血
シスター・ソラは、トッティに噛まれた怪我のショックで無私状態になっていたらしい。再び気を失い崩れかけたところをミスター・ルウに受け止められた。スイ団長による治癒を施されて教会へ運ばれる頃には、ミセス・ゼムフィーラが人工血液を取りに用務小屋へ走っていた。箒に乗って飛ぶほどの力はないから、正装ローブの裾を端然と捌きながらの小走りだ。
スイ団長とヴェロニカ副団長にわたし、そして妻を見送ったばかりのアルことミスター・ルウが、居住室の簡素なベッドで眠るシスター・ソラを囲んだ。
非現実との狭間で浮遊しているミスター・ルウに、果たしてかけられる言葉があっただろうか。荘厳で究極の出来事に、それぞれが圧倒されたままだった。
「ソラはそのうち目を覚ますだろう。あたしたちは、最初から準備をやり直すから墓地へ戻るよ」
ハロウィンの慰霊祭は、真夜中に始めるのがしきたりだ。
「あとは頼みました、ベリィ」
団長と副団長は、どのような心持ちであったとしても物事を推進するために急ぎ足で退室していく。あの二人はとても勇敢だった。戦闘の経験もなかっただろうに、迷わず危険に立ち向かう勇気をわたしは目の当たりにした。
「トッティは大丈夫でしょうか」
心ここにないミスター・ルウからの返事は期待せず、小さな独り言を呟いてみる。愛してる---生気の全てを放出するようなあの絶叫とともに魂が抜けてしまったのだろう。降り積もる年月に伴った想いの深さは、あの場にいた誰もが痛いほど感じたはずだ。
「トッティ、落ち着いてはいたけど」
回復するための時間が必要だと分かっている。ミスター・ルウは、無表情でシスター・ソラの寝顔をじっと眺めているから、できるだけそっとしておかなければならないだろう。
「トッティは本来の自我を取り戻したはずだ」
しかし、ついと返事があった。今までに聞いたことのないフラットな声音だ。ミスター・ルウにも自分を取り戻してほしい。短い邂逅だったが、これからゆっくり気持ちを整理していけばいいと思う。時間はいくらでもあるのだから。
「あの、ミスター・ルウ。長い間聖トゥーラの再生を待っていた、とおっしゃいましたが、このベッドで眠っているシスター・ソラは娘さん、だったのですね」
静かな寝息が、時計の針より正確に規則的なリズムを刻んでいる。漆黒の目の色も、生まれついた天候魔女としての特性も、修道女という職分すら聖トゥーラそのものだ。
「私も初めはトゥーラの生まれ変わりだと思い込んだ。でも、それは早合点だった」
ミスター・ルウは、生真面目な遠い目をしていた。
「トゥーラは、きっと逝く時宇宙に託したんだ。産まれる前に道連れにしてしまう我が子がいつかこの世に生み出されるための宿願を。それは、自己犠牲の代わりにトゥーラの遺したもう一つの魔法だった。実現したのは、魔女村が今日まで潰えず在り続けてくれたからだ。子を成すというトゥーラの愛が、五百年の時を隔てて叶えられた。そして、こんな私にも親になる幸せを教えてくれた。妻以外に、命に代えても守るべきものを私は持ったんだ」
シスター・ソラと共有する時間は、面映く、また慣れない新鮮味に戸惑いを覚えるほどの感動に満ちていたのだろう。血を持たない者が、血を分け与えられた女性との間に血でつながった娘を迎えた。目に入れても痛くない愛娘に指一本触れさせまいと暗躍したことも頷ける。吸血鬼の本能だとしてもちょっかいを出そうとしたトッティには、父親の初仕事として大胆なお灸を据えたのだ。
「この娘は、母親の並外れた資質は受け継がなかったようだ。トゥーラの儀式とは手の動きも若干違っていたし、実は雨を降らせるほどの魔力すら持ってはいない」
「え?」
何気なく機密レベルの暴露を耳にしてしまった気がした。
「春のワルプルギスに、ソラが雨乞いをしただろう?あれは、いわば『劇団魔女村本公演 WEATHER ~超絶魔女を演じ続けて~』とでも銘打った芝居だよ。副団長がスマホで雨雲レーダーを頻繁にチェックしていた。タイミングを見計らって密かにカウントダウンの合図を送り、雨乞いの儀式シーンに出囃子を鳴らしたのも彼女だ。ソラが丁寧に挨拶しながら行くもんだから、拝礼台に着くのが遅れて降り始めが早かったよね」
春の終わりは雨が多いし、ワルプルギスの日程は平日、週末を問わず変動する。シスター・ソラがワルプルギスに雨乞いを行うようになってからは、雨予報と開催日程を合わせていたのだろう。そう言えば、雨乞いの儀式の後は、例年なら最初の一滴が落ちてくるまでしばらく談笑や居眠りをする中弛みの時間が続いたような記憶もある。
「魔女村には驚きが多いねぇ」
語尾を伸ばして嘯くのは、村の歴史を貫く秘密の源である驚異的な存在その人だった。
墓地では、新たに準備されたハロウィンの香木が黒い炎を吹き上げ、今を盛りと夜空を焦がしていた。臥せっているシスター・ソラの進行代理は、時期団長の呼び声高い理論派天文魔女ヴェロニカ・ケイジが務めた。体系的な宗教ではないからこ難しい決まり事もない。香り立つハロウィンの黒炎を囲んで、先祖への謝意を捧げ皆で祈るというだけのこと。それが肝要で、形式はどうあれ気持ちがあるならそれでいいのだ。
慰霊祭は滞りなく執り行われた。祈りの時間が終われば、頭蓋骨のごとき炭色のかぼちゃパンを拝領して解散だ。さっきの騒ぎで落ちてしまったパンは、きれいに土が取り払われているようだった。実際に食べる人も少なく、食用というよりも飾りとしての趣が濃い。
墓地は、祭事の後にほっとして発する熱気に包まれていた。亡き人を偲んでお墓の前で宴会を開く親類縁者や、道端のハロウィンかぼちゃを味当てクイズしながら帰っていく恋人たち。乱痴気騒ぎの小人たちが幾重にも重なる輪になって踊り狂っている。アンナの捜索終了を祝っているわけではなく、ただノリで走り回っていただけだったのだろう。アンナは、パパに連れられて無事に帰宅したらしい。
驚いたのは、正装して集う村人の中にトッティがいたことだ。ダグさんとがっちり肩を組んで、ハロウィンの童謡を元気いっぱいに歌っていた。妙齢の魔女グループが通りかかって明らさまに目で追い、声をかけて完全無視を決め込まれたがあっけらかんと流したところで安心した。どんな種族に転化しようが、どうやらミスター残念の二つ名をほしいままにする状態にはいささかの変化も生じなさそうだった。




