マザー・リバーの親友とナンパする綺羅星
四季の巡りは、頂点まで生命力の高まる夏を森に迎えていた。
控えめに花の香りを運んだ春に代わり、生命体の活動の源となるエネルギーを燦然と差し込む。活気を放つ夏の光を一身に浴びて、成長期の樹勢は盛んだ。気勢を上げた緑のつやめき、緑の鮮やかさは、比肩するものなどありえないほど美しい。一年中で最も輝く旺盛な樹木に負けじと、差しかけられた枝葉からの木洩れ陽を受けて円熟の花々が咲き匂う。野生の実を摘みに森に入れば、犇めき合う植物たちの精気にむせ返りそうなほどだ。
「はぁ、ここに来ると生き返るね」
岸辺に座り込んだアンナは、足をばたつかせてマザー・リバーの水流を叩く。見た目には穏やかな大河だが、内面は複雑に渦巻く激流だ。口では生き返る、と言いながら、持て余す心情を蹴りつけているように感じるのは穿ちすぎだろうか。
わたしとアンナは、多忙な繁忙期の息抜きと近況報告を兼ねて、東端を流れるマザー・リバーで涼を取ることにした。学業とは別に、わたしは旬の薬草製品の手仕事が引きも切らず、アンナも夏季が書き入れ時となる‘‘まじょっち’’のバイトでゆっくり休む暇がない。
「うん、マイナスイオンいっぱい補給しとこう」
岸辺に立つ大木が差し伸ばした枝で緑陰をつくり、川面を渡ってきた風が、夏日に火照った頰を心地良く冷やす。
マザー・リバーを悠然と流れるのは、透明に澄みきった美しい水だ。手盆に掬えばまろやかで口当たりが良く、ミネラルの含有量は高い。各家庭に引かれたマザー・リバーの浄水は、生活用水として村を潤している。素材の泥落としや基礎化粧品のベースとして高品質の製品づくりには欠かせないし、大鍋風呂に張って沸かすと天然の化粧水みたいにしっとりと馴染む。農業用水の水源としても重要な役割を担っており、野菜や薬草などに与えると害虫がつきにくくなるのが特長だ。
畑のことを考えていたら、にんじん両手に得意満面のモリーダスさんのワハハ笑いが聞こえてきそうなところなのだが、あの日以来、村の誰もがどことなく大人しく、いつにない自粛ムードであることはそれぞれが言葉少なに理解しているだろう。
わたしのすぐ隣で水の煌めきを睨んでいる親友もまた。じっと真剣な物思いにふけっていたアンナが、川縁にいることを思い出したように片足で水を跳ねた。
「ベリィ、五人組の妙なおじさんたちがいたの覚えてる?春のワルプルギスに。あの‘‘チームファイブ’’って王国政府の調査員らしいよ」
春から季節を跨いで口火を切った親友に、わたしは少し気を構えた。ワルプルギスのことを話すのはこれが初めてだから。
「うん」
もちろん覚えている。あの異常な祝宴の日のことは、頭の中で何度思い返したか知れない。
「挙動不審だったよね。王国には、初対面では目を合わせないっていう礼儀作法があるんだろうね。人前で名前も呼んだらダメっぽかったし。けど、ミスター・ルウは自分で名乗ってたな。エリートだから先進的なのかなぁ」
わざと軽快に返してみるが、平常のアンナの熱量は感じ取れなかった。
「案外ミスター・ルウがまともなのかもよ。お客さんから小耳に挟んだんだけど、五人ともあんな事件があって泡吹いちゃってパニック状態がしつこかったみたい。見限った団長に‘‘ワスレナグサプラス’’飲まされたんだって。幸せそうな薄笑いを浮かべてペガサス便に跨がってったらしい」
「プラスはヤバいね。脳の記憶領域大丈夫かな」
「事件のことはまるっきり忘れちゃって、【公表】のための事前調査にまた来るみたいだってパパが言ってた。『村に手を出したらトゥーラの牙をお見舞いするぞぉ!』ってマントかぶったバカな弟が騒いでたけど」
乾いた笑い声を喉から押し出した後、アンナは青空に向けて盛大に伸びをした。
「あー、トッティ夜空の綺羅星になったかなー」
トッティ---あまりにショックが大きすぎて、その話題は二人の間でも腫れ物に触るようにずっと避けていたのだった。あの日、軽い調子で話しかけてきたトッティを、わたしたちはそれまで通りぞんざいに追い払った。その後二度と声を交わすことがないかもしれない、などとは花の露ほども考えなかったし、そうなってしまった事態をまだ信じることさえできないでいる。
「バカだねぇ、あんなに簡単に死んじゃうなんて」
蓮っ葉な物言いとは裏腹に、遠慮がちに窺ったアンナの横顔は引き締まり、まるで知らない人のように翳っていた。
「若い星をナンパしてるかもね」
「あはは、そうだね」
また乾いた笑い声---わたしは、アンナはもしかしてトッティを憎からず思っていたんじゃないかと考えている。不用意に口の端に上らせられなかった理由には、その辺りのデリケートな斟酌もあった。最後になってしまったワルプルギスの夜にもつれない態度であしらっていたけど、照れ隠しだったのかもしれない、という気がしているのだ。
だって、あんなにそっけないアンナの声はトッティ相手以外に聞いたことがないもの。こんな状況になってもう聞くに聞けないけど、ときめく恋心を努めて抑えていたのかもしれない。二十歳以上の年の差や学生身分、残念ハンサムの至らなさ。障害は多い。芽は出ていたのに、陽を浴びて成長しないよう、彼と接触することで与える肥やしを極力減らそうとしていたのかもしれない。
そうだとしたら、どんなに辛かったろう。焚き火の跡を目にするなり卒倒してしまったアンナ。他でもない思い人のあんな酷い姿を忘れられる時が来るだろうか。
わたしだって目を閉じれば浮かんできてしまう。人ではなくなった黒い炭が。そして、必ず慄いてしまう。それが、直前までいつもと変わらず笑っていたあのトッティだったという信じられない事実に。
沈み込んでいると、急に勢いよくアンナが立ち上がった。靴底で急激に圧力をかけられた雑草がめったやたらと救難信号を送っている。
「もぉー、泳ごう!泳いでイヤなことは忘れようー!」
大声で無鉄砲に叫びながら、長年の親友はリネンの草木染めワンピースをバサッと脱ぎ捨てる。明るいピンク色ののブラとショーツという軽装で、音を立てて頭から飛び込んだ。
「ベリィもおいでー!気持ちいいよー」
アンナは、悠々と水流に身を任せてはいろんな形で川岸に打ちつけられている。傷心の破れかぶれに違いない。でも、それが妙に気持ちよさそうだ。
「危ないよ、アンナ」
「浅瀬だったら大丈夫だよ。どうせこっち側に戻されるだけだし」
「そうだね。けど、遠くに行っちゃだめだよ。じゃあ、わたしも泳ぐ」
指を丸めたOKサインが水面から高々と突き上げられる。
「大丈夫だよ」
そう繰り返す親友の言った通り、激流に弄ばれながらも、まろやかな水に浸されていると重苦しい思い煩いをゆったりと慰められる気がした。悠久の母なる河は、わたしたちの傷心すら洗い浄め、健やかに止めどなく流れゆくのだ。
静かなる激流にさんざん遊ばれ-縦にも横にもぐるんぐるんと回転をかけられ、押し戻されては岸にぶつかり、水流に逆らってみてまた派手に回転させられたりした-うんと疲れたアンナとわたしは、濡れ髪のまま帰り道をたどっている。
夏の日の専売特許である泳いだ後のだるさをじんわりと感じながらそぞろ歩く。それぞれの手には‘‘雪だるまカフェ’’で買った雪だるまアイスクリーム。売れ筋商品には夏向けのミントがいいバランスで加えられて爽快感があふれていた。アンナは赤の、わたしは青色のバケツの帽子を舐め終えたところだ。遅ればせながら、二段重ねの球体が「やあ!」と言った。
「ベリィ、もう進路決めたの?」
アンナはいち早く雪だるまの顔をのっぺらぼうにしている。
「このままオリジナルブランドの展開していこうかなと思ってる」
わたしの雪だるまも顔を舐め取られて静かになる。
「そうだよね。景気に左右されない必需品だし、ベリィは上手だもん。きっと成功するね」
「ありがとう。不安だけど。アンナはどうするか決めた?」
「うん、村が【公表】されて外の世界と通じるなら出るのも自由でしょ。王国首都の大学へ行こうかなってちょっと考えてる。バイトでお金を貯めて」
あまりに驚いて雪だるまの頭部を折ってしまった。
「ベリィのママが‘‘魔女サプリ’’でがんばってるじゃない?村からの最初の輸出品になると思うんだけど、【公表】以降もっと増えていくと思うの。だから、流通や経済を勉強して役に立てたらなって」
初耳だった。彼女の場合大好きとは言えないものづくりよりも、コミュニケーション能力や積極性を生かして卒業後は‘‘まじょっち’’を手伝うのだろうと漠然と考えていた。
「うちさ、弟だけがほんとの子どもじゃない?学生の間はしょうがないけど、卒業しても居続けるのはさすがに肩身が狭いから」
アンナのママは、わたしたちが物心つく前に亡くなってしまった。生まれつき虚弱体質だったと聞いている。アンナパパが後添えのダリヤ店長と再婚したのは、わたしたちが小学校に上がった頃のことだ。
「アンナ、いろいろ考えるところがあったんだね」
家庭環境に関わる機微や思いがけない別れを受け止めて、成長した親友が先を歩んでいる。逃げ場のない微妙さや喪失感を味わって受容していく過程を、彼女はあまり見せなかった。アンナは明るく周囲を照らす大輪のヒマワリのような人だ。それゆえに弱音を吐けないもどかしさも少なからずあるはずだった。
「アンナもパパさんの大事な娘だよ」
月並みな慰めしか言葉にできない自分の底浅さが恨めしかった。それでも、辛みは明るさの裏側に隠してしまうから、少しでも荷が軽くなればいいと願う。
アンナパパも継母であるダリヤ店長も、アンナに注ぐ眼差しに愛情を含んでいることは客観的に見てわかる。ダリヤ店長は、アンナパパとの実子、自分の長男が話題に上る時には、いつも彼のことを「アンナの弟」と呼ぶのだ。ファーストネームでなく、私たちの息子、でもなく。アンナを見習ってほしいという決まり文句に、高い割合で本気が混じっていることは確かだ。当のアンナも、バカな弟、とくさしながら誇らしげな表情を崩さない。愛情の裏返しで口は悪いが、弟を含む現家族にはすでに愛着が湧いているのだと思う。遠慮が勝つのは、きっと彼女が大人になったからだ。
「<トゥーラの聖痕>を超えていくなんて、アンナは勇ましいね」
歯痒かった。わたし自身にとってどんなに彼女という存在が貴く大きいのか思うさま雄弁に語れればいいのに。こんな簡単な言葉でしか親友の決意を祝することができない。
生活は村で完結するのに、右も左もわからない新世界に自ら乗り出すと言うアンナ。それに比べたら、わたしなんて悠長だとしか言いようがない。生まれる前からパパはいないけど、亡くなったおばあちゃんとママとの女所帯でそれなりに気楽にやってきたのは、当然じゃなくてありがたいことだったのかもしれない、とその時初めて思い至った。




