寝れないんだよ
村の実力者二名によるマイルドな強制、もとい成り行きとはいえ、人見知りにとっては少々気塞ぎな道のりになった。教会を出てから裏手に回り、学校へ続く北東の丘を登る。
「坂道じわじわくるね。箒で飛んでいけたりしない?」
わたしは毎日通う道だから慣れているが、とぼとぼ後を付いてくるスーツ姿のミスター・ルウは、頻繁に立ち止まって浅い息を整えている。快い風に吹かれ、丘の上り道は見通しよく展けて空に近い。道連れには教え子となる学生のわたし一人だからか、もう恐怖感はないのだろう。革靴ではキツそうだが、精神的には落ち着いたようだ。
「規則的に昼間は飛んだらいけないんです。わたしは元々飛べないんですけど」
先生がサングラスの隙間から少し眉を持ち上げて、そうなの?という表情をつくると、濃色のレンズがきらりと春光を弾く。
「朝の便で着かれたんですか?」
ゼェハァいう気息のせいで面白味を発揮する余裕はなさそうだ。悪人でないことは先刻承知しているが、知り合ったばかりで距離感を掴みかねる。へんてこなことを口走っても笑いに転化してくれそうだとは思う。沈黙も気詰まりだし、まず当たり障りない話を振ってみて。朝の便しかないから返答は確定しているのだが。
「ああ、昨日の夜に首都から乗ってね。そういえば、‘‘ペガサス便’’と聞いていたけど普通のロバだったな」
「先生。あれは比較的新しい種族ですが、魔女の森で進化した正真正銘のペガサスです。<トゥーラの聖痕>を越す時に『雲路』-雲でできた橋の上を走りましたよね」
体躯は小型でむちむちしているが、個体数の少ない崇高な生き物として憧憬の対象ともなっている。休日の朝の駅には、ペガサスが走る姿を見たいとせがみ、親に連れられたちびっ子が鈴なりになっていることだってある。
「またまたぁ、魔女村初心者だからってだまされないよ。しれっとウソをついて煙に巻こうなんて、君もさすが魔女だなあ。隅に置けないよ。ここの人たちはみんな侮れない」
いやいや、確かに鼻面は短めかもしれないが、立派に翼を翻す気高い白馬だ。万が一外の世界に発見されるリスクを避けて、<トゥーラの聖痕>以外では飛ばないけど。
「しかし、まいったよ。馬上で寝れないんだよ。お尻も腫れちゃって」
大きな嘆息を一つ。夜を徹して翼馬に跨がり、着けば着いたで腫れたお尻で歩き回って、魔女村初心者は相当消耗しているようだ。物珍しさで興味は満たしたかもしれないが。それに、美人のシスターに出会った時は鼻の下を伸ばして浮かれたかもしれないが。
「結局ぐったりして気を失ってたな。駅に着いた瞬間に目が覚めたんだ」
って、結局寝てるんかい。ペガサスが翼を広げて雲橋を駆けるのが見どころなのに。
「よく落馬しませんでしたね。 <トゥーラの聖痕>で振り落とされてたら今頃召されてますよ」
王国の首都と村の駅。休みなく往復するペガサス便は、勤勉なペガサスたちの尽力によって成り立っている輸送機関だ。御者もいないのに定刻通りに出立し、森の中の定例ルートを通って予定時刻ぴったりに着く。林間は狭い。荷車を通せる横幅を伴って王国に至る道筋は、ペガサスのみぞ知るところである。
予約したペガサス便に乗ってくる以外、魔女村に入る手段は物理的にない。広大な森の奥の一部で、ノース・マウンテンとマザー・リバーという山河、それに<トゥーラの聖痕>の谷間がぐるりを囲い込み、天然の要塞として完璧に外部を遮っている。
舗装された道路もなく、自動車などは乗り入れられず、たとえ近づく者があったとしても、大陸で最も深い森のなす磁場に誘われて、でたらめな方向へ行かされてしまう。魔女村は入るどころか至近距離で目にすることすらできない。そういう場所だ。
「それにしてもよくたどり着いたよ。最初っから難儀だったんだ。停留所が人目のつかない廃材置き場にカモフラージュされててね。迷うよ、あれは。揺れる尻尾を目ざとく見つけなかったら危うく乗り逃すところだった。予約するのも大変なのに」
一日一便のペガサス便は、王国首都にある地下バスターミナル夜八時→魔女村朝八時→地下バスターミナル夜八時→以下同、のダイヤで延々と循環している。片道ちょうど一二時間。以前は必要に応じて臨時便で出ていたらしいが、流通量の急増に伴って常設便になった。
前夜から朝にかけて半日も鞍上に揺られるのはさぞ辛かったことだろう。でも、<トゥーラの聖痕>を跨ぐ労をペガサス以外には委託できないのだ。
彼らは深い断崖を難なく越すことができる。その時間だけ架かっては消える雲の橋を、翼を広げて走り抜けるのだ。
人をも騎乗させることのできる形質、荷車を牽きながら半日を駆け通す持久力、かてて加えて寸分狂わず定刻を守る正確性。それら全ての要素を兼ね備えたものは、ペガサスをおいて他にない。
外界をつなぐ細い秘密の糸口。だからこそ、わたしたちは翼持つ白馬の駆ける、消え橋の道筋を『雲路』と言って尊ぶのだ。
「はぁ、こんなシステムになってるなんて」
ペガサス便に乗って村を出入りしているのはママ一人だけだ。基本的に物資用だし乗ったことはないけど、ミスター・ルウがかなりお疲れなのはオーラが不可視でもわかる。顔は青白いわ、片足ずつ着地するタイミングで頻繁につんのめっているわ。きっと教会で派手にコケていたのも疲れた足がもつれたからだろう。
「トイレ休憩はあったよ、さすがに。だけど、お尻摩ってたらすぐに出発時間だもの」
腰を曲げたミスター・ルウが、実際に両手でお尻を摩りながらしかつめらしく眉根を寄せる。眼鏡に遮られていても情けなさがありありと伝わってくるのが興味深いところだ。その表情にもじゃもじゃの髪が妙にマッチしている。腰を折った反動でぼよん、と跳ねて笑いを誘発されたが、下唇を噛んで堪えた。
「魔女村は初めてですよね。教会はどうでした?」
軽い質問を継いだのは、疲れた先生の気分転換になりはしまいかと慮ったからだ。関心の高い分野が歴史や文化だということはもう知っている。
「そうだね、教会!シスターもいるし、内部構造はあまり変わらなかったよ。キリスト像の代わりに聖女たちの像が祀ってあるところは違うけど」
案の定食いついた。澄ましてシスターもいるし、だって。キリストっていうのは、たしか世界中で人気の宗教キャラよね。
「よく十字架と添い寝してる人ですか?」
「え、いや、キリストは神の子で…」
神の子。十字架の大きさからすると小人ではなく?聖トゥーラの銀の十字架は首飾りのサイズだけど。神様から力を分け与えられたという初代の聖トゥーラも、神の子キリストと似たような扱いになるのかしら。
「兄弟もいるんですか?神には他のご親族もいらっしゃいます?」
「うん、その辺りは授業でおいおい…」
なんだかショックを受けたような様子でミスター・ルウは言葉を濁して、「四聖女はそれぞれ何か持ってたね」と話題を戻した。
「よくご覧になってましたね。魔女狩りから逃げてきた時に携えていたものがモチーフになってるんです。首掛けの十字架とかトナカイとかナイフとか。聖ローザの丸いのはよくわからないけど」
「ああ、わからないのか…あれはパンだよ」
「えっ、パンですか」
薬草魔女の始祖を象徴するモチーフがパン?つまりシチューやスープに合う主食、ダグさんが毎日焼いている小麦製の食べ物、だよね。持ってきたとしてもただの携帯食なのでは。そうか、薬草入りということ?それとも、実務や加工技術の符号かも。初めて来た人に教えられてしまった。口伝えに伝えられる過程で事実と異なっていった可能性も否定はできないが。
「まさかパンだとは思いませんでした。てっきり植物かと」
「極秘の事前研修があってね。小部屋に缶詰め状態で、一通りの関連情報を習得したんだよ」
なるほど。ペガサスを疑ったり意外な知識を身につけていたり、外の人ってアンバランスな感じだ。
史上初の渡来人。先生の出身だという王国はロシア語を公用語の一つとしているし、今のところミスター・ルウとのコミュニケーションに問題はない。選び抜かれたエリートらしく複数の言語を話せるのだろうし。でも、閉ざされて生きてきた特殊な村だから、異文化に飛び込んで生活するミスター・ルウにとってはなにかと勝手の違うことも多いだろう。
「何か困ったことがあったらおっし…」
みなまで言わぬうちに、倦怠感に喘いでいたはずのもじゃは、校門のコウモリ像に向かって脇目も振らず突撃していった。
「…ゃってくださいね」
雨除けの屋根が付いた校門に擦り寄って、コウモリの木像を穴が開くほど見つめているけども。それもコニーGじいさんの彫刻ですから。歴史的価値ないですから。しかもとぐろ巻く菜食の精進コブラ像と取り替えられたのはつい先週のことです。
深夜ペガサスの旅




