今『彼』とおっしゃいましたね?
ミスター・ルウの長い独白に、胸を締め付けられていた。シスター・ソラは、彼の妻である聖トゥーラの生まれ変わりだったのだ。初めてミスター・ルウに会った日、まさにこの場所で二人は再会したのだ。気の遠くなる年月を待ち続けてやっと巡り会えた運命の瞬間に、わたしは知らず立ち会っていたことになる。
愛おしさや説明のつかない懐かしさ、ひりつく罪悪感---心臓をぎゅうぎゅうと掴まれるような感じたことのない切なさが込み上げている。頰に冷たさを覚えて手をやれば、溢れんばかりの雪解け川のように涙を流していたことに気付いた。
今は、紛うことなき現代だ。ハロウィンの夜。薬草魔女でベリィと呼ばれるわたしは魔女村に実在していて、この足で教会に立っている。その現実味をほとんど失いかけていたほどリアルな感覚が鈍い。礼拝堂の薄暗さのためだけではなく、歴史の潮流に引き込まれて、心を持ち去られてしまったかのように。だが、四聖女の立像に焦点を合わせれば、まるで眼前に呼吸しているかのように生き生きと語られていた彼女たちは、確かに祭壇に並べられたつるりとした白磁の無機物なのだった。
いつになく真剣な表情で押し黙ったミスター・ルウが、小さく息を抜いた。それが、現時点に戻ってくる合図だった。
「この春に来られてから今まで、よく普通の人間のふりをして生活できましたね」
このタイミングでは何を言っても陳腐に過ぎる。それでも、咳払いをして枯れた声を整えるのに少しばかり集中力が必要だった。
「五百年を経るうちに、耐性が高まってきたのは確かだ。それもこの森の恩寵かもしれない」
「昼間でも活動できるようになった、と?」
「ああ。万全の対策は必要だけどね。悪因を防ぐことが重要だ。君に指摘されたように、サングラスは目から受ける光の刺激を抑えるための保護具だよ。100%UVをカットできるものにしている。必ずそれをかけて目を覆っていた。できるだけ日陰を選んでさりげなく休憩しながら歩いたり、始終真っ暗な用務小屋で体力を回復したりした。それに、今はかなり効果の高い日焼け止めクリームが売られているから、‘‘WITCH’’で取り寄せたんだ」
「目と肌を守ることで凌ぎやすくなるんですね」
「特に目だね。視神経が一番にやられるんだよ。直射日光で灼かれるのもだけど、実際のところ目から受ける影響がかなり大きいらしい。樹々に囲まれて直射の弱いこの村だからもったという面もある」
「頭は…だから、もじゃもじゃなんですか?効率よく日光を遮断するために、髪の毛という死んだ細胞でボリュームを出すのが合理的なんですね?顔に陰を落とすために帽子の庇代わりにもなる優れものということですか」
「いや、それは別に…」
「個性的なこだわりの方でしたか」
「一番長く昼を過ごすのが学校だから、実は全ての窓ガラスに幻覚の魔法をかけている。重度のUVアレルギーだと偽って、『魔術実技』担当のミセス・マコーミックに骨折ってもらった。本来の太陽光を遮断した上で、その強弱に応じた模擬の光を窓ガラスから照射する魔法だ。だから、学校では裸眼でいられたんだ。ミセス・マコーミックには、自分がかけた魔法について催眠術で忘れさせた。図書室に設置されていた‘‘幻想消火器’’は、念のため用務小屋へ引き揚げた」
「…わたし春に図書室でひどい幻想に遭いました」
「それは、すまない」
「いえ。助けも呼べなかったので、‘‘幻想消火器’’があってもどうしようもなかったと思います。それより食事はどうなさっていたんですか。血液の他には何も摂取できないんですよね」
「食生活は、森の動物たちに支えてもらった。深夜に奥深くへ分け入って少しずつ血を分けてもらったが、断じて命を奪うような真似はしていない。『殺めず、諦めずに』というトゥーラの教えをずっと守っている」
「森で目撃された噛み跡のついた動物たちは、弱ったり後遺症を負ったりはしていなかったそうです」
「そのように制御している。ただ少し足りなくなったものだから、仲良くなったヴァイオレットに頼んで人工血液を合成してもらった」
「え!ママに!?」
あ、隔離温室の大鍋で煮ていたあの赤黒くて鉄臭い液体---あれは、‘‘魔女サプリ’’の新作ではなくて吸血鬼用の合成血液だったのか。
「暑さ寒さを感じないのに、体は律儀に冬眠しようとするんだ。過去に苦い思い出があるから、絶対に克服すると決めて、コントロールできるようにずいぶん試行錯誤したよ。秋口からこれでもかと飲み溜めすると冬に眠り込まないで済む。昨今は温暖化の影響で越冬もしやすくなった。身体的には無理を強いるけどね」
「いつの間に親密になったのかと思ってましたが…」
「ヴァイオレットは、独力で世界を飛び回っているだけあって人の本質を見抜く目がある。得体の知れない私にも気軽に接してくれたし、多くを語らず人工血液を依頼した時も快諾してくれた」
わたしは、蚊帳の外だったのだ。ママはミスター・ルウの正体を知った上で隠し立てしていたのだろうか。
「とても助かったよ。睡眠不足は別として一人で外食できるうちはまだよかったが、毎日動物たちを捕獲して連れ帰るのは一苦労だ。また逃がしに行くのもね。目撃される危険性も高まってしまう。ヴァイオレット特製の人工血液はいい味をしているし、タンパク質が植物由来らしくて私たちにとっては精進料理のようなものだった。惜しげもなく‘‘魔女サプリ’’が入れられていて栄養満点だし。荒くれる彼を大人しくさせてくれたよ。本当に助かった」
---今ミスターは私たち、と言った。荒くれる彼、とも。
「何のことです。今『彼』とおっしゃいましたね?」
考えてみれば、複数必要なはずの動物を捕獲してわざわざ持ち帰るのもおかしな話だ。ハックマン教授の血液を一度に飲み尽くすほどの性能があるなら、捕まえたその場で飲めば済む。森の奥であれば、人目に触れる可能性も低い。陰に溶けられると言っていたし、居住区を取り巻く森は深いのだ。
「誰のことなんですか、『彼』とは」
思わずきつく問い詰める語調になる。ミスター・ルウは視線を斜めに下げて、バツの悪そうな嫌気が差したような微妙な表情をした。
「『彼』は生きているんだよ」
「生きている?」
「ああ、残念ハンサムことご存知トッティだ」
「『トッティだ』?えぇ!?あのトッティ!?でも、トッティはワルプルギスの炎で焼かれて…」
「いや、それが実は焼かれただけで死んだわけではないんだ」
焼かれただけ?変わり果てた姿で焚き火の跡から見つかったトッティは、明らかに致死傷の丸焦げだった。ショッキングピンクの革ジャンのほんの一部だけが辛うじて原形を留めていただけだ。
「その件については騒がせて申し訳ない。トゥーラの呪詛などとも結びついてしまって、皆に不安の種を植え付けてしまった」
口ぶりとは裏腹に、苦々しい苛立ちのような、あるいは拗ねた子どものような不可解な色がにじんでいる。




