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魔女たちは祝宴し続ける  作者: ロックプロジェクト
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赤い狂気、透明な声

 急に扉が開いて、礼拝堂に荒い寒風が吹き込んだ。そしてまた一つ、弛緩した空気をかき乱す嵐の種が投げつけられる。

 さあ残りの薪を運びがてら慰霊祭に早乗りだという段になったところへ、泡を食って駆け込んできたのはパン屋のダグさんだった。

「大変だ!トッティが来た!生きてる!生きてた!でもよくわからないけどとにかく墓地で暴れてる!シスター・ソラと数名が逃げ惑っています。ミスター・ルウ、加勢してください!」

 ダグさんは慌てふためきつつそう叫ぶと、隆々とした筋肉を正確に使う見本のような動きでさっと踵を返した。力こぶの盛り上がった腕で押し開けた扉が、ダグさんが身体を通すと一瞬で押し戻され大きな音を立てた。筋肉質なパン職人がまるで風の世界に呑み込まれていったかのように。

「あ、用務小屋カギかけ忘れた」

 ミスター・ルウの間抜けな口調が腹立たしい。いや、それより何よりとにかく事態を確かめなければならない。

「裏道から急ぎましょう!」

 叱咤したのはわたしではない。凄みを覚えるほど真剣な表情を見せたミセス・ゼムフィーラだった。

 

 夜の気流が一段と勢力を増していた。豪風に逆らって走るわたしたちを、吹き飛びそうな帽子を押さえながらヴェロニカ副団長が追いかけてきた。もう片方の手で小刻みに箒を操り地上すれすれを飛んでいる。

「‘‘隠し星’’が学校の用務小屋に不審な動きをキャッチしました。男性が戸を開けたところ、中からトッティと思われる不鮮明な陰が飛び出したようです。そのまま逃走し、別のカメラではちょうどこちらへ向かって爆進している様子が…」

 用務小屋を開けた男性、は娘を探しに来たアンナのパパだろう。ミスター・ルウが、今度ばかりは語尾に食いつく勢いで返した。

「それはまずい!シスター・ソラの、天候魔女の特別な血の匂いをたどって向かって来たのかもしれない」

 飢えた吸血鬼は故郷で血を欲している。犠牲を捧げねば襲い来る---。ピコリーナ先生による星の託宣が脳裏に蘇った。

「シスター・ソラは無事でしょうか」

「…バタバタしていて人工血液をやるのを忘れていた。ミス・ラージックの血を吸って生の味に目覚めたんだろう。学校から墓地は近い。きっと風が強いから、戸が開いた時に血の匂いが届いたんだ。早く行かないと!」

 

 

 だが、わたしたちが墓地に到着した時には一足遅かった。シスター・ソラは、生き血を狙う飢えた獣の犠牲になっていたのだ。

 ハロウィン用に組まれた祭壇が転倒して、その上に載せてあったはずの炭色をしたし(・)ゃ(・)れ(・)こ(・)う(・)べ(・)が無数に散乱している。一見焼け焦げた頭蓋骨である不吉な物体は、今日の祭事用にダグさんが焼いた拝領かぼちゃパンだ。わずかな篝火(かがりび)の焚かれた夜の墓地は、おどろおどろしい地獄さながらだった。

 その地獄に半ば埋もれるようにして眠るシスター・ソラの陶器のように美しい寝顔を、駆けつけた全員の目が捉えた。華奢な首が力なく傾いている。自重に耐えかねたかのように固く閉ざされた白い瞼。だらりと投げ出された両腕。規則正しく上下動すべき胸郭は、すでに一ミリたりとも動く気配がない。朗らかな常の個性を掻き消して眉間に寄せられた一本の縦皺は、<トゥーラの聖痕>を彷彿(ほうふつ)とさせる深さだ。

 渦を巻いた強圧的な風が、数個のかぼちゃパンを明後日の方向へと攫(さら)っていく。彼女は横たわってはいなかった。力づくで地面に座らされた格好だった。虚脱しきったシスター・ソラの背を、肩に喰らいついた牙で荒々しく支える獣が、非現実の世界で異彩を放っている。シスターの蒼白さとはまた異なる熱のない蝋細工のような肌をした、懐かしいトッティがそこにいた---。

 しかし、残念なことに、本能に突き動かされ血の味に酩酊する昔馴染みの顔には、もはや狂気と呼べるもの以外に浮かんではいない。牙を剥いた口蓋の端からどろりと赤い筋が垂れている。どうやらトッティは理性の限界を超えてしまったようだった。

 切れるように鋭く素早い唸りを上げて風が靡(なび)く。

「離せ!」

 闇の溜まり場となった墓地をはかなく流れていくのは、許容してはならない過ちを犯した子どもを叱りつけるミスター・ルウの怒声だった。

 

 睨み合う数瞬の間を置いてから、轟音を立ててまた突風が吹き抜ける。

 それを合図に、まずはミスター・ルウが飛びかかった。トッティの飛び退きざま、シスター・ソラの肩から引き抜かれた牙が赤い雫を滴らせて点々と弧を描く。角度を変えて狙いすましたミスター・ルウが再び飛びかかりトッティの上半身を掴んだ。引き付けて体重を使い、馬乗りになって殴りつける。嫌ったトッティが捻ってかわし形成が逆転する。骨ごとぶつかる鈍い音が届く。噛みついて振り回す。牙が肉を抉る。どちらのものともつかない壮絶な唸り声を上げて激闘が繰り広げられる。

 その時、遠方から矢の一声が放たれた。

「止しな、トッティ!」

  耳慣れたダミ声。それから、もう一人。

「手向かいすれば容赦いたしません!」

 伝統の黒いローブととがり帽子で正装した魔女村代表スイ団長とヴェロニカ副団長だ。二人とも慰霊祭参列のための儀杖を握りしめている。飛ぶように駆けながら、振る腕で攻勢の魔法を撃つ。

 団長の杖から放たれた毒蛇が螺旋(らせん)を描いてトッティに巻きついた。きつく絡め取る。が、嫌がるトッティが力任せにもがいてすり抜ける。狂った吸血鬼は力の加減がめちゃくちゃだ。すかさず副団長の杖が小さな恒星を発射すると、凝縮された燃える光に怯んだ。一瞬の隙を突いて、月明かりの薄膜を盾に実体化したのはミセス・ゼムフィーラだ。目を押さえて暴れるトッティと距離を取ろうとしたミスター・ルウを分断して庇う形になる。ただおそらく本来の実力以上の魔法なのだろう。ミセスが息を弾ませているうちに、より凶暴化したトッティに難なく弾かれてしまった。山積するかぼちゃに足を取られ体勢を崩したミスター・ルウ。その隙を見逃さずトッティが急襲しようとする。狙いを付け、筋肉の躍動をバネにしてまっしぐらに跳ねる。すると、その勢いに負けて篝火が倒れ、瞬く間にばら撒かれていた黒い薪に燃え移った。ハロウィンの慰霊祭に供される特別な薪だ。炎とともに供養のための抹香が立ち昇った。

 ミスター・ルウは転倒したところを力任せに押し付けられて仰向けのまま動けない状態だ。狂乱の吸血鬼が、刃物のごとき牙を剥いた。速い。今にも露わな首に触れそうになっている。不死のミスター・ルウと言えども、首と胴とが離れてしまえばどうなるか分かったものではない。

「危ない!」

 わたしは、とっさに墓地の雑草を尖らせてトッティ目がけて射出した。そんな魔法が自分にできるのか自信はなかったが、少し遅れて鋭い棘が蠟(ろう)のような頬をかすめたのが分かった。ほんの少し気をそらせたが、興奮した吸血鬼の妨げには不十分だった。鋭い牙がミスター・ルウの喉仏を今にも突き破ろうと肉薄したその刹那---。


 一陣の疾風が、墓地に向けて吹き下ろした。嵐を呼ぶ強風を打ち消しあるいは払いのけて、瞬く間に地を舐め流星のごとく駆け抜ける。激しい、目も開けていられないほどに。だが、なぜだろう。あるもの全てなぎ倒す突風に、暴力的な圧力を全然感じなかったのは。それどころか奇妙にも快いとさえ思ったのだ。

 風は、しかしたった今猛り狂ったのが夢ででもあったのかと疑うほどに突如止んだ。誰もが毒気を抜かれて動きを止め、荒れた墓地に完全な静寂が降りる。 

 それから、銘々感触は違えど、幻の福音に包まれるかのような心地よい錯覚を覚えたことだろう。透明な声が聞こえたのだ。どこからだろう、空の彼方から、いやこの場の空気自体が共鳴しているのかもしれなかった。

 すぐ隣の別次元から送られてくるその声は、ある人に語りかけた。

 ---「遅くなりました。無事ですか、ア(・)ル(・)」と。

 

  アル---一音ずつ大事そうに発された名が、わたしの胸の奥にも温かく沁み込んでいく気がした。一方で、説明のつかない根源的な懐かしさに襲われて粟あわと鳥肌が立っている。無自覚に目尻に滲むものは熱く、流れ落ちるのを止められなかった。

 呼ばれたのは、ミスター・ルウだ。彼は格闘の跡も生々しく、着衣は破れ髪は乱れて、膝を突いた姿勢でただ一点を見つめていた。固定された視線をたどると、倒伏していたシスター・ソラがいつの間にかすらりと立ち上がっている。牙穴から垂れた鮮血で肩を湿し、遠くにいるような近接しているような不思議に深みのある顔つきをしている。確かにシスター・ソラの容姿をしているのに、常なるふわりとした印象が一変し、落ち着き払った神々しい雰囲気を醸し出していた。

 彼女が、しなやかに大地を踏みしめ右手で高く天を指す。すると、だしぬけに重い振動が両足に伝わってきた。何事かと周囲を見回すと、まさに今上空から降ったとしか思えない太い氷柱(つらら)が幾本も地面に突き立っている。その抜け目ない檻の中に、巧みにトッティが囲われていた。氷の檻にするすると歩み寄ったその人が氷柱の隙間から右手を差し入れる。そして、トッティの額にすっとかざすと、先ほどまで暴れ狂っていた吸血鬼は嘘のように静かに目を瞑った。そのまま後方に倒れ込んだトッティは、どうやら落ちるように意識を失ったようだった。

 一連の出来事は、呆気にとられる一同を置き去りにして流れるように滑らかにとりなされた。

「よかった。大事に至らずに済みました」

 陽だまりの空想が現実化したような優しさを伴って、言葉の余韻を導きつつ振り返ったシスター・ソラが微笑むと、それまで声を発していたのが彼女の喉であったのだと気付く。いや、おそらくソラであってソラではない。その女性は、再び彼の名を呼んだ。今度は重々しく、切なく。

「久しぶりです、アル」

 五百年の時を生きる孤独な男をただ一人そう呼ぶはずの女性(ひと)---それは、本当に、間違いようもなくその人だった。

 俯いたミスター・ルウが、眩い閃光を射られたのかのようにぎゅっと瞼を閉じ、膝立ちで傷だらけのローブを握りしめている。やるせなく歪んだ表情は切なさを超え、結ばれた唇が細かく震えている。想いは溢れるほどなのに、最初に返すべき言葉を探しあぐねているようだった。あるいは、意思に反して声帯を震わすことさえできないのかもしれない。額が、肩が、五指が、身体中の筋肉がきつく緊張している。

 風は、止んでいる。時折森の葉擦れが届いているが、あれほど荒ぶっていたのが信じられないほど静かな夜だ。皆が固唾を呑み、もどかしい心ばかりが次なる展開を急かす。

 やがて、敢然と目を見開いたミスター・ルウは、ただ一語をのみかすれた声に載せた。慕い続けた聖像画(イコン)の母であり、生きてわずかな時間を共にした最愛の妻でもあり、今まさに五世紀を隔てて邂逅(かいこう)するその人の名を。

「…トゥーラ」

 ミスター・ルウは、地面に突っ伏して男泣きに泣いた。

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