魔女の教会
蜂蜜色の夕陽は儚く消え入りつつあった。木蔦の蔓延る二階建て校舎が、纏い始めた薄闇の中で威容を誇り、校門の屋根上に飾られたハロウィンかぼちゃは方々に明かりを投げかけている。昼夜の交代を受けてキャンドルに灯が点ったのだ。一本の灯明が鼻面に当たると、警戒心の強いイノはわたしの後ろにさっと下がった。
学校内は再度入念に確認されたということだったので、遺体保存用の氷を取りに自宅へ戻るというヴェロニカ副団長と別れて教会へ寄ることにした。アンナの無事を祈りたいという焦燥感にも似た感覚を覚えていたからだ。村中を歩き回って足は棒のようだけど、精神的負荷に比べればどうということはない。
丘を下る路傍にもハロウィンかぼちゃが光の行列を作り、立木を透かして展けた眺望に出会すと足を止めて見入ってしまった。強まる風を受けて、村の全域が夥しい数の灯火に揺れている。山の麓から母なる大河に沿い、<トゥーラの聖痕>を巡って周縁に輪を描く。その中にも小さな幻灯が寄り集まって、星を撒いたかのような瞬く絶景を創り出している。空の星座を地に映し火色に夜を輝かせる、目を、口を彫り出されたかぼちゃたち。その一つ一つに亡き家族を想う真心が込められている。おばあちゃんやご先祖さまが無事に里帰りできるように、わたしも庭にできるだけ多く並べ置いたのだ。出張前にママが残していった無骨な一個を取り巻いて。
坂道を下りれば教会は近い。入り口に置かれているリスの夫妻の木像もまた、山ほどの大小のかぼちゃに埋もれきっていた。
「ちょっと待っててね」
探り出したリスの夫のしっぽに散歩用リードを引っ掛けると、不安そうに鼻を鳴らす狼犬の頭を優しく撫でた。
ハロウィン仕様に飾り付けられた礼拝堂は、かぼちゃ形キャンドルやリアリティ溢れる魔女の装飾で面妖な雰囲気を醸し出している。即席の蜘蛛の巣の下で祭壇に屹立する四聖女の像を前に、ともすれば沈み込みかける気持ちを改めて立て直そうとした。今は女々しく潰れている場合ではない。べとりと垂れた鮮血の映像をこれ以上脳内で再生するまい。アンナは戻る。村の代表者である団長副団長をはじめ、アンナパパもミセス・ゼムフィーラも数え切れない小人たちも、仲間を捜し出すために迅速に役目に就いた。今の今も、密かに全力を挙げてアンナを捜しているのだ。きっと大丈夫。わたしも、わたしにできることをするだけだ。 大切な人を守るために、まず何からどうすればいいか---。
誰に、あるいは何に対して祈りを捧げるべきか迷ったが、十字を切ることさえ忘れてわたしはただ真剣に手を組んだ。祈りはあふれる思いで、祈りの対象は折れそうな心を維持するための寄る辺なのだと知った。アンナが危険に晒されていなかったなら、もしも世界中にわたし一人しか生物が存在しないならば、たまさか祈ることもないだろう。家族と仲間がいるから、そこに祈りが生まれるのだ。世界の宗教史で習う「神」のことはまだよくわからない。信仰と呼べるのかどうかも定かではない。心の内で対話するのは、何か大きなものだ。わたしの場合は、この魔女の森なのだと思う。
意識を向ければ、いつになく風立つ森がざわざわと騒いでいるのが分かる。森は、誕生と死、過去から未来までわたしたちの全てを抱き込む命の源だ。それは、すなわち五百年の営みを遡り聖域を拓いた最初の魔女たちをも含んでいる---。
トゥーラ。ローザ。オト。ベアトリス。辛い運命に抗って逃げおおせた中世の四人の女性。きっと彼女たちは、ただ生きたいと願い、人間らしく生きようとしたのだ。
暗黒面も疑われるが、彼女たちが生きたのは魔女狩りなどという大狂乱の時代だった。真実はどうあれ、この森に息づいた等身大の女性たちだったことは確かで、魔女村を守護する精霊であるからこそ、四聖女はこうして代々祀られているのだ。
レポートを書いた時、聖ローザの丸薬は他の皆のためにつくられていたのだろう、と参考図書の文言に読んだ。当然その通りだ、と感じたことを覚えている。ママの魔女サプリであれ、誰かに贈るオリジナルティーであれ、薬草魔女がつくるものは、必要な栄養素や精気を得てほしいという利他的な望みの結実なのだから。
現代のわたしたちが抱く指針、公益を図る態度や仲間を守ろうとする強固な意志は、突発的な示し合わせからは生まれえない。今ここにあるのは、人から人へ昔から連綿と受け継がれてきたからだ。その端緒が<最初の四人>ということになる。
善なる部分をこそ信じよう。わたしたちの礎を築いた事実には紛れもない。何より、理不尽な危害に対抗しようとする想いには、一も二もなく共感してもらえるだろう。
今度は敬意と弔意を捧げ、魔女の祖先に長く長く願いを込める。もしハロウィンに故郷の森へ戻ってこられるなら、いまこの時どうか力を貸してください。新しい道を切り拓いていく先導者であり明るく輝かしい存在である親友に加護があるように。まだ間に合いますよう。苦難に見舞われた彼女が救い出され、残りの時間を、必ずまた共に過ごせますように、と。
祈るうちに夜が深まっていたようだ。組み合わせていた手を離すと、半月の爪形が残っている。背後で入り口のドアが開かれ、ただちに暴力的な音を立てて閉まった。小さな明かりを灯すキャンドルが吹き込んだ風に煽られると、礼拝堂は映し出す炎に合わせて揺れ動いた。
振り向けば、シスター・ソラとミスター・ルウの二人が、入り口扉の傍らに積まれた薪を両腕いっぱいに抱え上げるところだった。真っ黒に塗り込められた薪からはわずかに抹香が漂っている。
慰霊祭のことをすっかり失念していた。今日は教会からマザー・リバーへ向かって広がる墓地で、祖霊を迎え慰めるためのハロウィンの儀式が催される。雨が降ろうが杖が降ろうが、たとえ変死事件や失踪事件が起ころうと、浮世の都合とは切り離され、定めてこの日に実行される年中祭事である。
「あら、ベリィ。ハロウィンにお祈りにいらっしゃるなんて素晴らしいですわ。戻ってこられる四聖女もお喜びでしょう」
声を弾ませたシスター・ソラが微笑むと、晩秋の宵の口に愛らしい花が咲く。春のそよ風を遊ばせる、可憐だがしっかりとした花をつけるチューリップのような無邪気さの虜になってしまう。
「戻ってくる?四聖女が?」
横からすかさず問うたミスター・ルウは、魔女村流のハロウィン初体験だ。風は唸りを上げていたらしく、吹きつけられた形そのままに頭髪が偏っている。
「ハロウィンには、他界した人達がみんな帰ってくるんです。始祖の四聖女も」
わたしが答えると、先生と生徒が逆転する。
「本当に会えるの!」
驚いたミスター・ルウが目を丸くしてもじゃ頭を跳ねさせると、その反動でいつもの繁茂状態に戻った。
「いいえ、あくまでも言い伝えです。霊魂的な。さすがに死者が蘇るファンタジーはありません」
「なんだ、それは残念」
大げさな演技なのか本当に期待したのか、語気ともじゃもじゃの頭が両方とも目に見えてうち沈んでいる。憂えた空気を、持ち前の朗らかな調子で黒衣の魔女が和ませる。
「私は、昔かわいがっていたウサギに再会したことがあります。ハロウィンは素晴らしいですわ」
このような事態になっていてもシスター・ソラは変わらない。屈託のない発言だけで、恐怖心や思い煩いが癒され、昨日から凝り固まっていたはずの気持ちが随分と開放されていることに気付く。亡くなったペットに会えたということだろうか。しかし、言わずもがな、それは見間違えた別のウサギでは。無言の疑義をマイペースに受け流し、ゆったりと修道服を身に纏った天候魔女は先生を促す。
「ミスター・ルウ。参りましょうか」
「ええ。早めに運んでしまわないと。薪担当を仰せつかったのにもたもたしてたら団長に叱られるし、風のせいで火を点けるのに手間取るかもしれない」
抹香で塗り固めた黒い薪を燃すと、天に立ち昇る香をたどって祖霊が戻ってくるといわれている。ハロウィンの慰霊祭には、毎年ほとんど全員が参加する。祖先に対するハロウィンの感謝は、忘れられぬ魔女村の伝統だ。
執務室の方を抜けて裏手を近道する二人が、ハロウィンにまつわるエピソードを披露し合いながら仲良さげに出ていくのを見送った。
触れ合った薪の、清々しいが癖のある残り香が、薄暗い聖堂に幽かに漂っている。
ああ、ここで会えたのは魔女の森、あるいは四聖女の采配かもしれない。
あの人は、もう一度ここへ戻ってくるはずだ。入り口には、まだちょうど一抱えの薪が残っている。樹種は火持ちの良い楢、大事な儀式のために用意された最高品質の薪材だ。祭壇をつくる差配があるから、慰霊祭の責任者である彼女の方は墓地に居残るだろう。
吹き過ぎる暴風の音を、聞くともなく聞いていた。しばらくすると、再び扉に手がかけられ、開かれた隙間から風圧の吠え声がねじ込んでくる。
わたしは、一つ長い息を吐いた。




