怨念
クライマックスです。
薬草エリアの象徴‘‘まじょっち’’に着くと、ちょうど入り口から背中にマントをかぶったアンナの弟が走り出てくるところだった。
「村に手を出した報いであるー」
熱意高く一人でがなってからマントの裾を踏み付けてコケた。家族関係の難しさなど案外気にしない恬淡とした彼は、いつも確固として自分の道を歩んでいる。そういう性質が緩衝して、義姉のアンナ、継父となるパパさんやダリヤ店長を丸く収めてきたのだろう。
「大丈夫かい?」
地面に激突していたので手を貸そうとしたが、
「わが姉の朋友ベリィよ、ご心配召されるな。吾輩は偉丈夫ゆえ」
と答えてさっさと走り去っていってしまった。なかなか個性と見所のある少年だが、ああいうセリフはどこで覚えるんだろうか。
と思案していると、ネタ元はすぐに分かった。店内のテレビに「わが君」とか「報いである」とかいう堅苦しい字幕が流れている。歴史ものの韓流ドラマだ。艶やかな民族衣装の男女が、覇権を争う宮廷の抗争に巻き込まれて東奔西走しているらしい。自粛ムードで客足が遠のき、ダリヤ店長は暇を持て余しているのだ。テレビ放送の電波はほぼ入らないので、‘‘WITCH’’を通して購入したDVDだろう。楽しんで鑑賞しているというよりは、寒心をごまかすことが目的のような雰囲気が漂っている。
「あら、いらっしゃい、ベリィ。よく来てくれたわね。‘‘魔女サプリ’’の売れ行きがいつもより好調で店頭在庫が切れかけてたの。そろそろ連絡しようと思ってたんだけど、ちょうどよかったわ」
笑顔が咲いている。話し相手が現れたことでダリヤ店長のオーラも明るくなったようだ。わたしの方でも、自覚する以上に憂鬱だったのだろう。決まった場所で知った人と顔を合わせる安心感を明瞭に覚えていた。建材の木の香気と手作り品が漂わせるハーブの香りが混じり合う‘‘まじょっち’’の変わらない佇まい。地に根を張り下ろしたような親友アンナの育ての母。やはりここへ来てみて正解だった。ホッと一息つけたことで、条件反射的に元気が出てきた気がする。
「アンナの弟に会いました。コケてましたけど」
「まぁ、いつものことよ」
「今日も‘‘ましょっち’’でしたね。律儀に‘‘ポロの実’’取っていきますね」
四季ごとに描き変えられる店名の看板も、表音文字の点々だけは春からずっとポロの実が使用されていた。
「え、ポロ毟るブームは彼の中で終わったのよ。もう全く関心ないの。急変して、今は四六時中マントをかぶって時代がかったセリフを言い続けるのに夢中。実害がなくて助かってるけど」
でも、念入りに観察した表の看板は確かに‘‘ましょっち’’になっていた。
「いつからマントで時代劇ブームなんですか?」
「一昨日からよ」
「その前日にはポロの実は貼り直したんですか?」
「ええ、もちろん」
矛盾している。ポロの実が萎縮してしまって見えにくいわけではなく、点々があるはずの部位には本当に何も貼られていなかったのだ。アンナの弟が取っていったわけではないとしたら、どんないきさつで失くなってしまったのだろう。
「そんなことより、昨日は大丈夫だった?あの警報にはびっくりしたわね。この年齢になって初めて聞いたわよ」
「‘‘グリーン・ショック’’が鳴った直後に<トゥーラの聖痕>に行きました」
「一人で行ったの!?じゃあ、当人を直接見たのね」
「はい、恐ろしい顔で…」
「夫が聞いてきたんだけど、‘‘ナンバー5’’というかハックマンさんというか、とにかくあの聖痕に落ちた人の首元にね、牙のような痕がはっきりとついていたらしいの。そこから血を吸われたようだってピコリーナが診立てたそうよ」
「首に噛みつかれて血を吸い尽くされたんですか!」
---全身の血が急激に下がっていくのが分かる。だとしたら、悪しき所業はまさしく吸血鬼のそれだ。ごまかしようがない。闇の森からぞろりと這い出てくる炭のような姿が連想される。すぐそばにいたのか。じゅくじゅくと焼け落ちた肌に炭化した髪を振り乱し、目だけが光る闇の魔物。飢えに耐えきれなかったのか本来の力を取り戻しつつあるのか、トゥーラはついに夜中に現れたのだ。自らが雷の楔を打ち込んだ怒りの刻印に。いよいよ動物から人間へと標的を移して。トッティ、ハックマン。一人ずつ命を奪っていこうとしているのだろうか。姿を見せないということは、きっとまだ吸血鬼としての属性が勝るということだろう。
「これまでずっと平和だったのに…。気をつけるのよ。無茶しないでね。ヴァイがいない時はあたしたちを頼っていいんだから」
親身に思いやってくれる店長の声も右から左にすり抜けていた。
なぜピート・ハックマンが殺されなければならなかったのか。調査に入ることで秘密の村に手を出したから?それとも無作為に?激怒の雷が両断した森の裂け目に投げ捨てられて、どんなに心細かったろう。全身が失血するだなんて、遺体となって発見されるまでにどれほど恐ろしい思いをしただろう。魔女とは目も合わさないようにして五人一かたまりで調査活動に勤しんでいた姿を思い出す。帰りを待っているだろう家族に最後の別れも言えず、誰も知らない僻地で痛ましい変死を遂げた王国の大学教授。どうして彼が餌食となってしまったのか。明かされるものなら、王国ポリスがその答えを教えてくれるだろうか。古い天候魔女の積年の怨念を宥める方法を見出せるのだろうか。
ややもすればぐしゃりと潰されそうになる心を鼓舞し続けなければならなかった。鼻で風切って先導してくれるイノの姿に勇気を得る。一人と一匹が一歩ずつ前に進んで行く。イノとブラッキーは、どんな時にも好奇心と信頼で目をキラキラさせ見上げてくれるかわいい小さな家族だ。いくら村が呪われようと、彼女たちが血に染まるようなことはあってはならない。わたしが守り手なのだ、と心を奮い立たせた。
スイ団長にかけてみようと取り出したスマホが手中で震えたのは、家に帰り着く寸前のことだった。
アンナからの短いメッセージが、青空を背景としたチャット画面にぴこんと浮かび上がっている。
アンナは、休暇中だが図書室でバイトに励んでいるはずだ。昨夜の事件について、今朝もやりとりをしていた。わたしから発信した最後のメッセージが「気をつけてね。バイトがんばって」と表示されていた。その下にたった今届いたアンナからの文面は、どうやら完結せずに途中で終わっているようだった。「たすけ」という文字だけを内包した小さな吹き出しが、背景の空に頼りなくぶら下がっている。
しばらく画面を見つめていたが、その後に続く言葉はなかった。伝えたかったのは---助けて、ということに違いない。
---何かあったのだ。アンナは簡単に他人の助力を求めるタイプではない。独立心が旺盛な長女気質で、泣き言を吐かず器用に物事をこなしていく人だ。たちまち黒雲のような不安が沸き起こり、涙が込み上げそうになる。でも、弱気になってめそめそと泣いている場合ではない。急いで学校へ向かい、とにかくアンナの状況を確かめるのだ。早とちりであればいい。勘違いなら上々だ。慌てて飛び込んでくる幼馴染をいつものように朗らかに笑い飛ばしてくれれば---。
リードを外す暇も惜しんでイノを母屋に帰し、音を立てて鍵をかける。何度スマホを鳴らしてもアンナの応答はない。箒で飛べればいいのにと詮無いことを考えながら中央広場まで走り着くと、ちょうど良いタイミングで呑気な蹄の音が響いた。
「これはこれはベリィのお嬢さん、本日も学校ですか。気をつけていっ…」
「っ乗せてちょうだい!」
無表情のケン・トゥ・ウルスがスリープ状態に入った。想定外の事態で思考停止したようだ。
「時間ないのよ!早く!」
非常時の剣幕で強制的に解除する。滑稽なほど馬はうろたえていたが、無理やり背中によじ登った。腰に腕を回すと予想通り生温かかったが、こんな時に文句は言っていられない。
「お願い、飛ばして!」
「お、お願いされましてございます。ワタクシにお任せあれ!」
手のひらで一発叩くと、正気を取り戻したケン・トゥ・ウルスは、風を切り最大馬力を発揮してぐんぐん地を駆けた。
残りわずかになりました。完結までよろしくお願いします。




