ユリでチョークをつくる
隣人の急な不在が示唆するものは多い。いかに陰惨な事件が起ころうと、うち続く日常の生活に切れ目がないのは哀しくもあり、時間の恩恵によって癒される心があるのもまた等しく道理ではあった。
魔女村を震撼させたワルプルギス事件の精神的ショックは、時間の経過とともに直後よりは弱まりつつあった。
一人欠けた状態に、それでも徐々に慣れていくのだろうか。忘れはしない、決して。だが、悲嘆にかまけていてもいけない。公益を考えるなら、学生の最優先事項は学業だから。協議団が詳しい原因調査に乗り出している。解決に向けて役に立てないのなら、力を養ってこれからに備えるしかない。クラスメイトの幼馴染たちも、多かれ少なかれそういう心持ちであるようだった。
物理の授業の一時間を自習に当て、学校に出張ってきたスイ団長から一人ずつ順番に形式的な聴取を受けたのだが、未成年者に対してもブレない団長の磊落な調子-『あー、あんたなんも知らないね、ソフト。はい、次』『はいはい、じゃあね、ありがとうよ、スレンダー』『そうかい、チェスト。親が忙しいんだったら、ミルクジャムがあるから今度弟たちとおいで。はい、次』などなど、自分の番以外にも準備室のドアが開閉される時に漏れ聞こえた-に触れる度、あんなことは嘘で、伊達男のトッティはまだその辺りでチャラチャラとナンパでもしているのではないか、という幸せな想像をしてしまった。
伏せた睫毛や沈んだ横顔、奮起するための空元気。おそらくは、好んで話題に上らせないだけで、皆が似たような思いを経験していたのだと思う。各人のやりようで悼みながらも、それはそれでやはり前を向くしかないというタフな若さもまた共通しているのだ。
学校に限っても、同じ気持ちと痛みを共有できる同志がわたしには大勢いる。アンナや先生方をはじめ、人見知りのわたしに負担を感じさせない距離感を知ってくれている幼馴染たち---級友のエミリア、ソフィー、キャレン、ブレンダ、カモミール、レオ、マイク、チェスナット。
自己主張のために腕力や学力を過剰にアピールする必要も、気後れして縮こまるような威圧感もない。『あなたたちの学年は落ち着いていて、小さな頃から自然体で過ごしてこられたのは同級生に恵まれたからなのよ』とママがよく言っている。
はぐれた一匹狼のイメージが強いトッティも、個性を重んじ合う仲の良い朋友がいただろうか、と思った。
わたしたちの学年は十人一クラスで、近年では多くも少なくもない人数だ。ちなみに女男比は七:三でこれも平均的。
魔女村は統計すれば圧倒的に女系である。遺伝と環境による魔女性は、女子にのみ発現する。同じ両親から産まれたきょうだいでも、男児は魔法を使えない。その子の姉妹は残らず魔女であるけれども。
わたしたちが『魔術実技』AあるいはBを受けている時、数少ない男子たちは『特技実習』をやっている。料理が得手なら調理実習、木工の才能があれば器物や家具の製作、というふうに、各自の持ち味を伸ばしていくためのカリキュラムを組む。
パン屋のダグさん、農業に従事するモリーダスさん、直産ハウスの経理事務を担うアンナパパのように、男性は何かしら特技を生かした専門職に就く。農業と林業、大工をはじめとする建築系、電気、水道工事士などの土木技術者、金属や鉱物やガラスを扱う職人、大鍋だけを鋳造する技工、美容師、杜氏、陶芸作家。
まちづくりと生活を自分たちの手だけで担わなければならない条件下で、それぞれの専門技能レベルはもちろん超一流である。
魔力を授からないことで、姉妹、女性に対する劣等感や妬みを体験しながらも自身の道を模索していく男性たち。彼らが継承してきた高い技術に支えられて、実質的な単村生活は成り行くのだ。
必要に応じて現役の仕事人が専門分野の講師として授業に招かれることもあるし、相性のいい師匠にめぐり会えば、学業と併行して弟子入りすることだって可能だ。
余談だが、彫塑を教えに来ていたコニーGじいさんが、酒の匂いはぷんぷんさせているわ教え方がやけに高圧的だわでクビになった事例はある。
「あ、チョーク忘れた」
愛嬌溢れるミスター・ルウが、前髪のもじゃもじゃを透かして悲しげに眉を下げると、ちょうどいい具合にクラスのムードが緩む。この人は、教師向きの性質を十二分に適所に生かしている最たる例だろう。
アンナのようにアルバイトや家業の手伝いをする最高学年の生徒たちの事情を鑑み、教会での『世界史』補講は、隔週で日曜の夜に行われることになった。歴史は必修科目のため、男女全員が出席している。時間は一九時。教会の礼拝堂にて。担当教師はミスター・ルウ。受講者はクラスメイト+1。
開講前に集中力を高めていた矢先、商売道具を持ってこなかったという愛され教師の微笑ましい出鼻だった。
「ベリィ、魔女村の名付け親としての出番よ。ちょっと薬草魔女の微力をお見せしたら?」
そう言って、アンナがくるりと目を回す。
「そうだね」
同意する前に手を挙げていた。ささやかな魔力を駆使して小さな手助けをするのにやぶさかではない。
黒板の前まで進み出て、壇上に飾ってある花びんから、ちょうど良さそうな白ユリを一輪選んで引き抜いた。花部と茎とを折って断つ。
「何、なに?一体何が始まるの?」
外人のミスター・ルウからは、注目の的だ。組成を変えるので少々面倒だが、花を両手で覆ってエネルギーを送り始める。ユリには、気品高いしゃきっとしたエネルギーが通っている。それを壊さないように気体のように解していき、再び集約して望む形に変えてやるのだ。
半球状に曲げた手を生花に翳したまましばらく待つと、全体的に水分が蒸発して粉っぽくなってくる。さらにエネルギーを通していく。すると、ゆっくりと花びらがくるまって凝固し、やがて細い白棒ができあがる。
「うわぁ!すごい!チョークだ」
差し出した白棒の端っこの黄色い部分は、ユリの元めしべだ。長く使うには足りないが、今日の板書には十分だろう。新鮮でしっかりした切り花だったので、白の発色が眩しく書き味も悪くないと思う。
「ありがとう、ミス・ウスペンスカヤ。これいいね!白と黄色の両用じゃない!」
喜ぶもじゃの弾むこと弾むこと。薬草魔女の最高難度を実践した甲斐があったというものだ。
薬草の魔法がこんなにわかりやすく役に立つのは、モリーダスさんの息子たちに耐久性ある葉舟を編んであげて以来かもしれない。ふらふらとだが自力で漕ぎ回って、小さかった彼らを楽しませたのだった。
「どういたしまして、ミスター・ルウ」
村の風俗に合わせたローブ姿も板についてきたミスター・ルウの『世界史』は、新鮮な内容もさることながら、メリハリをつけた独特の語り口がわたしたちを惹きつけてやまなかった。学校でも毎週授業があるのに、その上余分な時間を拘束されても苦情が出ないのは、ひとえに先生の人柄のせいだと思う。生徒にかける言葉の一つ一つに学ぶ者への誠意が感じられたし、外来者として世界の歴史を通して啓発しようとする熱意は、わたしたちの襟を正した。来たる秋口に中世ヨーロッパの魔女狩りについて触れる時には、ミスター・ルウがクラスの誰よりも深く黙祷を捧げる姿を垣間見ることになる。
「それでは今日はここまで。お疲れさま」
おどけた一礼で、実際より短く感じられた授業は終わる。なぜかそこで鳴るのが、呑気な調子で叩かれる拍手の音だ。日曜学校お決まりの終業チャイムと化している。
「みなさん、ミスター・ルウ。教育現場の最前線で行われる丁々発止のアカデミックな議論が素晴らしかったですわ」
質問に対して挙手で発表するいたって通常の受け答えだったけど。
「私、感銘を受けました」
シスター・ソラは教会の管轄者だ。自分の領域にいるのは当然である。しかし、毎度毎度真面目に受講する必要まではないと思われるのだが。
「ウインナーコーヒーを淹れましたので、お疲れを癒してくださいね」
天候魔女の手ずから配られるマグカップには、雲のようなふわふわの泡が垂れ落ちるほどたっぷり載せられている。そして、同級生たちは揃いも揃って、そろそろお約束の展開が始まるなぁ、と密かに思っているところだ。
泡が満載の熱いマグカップが、シスター・ソラから受け渡される---その時手が触れたらしいミスター・ルウは、焦った様子で手を引っ込めてぼとぼとと泡を落としてしまう。それを見たシスター・ソラがおかしそうに笑うので、さらに焦ったミスター・ルウはまたぼとぼと泡を落としている。そう、この光景だ。
講義中はプロの仕事ぶりだが、授業後は毎回この調子で、出された飲み物にも全然口をつけられないのだ。『世界史』を受ける生徒たち、特に女子のクラスメイトは、澄ましたニヤけ顔で行方を見守っている。わたしもご多聞に漏れず、この二名のふれ合いを目撃するにつれ、不思議なほど喜びを感じてむやみに目頭が熱くなるほどだった。
「空の雲を降ろして少しお砂糖を混ぜました。今日の雲は甘みが少ないですが、ウインナーコーヒーの雰囲気だけでも再現できたでしょうか。コーヒー豆は、オスマン帝国の『ウィーン包囲』作戦の失敗によってオーストリアにもたらされたのでしたわね、ミスター・ルウ?」
「え、ええ、一説ですが」
「私、この素晴らしい授業を楽しみにしているのです」
周りの空気ごと花咲かせてしまうチューリップの笑み。手を組んで夢見る表情。ふわふわしているようだが、時折ミスター・ルウが教えてくれる豆知識をしっかり覚えている。シスター・ソラは、最前列の信徒席に陣取って熱心に耳を傾ける謙虚で自主的な生徒なのだ。
「外の世界をこんなに身近に感じられるなんて、」
「素晴らしいですわ」
クラスの誰かが代弁して、声音がおそろしく似ていたものだから破壊力は抜群だった。皆の笑いが止まらなくなり、最後まで我慢していたミスター・ルウがもう堪えきれないというふうに噴き出すと、きっかけを作った当の本人は、気を悪くするどころか心から楽しそうに目を細めた。高窓からは黄金色に輝く月の光が差し、笑い声は長引いて丸天井の聖堂に響く。




