女もまた、その精神を著しく疲労させていた。安堵の息をついたメリダはリゼッタの身体から手を離すと、そのまま両手を地面について座り込んだ。


 その様子を見てウィルは腹の底から息を吐き出した。よかった、と力なく呟いて眠るリゼッタの汗を優しく拭ってやる。

 その様子を少しばかり羨ましそうに見つめながらメリダは視線を戦っている二人の方に向けた。


「大丈夫、メリダは休んでて。リゼッタを頼む」


 いつもと違う声が背後からして思わず振り返ったメリダはウィルの様子に違和感を覚えた。表情は相変わらず穏やかそうに見えているが、何やら靄のようなものが身体から滲み出ているように感じる。


 靄は瞬きした次の瞬間には消えてしまい、気のせいかとメリダは思ったが目の前の男から出る怒気は紛れも無く本物であることがすぐにわかった。

 ウィルは唇を噛みしめるようにして大きく息を吐いた。一瞬前髪に表情が隠れる。


 再び真正面を見据えたウィルの瞳は爛々と、夜の獣のように力強く輝きを増してカザールを睨みつけていた。メリダは無意識のうちに身体が強張るのを感じた。


 リゼッタを託したウィルは地面に置いた己の剣を拾いゆっくりと立ち上がった。彼自身も多量の出血で、すでに身体へかなり負担がかかっている筈だったが、それを感じさせない確かな足取りで二人の元へと歩いていった。






 メリダがリゼッタに治療を施し始めた頃、ジャスカールとギルはカザールとの戦闘を開始していた。飛び跳ねるようにして動き回るカザールを油断なく見つめながら二人は戦略を立てていく。


「ギルどのといったか。俺が相手のうご……どうかしたか」

「いや……」


 顔を僅かに横に向けたジャスカールはギルの息が僅かに上がっていることを不審に思い、彼に近づくようにしてカザールと距離を取った。

 頭一つ分の距離まで近づいて、ジャスカールはいよいよ唸り声を上げた。


 先程までとは打って変わって、男の具合は目に見えて芳しくなかったのだ。顔や身体を問わず、全身の毛穴から汗が噴き出している。呼吸も荒く、まるで今までとてつもなく恐ろしい目にでもあっていたかのような男の様子に、ジャスカールは言葉を失った。


「大丈夫だ。少し嫌なことを思い出しただけだ」


 ギルはなんでもない、といった口調で剣を構えるがどう見てもそれは虚勢でしかなかった。


 さて、どうしたものかと思案するジャスカールに向かって業を煮やしたカザールが飛びかかる。集団で動くカザールは一体の時の脅威は少ない方だといってもよい。だが彼奴のすばしこい動きとジャスカールとでは相性はあまり良くない方だと言える。


 ジャスカールはカザールの攻撃をはじき返し、その勢いで大剣を白い毛で覆われた体躯にぶつけようと横薙ぎに振るが、予想されていたのかあっさりと躱されてしまう。

 ならば、と一度振り下ろし下段から大きく踏み込んで振り上げるが、これも躱されてしまった。


 再度距離をとったカザールが余裕ぶった笑みを浮かべる。その表情はカザールがある程度の知性を持っていると見ているものに思わせた。


(ただやみくもに剣を振るうだけでは避けられるか)


 ジャスカールの動きが止まったのと入れ替わりでギルが動いた。下段に構えた剣を走り込んだ勢いで逆袈裟に振り上げるが、先ほどよりもキレの悪い動きは容易く躱されてしまう。


 剣の勢いに身を任せ回転しての袈裟斬り、振り切った先からの手首を返した中段突き、そして再び勢いをつけた上段からの回転撃、流れるような連撃もカザールの身体に触れることさえ出来ないでいた。


 舌打ちをして大きく後ろへ距離をとったギルの息は激しく乱れていた。煩わしそうに頬に張り付いた髪の毛を拭う。


「ギルどの!一旦下がられよ!」


 こちらを挑発して小躍りするカザールを牽制しながら二人は再び横一文字に並んで構えをとった。

 その時だった。

 どうにかして動きを止めなければ、と身体を寄せ合う二人の後ろから、二人を呼ぶ声が聞こえた。


「二人とも、下がって」


 底冷えするようなその声にジャスカールは思わず身体ごと振り返ろうとするが何とか思いとどまった。意識だけを向ける。ちらとギルに視線をやったが、彼も同じような反応をしていた。


 声の主はすぐに彼らへ追いつき、そして少し前に出る形で位置取った。二人の方を振り返らず剣をゆるく構える。


「殿下、あやつはなかなかにすばしこく、ここは三人で連携を……」


 主人の様子に違和感を感じながらも策を講じるジャスカールの言葉をウィルは容赦なく遮った。前にいるためその表情は伺うことはできないが、その声には有無を言わさぬ響きが混ざっていた。


「下がれといった」


 ギルとジャスカールは視線だけで頷きあい、渋々ながらも距離とった。少し離れたところでウィルの様子を伺う。ジャスカールは普段と違う主人の雰囲気に幾ばくかの不安を覚えながらも、彼を信じることにした。構えをとき、いつでも動ける姿勢で成り行きを見守る。


 全員でかかってくるだろうと踏んでいたカザールは戸惑うような声をあげながら伸びた爪で頭頂部を掻いている。その姿は人間などにやられる訳がないと当たり前のように考えているもののそれだった。


 ウィルは物言わぬままカザールへと一歩を踏み出した。唐突で無造作な動きに一瞬魔物は警戒する様子をみせるがウィルがほとんど構えていないとみると警戒を解いた。

 むしろ格好の獲物と思い、攻撃を仕掛ける素振りを見せる。


「殿下、来ますぞ」


 心配したジャスカールが後方から叫ぶもウィルに動く様子はない。変わらず一歩、また一歩とカザールへと近付いていく。むう、と唸り声をあげながらギルはいつでも動き出せるように再び剣を構えた。


 腕を揺らしながら距離を測っていたカザールの間合いにウィルが入り込む。その時を今か今かと待ち構えていた魔物は弾かれたように動き出した。奇声をあげてウィルへと飛びかかる。

 しなやかな筋肉で地面を蹴り上げた魔物は一気にウィルとの距離を詰めた。


 反動をつけて後ろへと引いた爪を着地と同時に前へと押し出す。稲妻のごとき速さで突き出されたその腕は狙い違わずウィルの胸元へと吸い込まれていく。


 その瞬間誰もが惨劇を予想した。ジャスカールとギルは飛び出し、メリダはリゼッタを介抱する手を止めて目を瞑った。



 肉を貫く湿った音が響いて、大量の血が地面に舞った。カザールの突き出した爪先は胸元を庇うようにして構えられたウィルの左腕を深く貫いていた。


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