トゥーラの呪い
---聖トゥーラが祟っている。
ワルプルギスに起きた前代未聞の事件の衝撃から疑心暗鬼となった村人たちは、魔女狩りの火に炙り殺された聖トゥーラの底知れぬ怨念がトッティを襲ったのではないか、とまことしやかに噂しだした。
村の歴史始まって以来、無残な絶命を遂げたのは、初代の聖トゥーラをおいて他にない。最も残忍な非人道的方法で虐殺されたうら若き聖女。豪炎の最中、想像を絶する苦しみに苛まれながら涼しい顔をしていたと伝わる魔女のトゥーラ。彼女の辞世は、自然死ではなかった。事故死や病死ですらなかったのだ。
王国の歴史書が記した『悪逆の魔女』という汚名の是非は問わずとも、惨殺された発祥の魔女によって村が実は呪われているのかもしれない、と考え付くのも無理はなかった。
中世に猛った魔女狩りの炎と、春の喜びを表すワルプルギスの巨大な焚き火。性質は異なるものの、同じ火炎であることには違いがない。
その火にかけられ変わり果てていた隣人の罪なきトッティ---育ち上がってしまった四十歳児のような彼は、春の祝宴で呪いの炎に呑み込まれてしまったというのだろうか。魔女狩りの因果が巡り、浮かれ騒ぐ人々に鉄槌を下すために。魔女の森に恐怖を蘇らせるために。
それこそ魔法は万能ではない、呪いなど絵空事だ、と笑い飛ばせればよかった。だが、‘‘WITCH’’の4ちゃんねるが喧しく言い合ったように、もしかすれば聖トゥーラになら今回の一件も可能なのではないか、と半信半疑で思い見ているのだ。疑う気持ちはあるが、否定もできない。それほど強い魔女なのだ、五百年の聖域を創りだした聖トゥーラは。
合理的に考えるとしよう。そうすれば、守護聖女を黒幕に仕立て上げることで、村人の中に由々しき悪業を犯したものがいるという恐怖心を深層心理で和らげようとしているのだろう、と言うこともできる。
火中に飛び込んで自分の体を腕で抱き留め、死ぬまでじっと堪えるような焼身自殺は完遂しえないだろう。何より、いつも通りご機嫌のトッティには、そんな兆候は微塵も感じられなかった。酔ってはいたが、度を越して意識を失っていた可能性も低い。さすがに誰かが気付く。仮にそうだとしても、火に焼べられれば生物的反応で覚醒するだろう。縛り付けられたような形跡はなく、トッティが突然死して遺体がたまたま火の中に入ってしまった、などと想定するのも不自然に過ぎる。どうやら突発的な事故という線も否定されたようだ。それなら---他殺しか考えられない。
やり口は未知にして不明。しかし、手を出した者は、確実にいる。そう。いるのは、村の中だ。
許されざる悪しき魔法をかけた者、あるいは命を奪う憎き暴力を振るった犯罪者が、素知らぬふりをして隣に暮らしているかもしれない---。トゥーラの呪怨説を唱えることでその疑念は少なからず緩和したが、解明への進展がないために、また暗い恐怖を煽る結果となっていた。
村人たちが内向きに恐れるのには理由がある。
魔女村は、特殊な環境下に置かれている閉鎖空間だ。地球最大の大陸において、およそ六分の一をも占める森林地帯の鬱蒼とした奥地に人知れず在り、地理的には、森を抜けた先の最寄りの王国ですらペガサス便で一二時間の隔たりがある。
また、魔法に補完された自然の砦としても、我が村は威容を誇っている。
北を隔てるノース・マウンテンは、標高が高く垂直にそそり立つような傾斜をしていて人獣に越えることは不可能な山だし、東の外縁を沿う大河マザー・リバーは、別名「静かなる激流」と呼ばれている。見た目に穏やかな清流は、凹凸の変化が甚だしい川底の形状と水量との相関性により水中は複雑で速い。間違っても右岸と左岸を横断できない特殊な水流になっているのである。
防衛上の弱点となるマザー・リバーの周辺には、此岸から監視カメラが仕掛けられている。数の有利で死角を作らず、映像は‘‘天文魔女館’’で常時チェックされているのだ。現在までに、外来者や人工物がちら、とも映った試しはないそうである。
そして、厳然たる闇の渓谷が山と大河を曲線に結ぶ。それこそが村の南端を守る<トゥーラの聖痕>だ。地面を割った対岸は遠く、縁に立てば足が竦むほどの深さを持つ。V字に切れ込む谷底に落下すれば、まず命は助からないだろう。
<トゥーラの聖痕>を越すためには、ペガサス便の往来に便乗するしかない。「雲路」を駆る白馬に乗る以外は、人力では決して<トゥーラの聖痕>のそちら側、こちら側へ渡り着くことができないのだ。
万が一にも実力行使で越えようとするものなら、樹々の警報‘‘グリーン・ショック’’が鳴り渡るように細工されている。たとえ箒や何かに乗って飛んでも、トカゲのごとく崖面を上り降りしようとしても、もし土木工事で橋を架けたとしても。上を越えても鳴るし、壁面に指一本でも触れようものなら見逃さない感度だそうだ。
わたしはまだ作動を経験したことがないのだが、‘‘グリーン・ショック’’は人間の生気に反応する仕様になっているという。上手くしたもので、ペガサスは体内に多くの電気を溜める性質のため、乗客の生気を相殺して遮断してくれるのだ。背中に乗っている分には問題がないのはそういった仕組みらしい。
そもそも全方向に果てなく続く森の磁場によって、近くへ迷い込んでくる者などはなから皆無なのである。
天然の障害と周到な対策によって、一日のうちのほとんど全時間を魔女村は完全に謝絶する。【公表】を決めたのは、防備の弱体化や自治の疲弊などでは一切なく、刻々と進化する技術がいつ秘密の村を凌駕するか、あるいはしないかを断言できなくなっているからだ。
ペガサス便は刹那的に内外をつなぐ。彼らに乗ってやってきたのは、ミスター・ルウと五人組のおじさんたちだけ。外とは完全に断裂している状態で、ペガサス便を予約しなければ外部の人は入ってこられない。内側からも知られずには抜け出せない。
だから、余計に恐ろしくなる。核のような大量殺戮兵器なら話は別だが、外からの脅威にはまだ対抗する術もあるだろう。魔女の全勢力を結集すれば、殺人者の一人くらい村域で捕まえられると思う。
でも、飛び入りの侵入者、はいないのだ。足繁く外へ通うママだけは例外だが、ワルプルギスの夜にはママも含めて村人全員が村にいた。
それでは---誰にでも手を下した可能性があるということになる。目撃情報もなく手口は推測もできないが、何食わぬ顔をして仲間を殺める可能性が。
相反する二つの恐怖---最初の魔女の呪いと、知り人による狂気の犯行。どちらにも引き摺られ、憂懼の狭間をおどおどと惑う。現実味など、どちらにもない。けれど、ある。あってしまう。
ただ、わたしは本当に恐れていた。あの地獄の底からの悶えるような声を、わたしは聞いたのだ。トゥーラの呪いが蘇る、と叩きつけた雷の余韻のような悪声を。
祝宴の晴れの日に、トッティは儚い炭になってしまった。春の喜びを共有し村人たちの健勝を祈願するワルプルギスの焚き火が、怨みに燃え上がる魔女狩りの炎に思えてしかたない。無念のうちに焼き殺された女性の声なき叫びが、痛みが、現世に蘇って復讐を果たしたかのように。
図書室で見つけた古文書『トゥーラの伝承』が投げつけた警告が、耳鳴りのように何度もフラッシュバックする。
[悪逆の魔女は炙り殺された。邪悪なるトゥーラの憤怒が宿怨の呪いとなって魔女らの森に蘇るであろう]
雷電が襲いかかってくる。
一気に白い炎に包まれる。
髪が燃え上がり、硫黄の匂いが漂う。
嫌だ。熱い。
必死に空気を求めて声を上げる。
火を吸い込んだ喉が焦げる。
肌が溶け落ちる。
粘膜も、内臓も、血管も、炎に舐められ焼け尽くされていく。
命懸けの懇願はお構いなしに。
血が沸騰してどろどろの溶岩となり、流れ出して体表に灼けつく。
剥き出しになった肉と神経を焼き焦がしながら、呪いの業火は勝ち誇るように轟々と燃えている。
容赦なく骨が折れ、炭と化した脚の筋肉が収縮してぴくりと跳ね上がる。
苦しすぎて死にたくても許されず、意識だけはただはっきりとしている。
お願いだから、なんでもしますから、どうか助けてください。誰か、お願い、どうか…。
これが、聖トゥーラの呪いなのかもしれない。




