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魔女たちは祝宴し続ける  作者: ロックプロジェクト
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その二人 ≪中世≫

 古い話だ。私は、とある国の中等学校で歴史を教える新米の教師だった。父一人子一人の家庭で育った。産後の肥立ちが悪く、私を産んですぐ他界した母の顔は覚えていない。唯一の肉親であった父と、気楽な男の仲間意識で、付かず離れず簡素に暮らしていた。

 学生の時分には、教員になるために勉強しながら演劇集団に属していた。脚本を書き主演することもあった。本来の剽軽(ひょうきん)な性格で広く浅く交流の輪を広げていたが、その人間関係は環境が変われば忽ち雲散した。きっと再演しようと約束し社会の扉を開けていった仲間たちともすぐに疎遠になった。

 私は、学校で教えることに生き甲斐を見出そうとしていた。

 同じく歴史の教鞭を執っていた父が、流行り病に罹り急死したのは、雪解けの水溜まりがまだ点々と街路に残る春まだ浅い寒い日だった。

 突然、私は天涯孤独となった。

 

 死の伝染病は、加速度を増して拡大していった。

 その混乱によって都市機能は麻痺し、学校も軒並み閉鎖された。職に就いたばかりで熱意に燃えていた私は、家族と教職という全ての拠り所を失った。薄給だった父の遺産は何もなく、復職はいつになるのか分からなかった。糊口(ここう)をしのぐことができなくなるのも時間の問題だった。

 この世の終わりのような暗鬱な情勢と相俟(ま)って、やさぐれた私は場末を夜な夜な飲み歩いた。咲き誇る花々も萌(も)え出(いで)た若葉も、美しい春の景色は一つとして私の目には映らなかった。

 

 いつものように強(したた)かに酔って帰路をよろぼい歩いていたあの夜。

 ひときわ濃い建物の陰が千切れたと見るや、抵抗する間もなく、その陰のような煙のようなものに襲われていた。鈍い動きで振り払おうとしたが、飛び掛かってくるものは、冷たいばかりで実体がないようだった。

 既にして前後不覚だった私は、何が起きたかも分からないままその場にぱたりと倒れ込んだ。

 

 翌朝、耐えきれない寒気に震えて目覚めた。

 酔っ払いがいぎたなく露地で寝込んだ罰だと自嘲した。空が明るくなってから幾分過ぎていた。何やら格闘したような薄ぼんやりとした記憶が浮かんだ。頬がぴりぴりと痛んでいたが、喧嘩でもしたのか、倒れて打ったのかどうかも思い出せなかった。

 家に戻っても寒気は酷くなる一方だった。窓を閉め切り、ベッドに横たわった。全身が鉛のように重く、何も喉を通らなかった。死人のように血の気が失せた。

 例に漏れず、病魔に魅入られたのだと思った。苦しみから解放されたい、早く召されたいと願った。父亡き後、一人で暮らすには広すぎる家で。

 

 不快な微睡みの途中、ほとほとと表の戸を叩く音に気付いたのは、太陽が中天に差し掛かった頃だったろうか。窓の隙間から皓々(こうこう)とした細い光が漏れていた。

「開いています」

 嗄(しゃが)れ声を絞り出すまで、控えめだが意志あるノックは止まなかった。

 躊躇(ためら)いがちに扉が開かれた。家内の薄闇を切り裂いて侵略してきた日差しに目が眩み、とっさに顔を背けた。掛け布を深く被り直し、身を丸めて寝返った。

「失礼します」

 張りのある若い女声が聞こえた。声は、独居の家々を見回っているのだと告げた。流行り病の病人を見舞う慈善活動のようだった。

 近付いてくるしなやかな足音が、ベッドのすぐ傍で止まった。

「大丈夫ですか。聞こえますか」

 緊迫して問う声は、途中で狼狽(うろた)えた。

「お酒が…残っていらっしゃる?匂いが少し…宿酔いでしょうか」

 すぐに落ち着きを取り戻して訊ねた。

「具合はいかがです」

 光に目を射抜かれ、強烈な頭痛に見舞われていた私は、呻(うめ)くような生返事を返したように思う。

「すみません。街外れの修道院から参りました。トゥーラと申します」

 邪険な誰何(すいか)と取ったのか、女性は慌てて名乗った。そして、

「本当は二人一組なのですが人手不足で…相棒は分かれて二軒先のおばあさんのところへ。苦しそうな声が聞こえたので、勝手に上がり込んでしまいました」

と詫びた。

「熱はありませんか。もしや体が腫れているというようなことは」

 気遣わしげに訊ねる彼女に、私はもう呻き声で応じる余裕もなかった。光線に焼かれた眼球から広がる気持ち悪さが、全身を侵そうとしていた。

 トゥーラと名乗った女性は、返答のないことに不審を感じ、ぐったりとした私の様子に尋常でないものを悟ったようだった。

「いつから臥せっておられます。熱はありますか。咳は」

 矢継ぎ早に問うと、柔らかい手が額に触れるのを感じた。次いで、首や腕の付け根を確かめる感触がした。それから、ほっと息を吐く気配が。

「熱はないようですね。むしろ低すぎるくらい。今のところ兆候はないようですが、安静になさっていてください。無理をなさると流行り病に負けます。命取りですから」

 少し低い優しい声が、その時、喪失感に蝕(むしば)まれていた私の胸にじわじわと沁みた。

「飲み過ぎはよくありませんよ」

 百年ぶりに家族的な親切に触れた気がした。私は潜り込んだ夜着の隙間から、伺うようにその温かな声を降らせる親愛なる救済者を垣間見た。再び陽光を網膜に当てる危険を顧みず、一層強く目を押さえようとする防御反応を制して。風邪の子が、寝床から母の姿を探すように。

 意志の力で、一つだけ瞬きをする間の、傷んだ視野の朧(おぼろ)がかった鑑賞が叶った。

 彼女は、ちょうど扉から漏れる春の日差しの中にいた。ゆったりと纏った修道服の胸に揺れる十字架に手を添えて、印象的な漆黒の目で心配げな慈愛を送っていた。愛し、許し、全てを理解して受け入れるような情け深い微笑みを浮かべて。

 眩(くら)んだ私の目には、夢の霧を纏い孤立した息子を迎えに来た慈母(じぼ)のように映った。

 実母を知らない私にとって、嘗(かつ)てそれは永遠に想像でしかなかったが、気配を察して振り返った母親に微笑まれて心底安んずる子の心持ちが、その時生まれて初めて確かに感じられたのだった。

 その幸福感は、絶大だった。

 反射的に弱みの全てを曝け出して泣き出そうとする心を、私は大人の男として無理にも引き留めなければならなかったが、果たして上手くいったのかどうか分からない。

 瞬く間の美しい聖像画(イコン)は、その後一切の退色もなく、今日の今日まで瞼の裏側に灼きつくこととなった。それはまた、最後に私の瞳に映された光に生きる人の姿でもあった。

 黒衣の彼女は、私のために十字の印を一つ切った。

「枕元にお水とパンを置いておきますね。念のため明日また伺います」

 そう言い置いて去っていった。遠ざかる衣擦れの音を残して。

 

 このまま朽ち果てればいい、と自暴自棄になっていた。召されれば居場所のない孤独から解き放たれる、この世の苦痛から逃れられると、早く逝くことを心中で望んだ。

 しかし、一瞬の慈母の笑みが、失墜した私を救った。生きてまた会いたいという希望を与えた。

 せめて一葉の礼の言葉を渡すため、できることならば、柔らかな手を取って深遠な黒の目を真正面に覗き込むために。

 

 私は、いつの間にか眠り込んでいたようだった。 群青の空が黄昏(たそがれ)を追いやって、辺りがとっぷり暮れた頃ようやく目を覚ました。眩暈(めまい)は治まっていたが、手足の爪先は冷え切ってかじかんでいた。

 彼女の置き残してくれた水を含んだが、土砂の混じったような味を覚えて吐き出してしまった。

 何か飲みたい、と切実に欲した時、台所から走り出てくる鼠をはっきりと目が捉えた。

 躊躇の暇(いとま)もなかった。

 認識を持った次の瞬間、私の指は鼠をむんずと摑んでいた。そして、徐(おもむろ)に口元へ運んだ。嫌悪感はなかった。ただ無意識にわかった。鋭く牙(・)を突き立てればいいのだ、と。そうすれば、好ましい匂いの赤い血潮が渇きを満たす---。

 

 どこまでも沈み込むような暗闇の中で、不運な鼠の死体を手に握ったまましばらく放心していた。

 



 日の出ているうちは薄目も開けられないほど眩しく、陽光に当たれば肌が火照って溶けるようになった。昼間は窓を二重に閉めて厚布を掛け、暗闇の中で眠った。体温が異様に下がり続け、もそもそと咀嚼(そしゃく)して押し込むように嚥下(えんげ)できていたパンも顔をしかめながら飲んでいた水も、徐々に全く受け付けなくなっていた。

 食糧の鼠は家内にいくらでもいた。私の体は、赤く染まった小水をのみ排泄するようになった。

 新しい希望は胸中に抱いていたが、正気を保つのに間に合わなかったのだ、粗略に扱った身体も限界を迎えたのだと考えていた。有り体に言って、気が狂っているとしか思えなかった。 

 また来ると告げた修道女(ひと)は、いくら待っても現れなかった。半年余りが過ぎていた。私の家族が通った教会も近くの数軒も出家施設を持たず、気を揉むばかりで探しあぐねていた。

 やっとのことでその日、街外れ、という微かな響きを掠れた記憶の片隅から引き摺り出すことに成功した私は、夜を待ってそこへ向かうことにした。

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