予言する星空 (ベアトリス ≪中世≫ 2)
ローザの淹れた茶が、晩秋の洞窟をラベンダーの香りで満たした。ちらちらと小雪が風に舞う冬の半歩手前。焚き火に向き合い暖を取りながら、石で叩き割った胡桃を摘む。三人と一頭のトナカイは、月が照らす夜にベアトリスの問わず語りを聞いていた。
「美しく晴れ渡った初夏の朝に、今日嵐が来る、と口走ったことが始まりでした。ブレックファストティのカップを傾けながら、父が呆れたように顔を背けたのを覚えています。
星空の観測がわたくしの日課でした。五歳の頃に付いた家庭教師が天文に造詣が深く、興味深い知識を披露するものだから、耳年増で星に詳しくなって。
毎夜一人で星を見るようになり、気付いた時点ではもう天体や星空を大好きになっていて、後付けで相応の専門知識も修得しました。
さまざまな惑星や衛星が、複雑な軌跡を描き合いながら巡り巡る宇宙。銀河を流れる普遍の法則と、一面に撒かれた星々によって編まれる栄枯盛衰の一大叙事詩。瞬く月光が、時に欠けゆく部分食や金環食が、光の縞を引く夜這星が、降り注ぐ流星群が、のべつ幕なしに語りかけてきました。耳を傾けるなら大編成のオーケストラ、目を楽しませるなら宝石を散りばめた壮大なる点描画。濃紺色の夜空の広がりは、わたくしたちに向けたメッセージを宙の天幕に映し出す生きた導師なのです。
そして、わたくしは、何年もかけて、時間軸と主要な星座を組み合わせた運命表を編み出したの。基本的な『運勢』というエネルギーの流れ方を判じるものです。
その人の生まれた日と時間を起点にして、見たい時間まで星座の描かれた円を回すの。年単位月単位、ある特定の日、過去にも未来にも。お仕事の状況から愛情の行方、吉凶の方位まで、星座の位置関係を読んで知りたい命運を判断するのです。自分で考案した方法で、星図が複雑だし、わたくしの場合は実際に星々から得た直感と合わせて占うから、仕組みを説明しにくいんだけど」
聞き手の理解を待つように、ベアトリスは少し言葉を切った。
「星占という占術がありますね。修道院の同僚が凝っていたことがありました。ベアトリスは教わる先生もなく術式を一から作り上げたのですね。素晴らしいわ」
トゥーラは尊敬の眼差しだ。相槌を打つローザは、彼女の論理性に感心していた。
「わたしなんて北極星とオリオン座しか知らないわよ。ねぇ、じゃあわたしたちの…」
行く末はどうなるかしら、と訊こうとしてローザは口籠った。咄嗟に「この世界は今後どうなるの」と言い代える。
ベアトリスは、岩肌を透かして星空を観じているかのように時折天面を見上げながら、返辞には真摯に熱を込めた。
「生きとし生けるものには、全てにおいてエネルギーが流れています。宇宙から石ころまで。目には見えないその流れが森羅万象を動かしている、とも言えるわね。スムーズな循環が滞れば、空気が濁ったり病気になったりするし、そもそもエネルギーの性質が、品種や個性という違いとして表れるのです。
人生の軌跡も、自在に展開する一本のエネルギーによって描かれます。ローザにはローザの、その時の年齢なりのエネルギー、トナカイにはトナカイの個体が持つエネルギーが巡り続けているの。
それらも星が教えてくれたことです。そして、今は人にとって大きな試練を経験するための頃おいなのだ、とも星が示している。古い価値観と新時代の奔流とがぶつかり合い、新しいものが生み出される。疫病や権力抗争、宗教的迫害による苦い経験は、教訓と戒めを伝える史実として後世に長く残ります。反省が生かされて後の知恵を生み、やがて世界は共存を模索する成熟期を迎えていくでしょう」
「よくわからないけど、すごい」
オトがぽかんと口を開け、満月のように目を丸くしていた。
「夜空と対話していると、未来のことが直接頭蓋に響いてくることがあります。それは短い言葉だったり、映像だったり。嵐を予告した日の前夜、外国のお客様からいただいた高度な望遠鏡で、いつものように夜空を覗いていたの。すると、引き寄せられるように目線を合わせたある小さな星がチカチカと瞬いて…その瞬間、わたくしは即座に理解しました。これは星からの合図だ、と。
その時の意識が醒めるような感覚を忘れることができません。それまでとは違う明確さで、直通に星と繋がった気がしました。
熱心にその星を見つめると、静謐な光が点滅しながら私の意識に染みてくるような感覚がしました。翌日になって襲ってくる嵐の像を、自然と脳裏が受信していたのです。
昼食を終える頃、俄かにかき曇った空に急激な雷鳴が轟きました。逆巻く嵐が襲来したのです。父は、予測の的中で事前対策できるメリットを喜ぶよりも、ただ気味悪そうに顔を歪めていました。
しかし、わたくしはその後も変わらず、毎夜星空を眺めました。直観と運命表を結び付けて先々を読みました。領内の農場の犬が失踪すれば居所を尋ね当て、父が狩りの最中に落馬すると知れば警告を発し、女王が老衰で崩御すると告げられればそれをその通りに話したの。細かな齟齬はあれど、結果は悉く当を得ました。
父には慎みなさいと窘められたわ。けれど、ただの愉悦だったのかもしれませんが、運命表と星からの予言を総合して未来を読むことに、私は自分だけの役割のようなものを感じていたのです。
それが、いけなかったのでしょう」
努めて背筋を伸ばしたベアトリスが、凛と声を張る。
「わたくしには、生後すぐに定められた婚約者がいました。父方の遠い親戚に当たる一つ違いの素敵な男の子でした。四季折々に催される家族の行事には必ず参加して、会う度にはにかみながら赤い薔薇を贈ってくれる憧れの存在だったの。将来の結婚生活を幼い頃からずっと夢見ていました。でもね、飽かず星ばかり眺めて妙なことを言いふらすわたくしに、先方のご両親がいよいよ愛想を尽かされたのです。争議を経て、婚約は破棄されました。
夜空を見て前知する娘の噂は、風に乗って王都の親戚にまで届きました。家長たる父は、相当の危機感を募らせていたようです。夕食後の正餐室で母に零す疲れた声を盗み聞きました。
『あれはもう魔女の誹りを受けても仕方がない。これ以上悪い噂が流布すれば家名に傷が付く。妹たちの嫁ぎ先もなくなるだろうし、取引先も去っていくに違いない。王都の郊外では、魔女の嫌疑を掛けられた女が数人処刑されたのだよ。ほんの二週間前のことだ。ここにまで波及しないという保証はない。伯父の奥方が故郷に付き合いのある農家によさそうな男がいるらしい。辺境だが嫁にやろうか』
めそめそと泣くばかりの母の反論は、娘の淡い期待を裏切って、ついぞ聞かれることはありませんでした。




