ミスター・ルウvsミセス・ゼムフィーラ
それからほどなくして、春学期の期末テストが終了した。繁忙を極める時節柄、勉強に集中できたとは言い難い。今期必修の『実用数学』と『魔女村物理法則』はギリギリかもしれない。が、これで夏休みだ。
ピークを迎えている薬草仕事を一通り終えたら、夏の終わりには、皆を誘って手づくり筏レースやスイカ割りルーレットを計画しようか。アンナやアンナの弟、クラスメイト魔女たちにモリーダスさんのところの男の子二人。香木でキャンプファイア…は今年はよそう。焚き火はもうたくさんだ。絶壁のノース・マウンテンの麓で家族ぐるみのキャンプを楽しんでもいい。自家製造の薬草作業はたっぷりこなすにせよ、授業のない夏の心理的自由さは想像して余りある。
待ち構えていた小間ねずみのちゅう鳴きで終業ホームルームが閉会すると、わたしたちの教室では誰からともなく拍手が沸き起こった。学期末の恒例として、用意してきた夏の花を一人ずつ学年担任に進呈してから退室していく。同期の薬草魔女カモミールは、気合いを入れて手塩にかけた青いバラを携えているし、アンナは例に習って、‘‘まじょっち’’で仲良くなった搬入元のベテラン育種家に変わり咲きのヒマワリを分けてもらいに行っていた。
魔女村学校の教員は、期末日には色とりどりの花を束ねて小脇に抱え下校の友とすることになる。この慣わしはなかなかいいな、心情的にも見映え的にも、とわたしは密かに思っている。
わたしだけ今回は生花を贈らないが、テスト週間の前にベースにする緑茶が届いていてよかった。廊下を帰りかけるミセス・ゼムフィーラを呼び止めて、ギフト包装した特製ブレンドティを差し出した。
「オリジナルで配合した‘‘セルフケアゼムフィーラスペシャル’’です。ベースにした緑茶はとても珍しい種類で、エイジャのジャポンにある一つの農園でしか採れません。‘‘ジェネラルカテキン’’という抗酸化物質が豊富に含まれていて美容にも良いですし、疲労にはとびきり効きます。この茶種だけが持つ‘‘ジェネラルカテキン’’が活性酸素を抑制してくれるんです」
とがり帽子のつばが陰を落とす、隈の滲んだミセスの顔が、手持ちの花束より晴れ晴れと咲いた。
「まぁ、ベリィ!‘‘ゼムフィーラスペシャル’’だなんて、私用にわざわざつくってくれたのね。ありがとう。教授室で大事にいただくわ」
晴れがましい気持ちで、少し膝を折る。
「喜んでいただけてよかったです」
その時、同じくクラスミーティングを終えたミスター・ルウが、花を抱えて隣のクラスから踊り出てきた。一学年下の臨時担任を受け持っているのだ。即戦力として経験を積むために、五月の着任で正担任と交代させられていた。目ざとく成り行きを見ていたのだろう。手を口に当てておどけ、女性的な嬌声から魅惑の低音まで自在に声質を使い分ける。
「いいなぁ、いいなぁ。珍種のオリジナル緑茶だって。私も‘‘ダンディルウスペシャル’’をつくってほしいなぁ。まぁ十分カッコいいんだけど」
心底羨ましそうなのに物欲しげにも感じさせない独特の雰囲気。この人はいつも楽しいムードメーカーだ。心躍らせる語調のせいか、授業中でも小ボケを外さない。顔立ちもかなり端整だけど、気取らないおもしろさでそう感じさせないところがまた魅力だ。
「必ずつくります、ミスター・ルウ」
含み笑いで引き受けた。男ぶりに磨きをかける配合って、また新たな課題だな。もじゃもじゃを縮ませるような効能ってないのかしら。本気でスタイルアップした先生を見てみたい気がする。…いや、端から逆にダウンしていた。
ミスター・ルウはうわ、と叫んで躓きかけていたのだ。要因は、教室の施錠を一室ずつ確認していく用務員の小間ねずみだった。ミスター・ルウの足元を走り過ぎる瞬間ローブの裾に噛みつきそうになり、ねずみの牙を避けるべく飛びすさった長い脚がもつれたのだ。
「こら、小間ねずみ!」
走り去る小動物に、ミセス・ゼムフィーラの注意が飛ぶ。
苦笑いするミスター・ルウは、多分に彼のキャラクターにより早々に他の先生方と仲良くなって、村人のコミュニティに溶け込み、魔女村の生活にもすんなりと慣れていった。用務小屋は快適とは言えないはずだが、男性の独り身だし、とりたてて不足もないのだろう。世話焼きの保護者魔女たちが大鍋料理のおすそ分けを娘や息子に持たせることも多い。アットホームな校内で引き渡される小鍋弁当と、恐縮するミスター・ルウをしばしば見かけることがある。
でも、小間ねずみとだけは反りが合わないようで、実は校内ですれ違う度に足元を狙われていた。何かと忙しい小間ねずみも半期分のストレスが溜まっているのだろうか。用務小屋の同居人だから軽く扱っている可能性もなきにしもあらず。新人を捌け口にするなんて、ラブリーな見た目とは裏腹に性格が悪いけど。掃除や修繕、校舎、図書室の管理業務、チャイム活動など日々の校務に励む小間ねずみにも、学期末の花を贈るべきかもしれない。
そんなことを考える間にも、共同職員室へ戻っていくもじゃもじゃ頭ととがり帽子の後ろ姿が静かな火花を散らしていた。
「夏休みの出勤担当を相談しましょう、ミスター・ルウ」
「一番少ないシフトでいいですよ、ミセス・ゼムフィーラ」
「私もそう思っていたところです、ミスター・ルウ」
「こちらの方が先に思っていましたよ、ミセス・ゼムフィーラ」
「私も思っていました、ミスター・ルウ」
「『ミスター・ルウ』と思っていたのですか、ミセス・ゼムフィーラ」
「『ミスター・ルウ』ではありません、ミスター・ルウ」
「いいえ、私は間違いなくミスター・ルウです、ミセス・ゼムフィーラ」
「もうやめましょう、ミスター・ルウ」
「同じくそう思っていました、ミセス・ゼムフィーラ」
もじゃもじゃ後頭部の巻き込むような弁舌に、ベテランの正装魔女ミセス・ゼムフィーラも負けてはいない。どちらも歴史科だが、おもしろ系のおちゃらけ先生と絵に描いたような真面目の教師。聞き逃せない軽妙な掛け合いは、角を曲がるまで延々と続いた。
「さようなら」
よい夏を。そっと呟く小声さえ軽く明るく閃かせて、ときめく夏の光が燦々と、人気のなくなった廊下に降り注いでいる。




