ワルプルギス
テストも終わった。今朝、目覚めて起き上がるなり浮かれた。伸びをしながら意味のない快哉を叫んでしまう。
---だって、今日はワルプルギスなのだから。
ワルプルギスは、四月末に行われる魔女村最大の年中行事だ。ある故人の社会学者いわく、閉塞しがちな共同体において、非日常による魂とエネルギーの更新を担う春の始まりの祝宴である。
いや、そんな御託はよそう。なんたって、年に一度のワルプルギスだもの!
メイン会場となる中央広場には、ワルプルギスの決まりとして早朝から巨大な火が焚かれ勢いよく炎を上げている。通りの端から端まで埋め尽くすテーブルには、晴れ渡った空に浮かぶ雲と同じ色をした清潔なクロスがかけられ、その上には、魔女会総出でつくった数々のごちそうが盛りに盛られて、お皿がテーブルから落ちてしまいそうなほど並べられているのだ。
料理に使われている野菜も肉も添えられたハーブも、テーブルを鮮やかに彩る花も、ほとんど全てここで育てられたもの。小麦色に焼けたローストチキンの香ばしさにタイムの香りがほのかに絡んで、朝から何も入れていない胃袋がきゅう、と鳴る。ビールやワイン、コーヒー、ジュースに各種のお茶も選び放題の飲み放題。わたしの提供したタンポポとチコリの‘‘春のブレンドコーヒー’’も、はしゃいで噎せがちな食中の、あるいは食後の団欒の喉を潤すことだろう。
ゆっくり朝寝してからわらわらと集まってきた村人たちの、今日ばかりは羽目を外して思いきり楽しむのだという気持ちが膨らんで、中央広場は今にもはちきれんばかりだ。先走ってチョコレートをつまみ食いした小さい男の子が母親に窘められたが、注意した当の本人もわくわく感を隠せない口元に同じくチョコレートの痕跡を残していたりする。
わたしたちは、ちょうどテスト終わりの解放感にも浸っている。ここまで来るのにも、待ち合わせたアンナと代わる代わる片足ずつで跳ねながら、年甲斐もなく嬌声を上げていたのだ。昼を待つのももどかしく、会場へ駆け出してしまいそうな足を何度宥めたことか。祭りの前の高揚感は半端じゃない。開幕、今や遅し。
ワルプルギスの焚き火は、村人たちの活気に煽られて、火の粉を散らしながらぼうぼうと豪快な音を立てて燃え上がる。生命と団結を祝い、天高く昇る明るい炎。不思議と怖さはない。むしろ昼間のキャンプファイアとして、期待感を昂ぶらせる大道具になっている。
わたしもご多聞に漏れずドキドキそわそわしながら、団長による開会宣言を今か今かと待ち構えているところだ。スイ団長は、湯気を立てるごちそうを前に無駄な挨拶などはしない主義だ。ただ短く乾杯、の大音声を上げる。
搾りたてオレンジジュースをなみなみとジョッキに注ぎ、準備はOK。あ、アンナったらフライングで一口飲んじゃった。本部の方をちらちら窺うが、背の低い団長の姿はここから見えない。そして、背伸びしようと踵を上げた瞬間、がやがやと混雑した協議団テーブルの辺りからついに「乾杯‼︎」という張りのある発声が聞こえた。
すると、高まりきった期待と興奮が迷うことなく炸裂だ。乾杯、と唱和する大人たち子供たちが立ち上がり腰を下ろして人波のうねりを巻き起こす。そうして最後に一際大きい歓声が上がると、森が呼応してまだ生まれたての若葉を気持ちよく揺らした。キレイな濃い酸素が、意気揚々と魔女の森全体を浸していく。
ワルプルギス---それは、長い冬を越した森の恵みを前に集った親しい人々の息災を確かめ合い、これからの無事を祈る日だ。はちみつ酒での乾杯の後は、入れ替わり立ち替わり、飲めや歌えの大宴会が翌朝までとぎれることがない。大いに食べ、飲み、誰もかれもが年に一度の盛大な春の宴を精いっぱい楽しんでいる。
これぞ無礼講とばかりに、小間ねずみ相手にペガサスを扱き下ろすケン・トゥ・ウルス。自家製野菜でつくられたシーザーサラダを誰彼かまわずとにかく勧めまくるモリーダスさんとそれを呆れ顔で流し見る妻のビオラさんおよび息子たち。
昨日カンボジア出張から帰村したママは、顔より大きい骨つき肉に噛りついたスイ団長と、いかにも物言いたげなヴェロニカ副団長と食い道楽のようだ。ついに口を開いた副団長が「治癒魔女ともあろう方が、ご自分の身体を顧みずに少し食べ過ぎなのでは」と指摘すると、「ヴェロニカ、ワルプルギスに小うるさいことはなしだよ」と団長がかわし、さらに二、三回を数えるやりとりで喧嘩腰になった二人の間へミセス・ゼムフィーラが割って入った。なんとなく宥められて、副団長も不承不承骨つき肉にかぶりつくに至る。
彫刻刀を振り回し管を巻いているのはコニーGじいさん。
熱くなって利き酒トーナメント戦を繰り広げる男性陣の乾杯の音頭が止まない。
特設ステージでバイオリンの自作曲を熱演する得意顔の女の子。アンナのパパと継母であるダリヤ店長は仲良く腕を組んでご挨拶回りだ。
ペガサスの陰口をとうとう切り上げたケン・トゥ・ウルスが馬ダンスを披露すると、ちびっこたちから大歓声を浴びて一躍人気者に。その脇を抜けて、腕まくりのダグさんがバスケットに山盛りのパンを運んできた。四方八方から手が伸びて一気に空っぽ。
至る所から集合した小人の群れは、とがり帽子に祭日用の揃いのリボンを結び、蟻の大群のようにお菓子の家に噛りついている。
ワルプルギス・ハイと言ってもいい。何度目かの食休みにそら豆の冷製スープを飲んだわたしとアンナは、祭日の浮かれ気分に任せて、敬遠されて手つかずだったクロワッサン‘‘アブノーマル’’をちぎった。そのため、口に入れる直前で気管の奥底から噎せているところだ。
噂に違わず危険な代物だった。楽しい気持ちが振り切っているが、お互いの目には痛い涙が滲んでいる。
ア「ごほっ、ワルプルギスだからって冒険しちゃったね」
ベ「ごほっっ、‘‘ノーマル’’にしとけばよかったね」
ア「スープまだあっちにあるから取ってこようか?」
ベ「もうお腹いっぱい。入んないよ」
ア「満腹過ぎる時には緑茶だ。はい」
べ「苦っ」
ア「あら、茶葉ずっと浸かってたんだね。手のひらくるくるっと。はい、どうぞ」
べ「ありがとう。まろやかになったよ」
ア「あ、ベリィこれ、このチューリップ食べれられるよ。飾りじゃないんだ」
ベ「ほんとだ。魔法かけてあるね。花びらがほのかに甘酸っぱい」
ア「まあまあいけるけど、青虫じゃあるまいし。ね、デザート食べる?別腹でしょ」
ベ「じゃあストロベリープディングでも」
ア「ベリィ共食い」
ト「ねぇねぇ、君たち。静かなところで僕と一緒にお茶しない?」
と、その時巧妙なタイミングで会話に割り込んできたのは、長めの前髪を斜めに流しチャラついた笑みを浮かべた中年だった。もちろん初対面ではない。言わずと知れた薄っぺらな伊達男のトッティだ。
「二人とも僕に会えて嬉しくて泣いてるのかい?目尻の涙の跡がいじらしいねぇ」
破顔というよりニヤけ面。クールというより嘘っぽい。おまけに今日はお酒も入って上調子だ。
トッティは造形的にはそこそこ甘いマスクだが、無職のナンパ師だと正体が知れているから若い魔女たちは相手にしないのだ。それでもめげずに声をかけ続ける精神力を、わたしは違う意味で尊敬しているが。
「…今日はショッキングピンクだね」
冒頭の誘いは華麗にスルーして、興味なさそうにアンナが流す。ちょっとイライラさせる面倒くささを呑気に発散するトッティを半ばバカにして。でも、微妙にズレているトッティは嬉しげに口角を引っ張り上げて酔っ払いスマイルを決め、なぜかしら途端に浮かれるのだ。彼の前では、ナンパの不首尾も邪魔者扱いも見事になかったことになる。
「さすが魔女子高生は見る目が違うね。‘‘WITCH’’で取り寄せたんだよ、バーレンチンの革ジャン。いいでしょ。今年春の限定色」
褒めてもいないのに自慢気に答えるトッティは、残念ながらもう四十歳。質実剛健に生業を営むパン屋のダグさんと同い年だが、有閑魔ダムのヒモをして小遣いを得ているらしいと陰に陽に囁かれている。
てかてか光る革ジャンは、ピンクに分類される色味の中でも最も彩度が高いだろう。暗い街角に立っていれば危険喚起になりそうだ。
「へー、いい色ですね。見たことないほど個性的だわ。あちらのギャル魔女たちにお見せしてあげたら?」
どこまでも平板なアンナの声調にトッティは決して気づかない。一生同じ調子でいなし続けても、毎度律儀に喜ぶと思う。ただの褒め言葉として受け取る鈍感さが『残念ハンサム』の異名をとる所以である。ただ顔だけ見ればハンサムなのに、選びきれないほど豊富なタダ酒のせいで、紅潮を通り越して青ざめている。ワルプルギスだからといっても調子に乗りすぎだ。
「そうだね。そうしよう」
酒量が過ぎて頭痛がするのか時折額を押さえながらも、やたら声が弾んでいる。トッティはくるりと踵を返した。追い払いたい意向など微塵も感じず、的確なアドバイスと聞き入れ従う素直さはやっぱり絶妙に残念だ。
「あっさり行ったね。あの色恥ずかしくないのかな?目がチカチカしちゃった」
アンナが鼻を鳴らす。悪い人ではないのだが、どことなく胡散臭いし軽視されがちなのだ。
「ほんと。なんか派手な虫みたい」
いい加減に落ち着けばいいのに、いかなる時にも女性と見ればチャレンジするショッキングピンクの革ジャンは、若い魔女グループが黄色い笑い声を上げる方へ千鳥足で消えていった。




