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魔女たちは祝宴し続ける  作者: ロックプロジェクト
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オト ≪中世≫

 東の空が白み始めると、ローザはトゥーラと連れ立って水を汲みに出た。洞窟から十分も歩けば、朝の薄明(ひかり)に煌めきながら悠々と流れる川が現れるのだった。

 ローザは、手のひらに掬(すく)った甘露の水を味わった。

「今日はゆっくり身体を休めて、明日の昼間にまた水浴びにきましょう。私も二日に一度はここで身体を流します」

 トゥーラが言い終えぬうちに、旅の垢に汚れた麻のワンピースを脱ぎ捨てたローザは、豊かに流れる川の浅瀬に首だけになって浸かっていた。

 温(ぬる)く穏やかな流れにしばし目を閉じ、思わず「気持ちいい」と呟く。「ローザは素早いですね」と笑ったトゥーラは、「では私も」と着衣のまま川へ入った。

「脱がないの?」と訊ねるローザに、「横着にも洗濯を兼ねて」と茶目っ気たっぷりに答えるトゥーラ。

 彼女の手は重い損傷(しょうがい)を負っていた。弱い握力では、衣類を擦り洗うのが難しいのかもしれない、とローザは考慮した。修道服の黒いヴェールを取り、内側の頭巾(ウィンプル)も外したトゥーラの髪は、肩の長さで川面以上に輝いている。

「白い方を貸してちょうだい。わたしが洗うわ」

 手を出すローザに、少し目を丸くしたトゥーラは、恐縮しながら頭巾を手渡す。染み付いた汚れと滲んで乾ききった血痕を落とそうと、全裸のローザは力一杯白い布を擦った。

「そんなに強く洗わなくても。もし破れては…私、替えの服がないのです。多少汚れていても大丈夫ですから」

 トゥーラは焦る。見た目より速い水流が、浅瀬に踏ん張る脚にぶつかって跳ね、そよがせた布の染みを押し流す。

 だが、「薬草屋は手先が強いのよ」と、盛大に水飛沫(みずしぶき)を上げながら快活にローザは笑った。

 

 日が昇れば起き出して木の実やきのこを採って回り、その日の二人分の食料に足りると、洞窟に戻って煮炊きをした。聖なる森の恵みで食事は充分に満ちるようだった。器用なローザは小枝をほぐして歯磨きブラシを作り、木をくり抜いて皿や壺を作った。また、地形の妙で隠れるようだった洞窟の入り口を、さらに巧妙に木の葉で覆った。

 二人の女たちは、焚き火を囲んで他愛ない話に興じ、就寝前には月に向かって、森の恩寵に感謝の祈りを捧げるのだった。

 

 


 後にオトの愛称で呼ばれるトナカイ族の少女が、二人の住み着く洞窟に対峙(たいじ)したのは、季節が進み氷混じりの雨が降ったある夜のことだった。

 真夜中過ぎ。落ち葉踏む足音に気付いたトゥーラが洞口を出ると、色彩鮮やかな民族衣装を着た、年の頃十二、三ほどの小柄な少女が木立の間に立ち尽くしている。肩で息をし、眉間に皺を寄せて睨みつけるように仁王立ちした少女は、傍らに一頭のトナカイを連れていた。丸い目をした毛深いトナカイは、大人しく少女に寄り添うようだった。

 トゥーラが近付けば少女は後退り、一歩引けばその分近付いてくる。トゥーラは、怯えさせないよう優しい声音で話しかけた。

「よくここまで来られましたね。長い道のりはさぞ辛かったでしょう。さあ、中にお入りなさい。お腹も空いているでしょう」

 

 ついに誘いに応じた少女は、連れのトナカイを洞窟の入り口に放し、供すべき最初の白湯を温めるローザの迎えを受けることになった。彼女もまた、常にない葉擦れを察知して目を覚ましてから、無言で薪をくべ、大小の鍋を火に掛けていた。

 まだ息荒く小さな身体を強張らせた少女は、二杯目に差し出された蜂蜜湯を一息に飲み干すやいなや、豪雨のような声を上げて号泣した。

 その子は、ずっと挑むかのような強(こわ)い表情で、涙を零すまいと必死に堪えていたのだ。年嵩(としかさ)のローザが頭を撫でてやると、しゃくり上げ力を込めて抱きついてくる。その姿は遮二無二母性に救いを求める幼気(いたいけ)な幼な子であった。

 泣き疲れた少女にローザが問う。

「あなた、名前は?」

 か細い声で、切れ切れに少女は答えた。

「…ォ…ト…」

 何度尋ねても、オト、という風にしか聞き取れなかった。トゥーラとローザは似たような言葉を話すが、少女はよほど遠くからやって来たのか、その発音は二人にはなかなか把握できないのだった。

「オトね。うん、わたしたちあなたをオトと呼びましょう」

 そして、自分を指差し「ローザ」、少女を指差し「オト」、微笑む修道服の聖女を指差し「トゥーラ」と順に名を呼ぶ。新しく名付けられた少女は、理解した印にぴょこんと頭を下げた。勧められた椀のスープを美味しそうに飲むオトの、こけた頬にやっと可愛い赤みが差す。

 痛々しくも懐深い眼差しを、二人の年長女性が送っていた。

 

 オトは寡黙な少女だった。その上言葉の壁が意思の疎通を遅らせたが、彼女たちには幾らでも親交するための時間があった。聞き慣れない単語を類推し、オトの言葉足らずを補いながら、家族のような気長さでオトの身の上話は編纂されていった。

 

 


 一年を氷雪に覆われる極寒の北国がオトの故郷だった。オトは、数多くのトナカイを飼い、狩猟と放牧によって生活を営む少数民族に生まれた。

 謹厳な父と柔和な母に愛されて育ったオトは、他の人にはない特殊な能力を表していた。トナカイと会話するのである。声なき声で知る彼らの意思を無邪気に父母に伝えた。

「のどが渇いたって言ってる」「あの子さびしいって」

 嬰児(えいじ)にはよく見られる性質であったが、オトには長じてもなお健在だった。微笑ましく聞き流した両親も、やがて眉をひそめるようになった。


 オトには、祖父がいた。トナカイの群れを率いて夏に冬に移動をしながら暮らす血縁の集団において、オトの祖父はかねてより祈祷師のような役割を果たしていた。時には病んだトナカイの平癒を祈り、時には怪我や病気をした一員の前で、害をなす悪霊を祓った。聞こえぬはずの声を聞き見えぬはずのものを視(み)る祖父の資質を、オトは隔世で受け継いだのだ。

 古くから霊性を敬うトナカイ族の中でも、彼女の力は突出していた。それは、動物の通訳には留まらなかった。

 

 ある時、山の斜面を滑り落ちて骨折したトナカイがいた。駆けつけたオトが、折れた脚に両手を触れてしばらく集中するような様子を見せた。

「すぐ治る」と一言発して、オトは手負いのトナカイの手綱を引いた。すると、痛みに驚き暴れていたトナカイは、むっくり起き上がって四本の足で立ち、家路を急ぎ始めた。歩けねば命取りとなるはずのトナカイの脚は、わずか七日で癒えた。

  一部始終を目撃した仲間たちは、生活の糧(かて)であるトナカイの護り手としてオトの奇跡を誉めそやし、自分たちの群れは安泰だと言って祝杯を挙げた。


 オトが触れて治すものは動物だけではなかった。幼い子どもの霜焼けの手を包み込んで癒し、年寄りの抜けた腰を背骨を押して一瞬で戻し、母の胸にできた痼(しこり)には何度も気を送って解かした。

 トナカイたちの季節の移動とともにオトの噂は広まり、同じように暮らす他の遊牧民族にも請われては施術に赴いた。

 夏の野営地から遠く離れた都市の商家からオトが帰還した時、彼女の胸には黒い不安が渦巻いた。遠目にも、見渡す草地を覆い尽くすはずのトナカイがただの一頭も見当たらなかった。

 トナカイが全滅していた。北極圏には異常な暑さの夏だった。熱波で永久凍土が解け出していた。昔の毒(きん)が露出し、猛暑に弱ったトナカイに蔓延したのだとオトにはわかった。

 死骸は、焼却されるために山と積まれていた。その内の一頭と目が合った気がした。微かに呻き声を上げている。引き摺り出して急ぎ気を流した。

「大丈夫。間に合った」

 唯一のトナカイが息を吹き返した。

 生命線を失って失意に暮れる一族をさらなる悲劇が襲っていた。トナカイたちを殺した見えない毒が、勢いを増して人に感染したのだ。帰ってきたオトが癒しの力を流しても、ほとんどの者はもう手遅れだった。

 両親は生きて一人娘を迎えたが、最大の理解者だった祖父はオトの留守中に帰らぬ人となっていた。

 

 生き残った者たちは路頭に迷った。

 蓄えが尽きた頃、オトをめぐる騒ぎが起きた。危急存亡の最も必要な時にいなかった役立たず、と中年の男が漏らした。父母はハッとした。同調した非難の声が盛り上がる中で、長らく潜めていた危惧が現実になったと母は怯えた。

 庇おうとする父は、最初に中傷を呟いた従兄弟にとっさに手を出していた。殴り返され唇を切り、また殴って蹴り返された。先の見えぬ不安に鬱屈を募らせていた男たちが加わり、オトの父を本気に痛めつけた。止めようとする母も、そのまま巻き込まれて暴行を受けた。

 

 祖父さん譲りの不気味な力で俺たちに病気を撒き散らしたんじゃないのか。お前たちの娘は魔女だよ!

 

 背筋が凍りついた。歯止めの効かない暴力に血を流す父と母を、縮み上がってオトは見ていた。

 オトの両親は嬲(なぶ)り殺された。

 

 逃げなければ、と本能が急かすが、萎縮しきった脚は言うことを聞かなかった。その時、戸口の側からオトを呼ぶ鳴き声がした。生き延びた一頭のトナカイだった。

 



「この子が『行こう』って言ったの。橇(そり)は、途中で壊れて…そしたら、この子が『あっちだよ』って。それで、ここに着いた」

 

 オトの辛い過去語りが一応のピリオドを打つ頃、三人の意思疎通は格段に進歩していた。主にオトが言語圏の異なる二人の言葉を覚えて、若い聡明さを発揮したのだ。

 それで、ここに着いた、という簡単な一言は、やり場のない苦しみに翻弄されながらトナカイと駆け抜けた道程の険しさを、むしろローザとトゥーラにはいや増して感じさせるのだった。

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