黒衣の魔女は天然の
ミセス・ゼムフィーラに頼まれた咳止めシロップを煮詰めたのは、明くる朝。
大鍋で煮立てた咳止め用ハーブを引き上げ、甘味料のステビアを加えて冷ましておく間に、レポートの下調べのため教会へ行くことにする。<四聖女>といえばやはり教会の職掌だ。
わたしたちの村は、疎密の差はあれど、深い森の中に建物が紛れ込むように点在している。専門店や役場などの公共施設が集まる中央広場を中心として、北を治癒魔女のエリア、西は天文魔女たちのエリア、そして南が‘‘まじょっち’’や農場、わたしの家のある薬草魔女のエリア、とだいたいの住み分けがなされている。
黒衣の天候魔女が掌る教会が粛として佇むのは東のエリアだ。北東の丘に建つ学校から真正面に見下ろす位置に、魔女村唯一の教会はある。
不信心のママの影響で‘‘四季の礼拝’’以外には特に通わないが、広々とした礼拝堂はしんなりとした独特の静けさで心を落ち着かせる。
ひとまずミツロウでできた蝋燭に火を点けてキャンドル台に挿し、親指と人差し指中指をつまむようにして胸で十字を切る。教会には特別な作法はないので、これはシスター・ソラの見真似だ。確か<非対称の十字架>を再現して四人の開祖を尊ぶのだという。
祭壇には、銀の十字架を首に掛けた聖トゥーラを筆頭に、小さなトナカイを連れた医療の守護聖女オト、ナイフを胸に持つ星の守護聖女ベアトリス、そして我らが薬草の守護聖女ローザの、四体の立像が据え置かれている。
聖トゥーラに掛けられた銀の十字架以外は、本体も持ち物も白磁の焼き物だ。腕から先ほどの高さの聖ローザは右手に丸いものを載せているのだが、それが何の意匠なのか聞き知った覚えがない。『魔女村史』のテキストからも抜けていたと思う。薬草魔女の祖先だから植物の実か種か果物、あるいはそれら全ての象徴なのだろうと見当をつけている。いわゆる暗黙の了解というやつだ。
せっかく来たので、とりあえずママの健康と、なんとなくレポートがうまく書き上げられることを簡単に祈った。
「こんにちは、ベリィ。ようこそお参りくださいました。素晴らしいこと。月初の‘‘春の礼拝’’以来ですね」
肩越しに振り向けば、黒い修道服にゆったりと身を包んだシスター・ソラが、高窓から差し込む春の陽光を浴びて眩しげに微笑んでいた。
「お母さまはお元気?」
この静まり返った堂内で足音も衣擦れも聞こえなかったが、どこからいつの間に現れたんだ、黒衣の魔女。
「今はニューヨークに行っています。‘‘魔女サプリ’’の件で」
「各国の有名企業と商談を進められているのだそうですね。お一人で世界を相手に素晴らしいわ。村の公益に大きく貢献なさって、本当に素晴らしい」
手を合わせておっとりと述べるシスター・ソラは、珍しい漆黒の目を細めて夢見るような表情だ。無二の存在への尊敬を込めて『黒衣の魔女』とも呼ばれる彼女は、普段は不安にさせるほど力の抜けた癒し系である。
「語学堪能で才気にあふれ、抜群の行動力でビジネスセンスにも優れていらっしゃるなんて」
褒めすぎ…世界を相手にというか、今はニューヨークの一企業とガツガツ話し合ってるだけですから。きっと図々しく要求かましてると思います。
「それに、こんなに素晴らしいお嬢さまをお持ちになって、お母さまはご自慢でしょう。素晴らしいですわ。薬草の技術には並々ならぬものがあると専らの噂です。医薬もおつくりに?」
「いえ、わたしはお茶やスキンケア専門です」
薬は薬で、はたまた製糸と機織りはセットで、お家芸として受け継ぐ家系がある。‘‘魔女サプリ’’というママのお得意サプリメントは、語り継がれる聖ローザの丸薬を若い頃自身で再現したものだ。
「私も‘‘魔女サプリ’’を月に一度、満月の日にいただいております。体調もよく、感覚が冴えて魔法も強くなったような気さえいたしますよ」
私も飲んでますけど、魔法いまいちです。っていうか回数少なっ。満月とか魔女中の魔女のあなたが言うともっともらしいけど、毎日飲んでくださいね。ビタミンやミネラルは常々要りますからね。ええ、だからそれはおっしゃる通り気のせいです。わたしは心内のツッコミが冴え渡る気がしていますが。
「それは…ご愛用ありがとうございます」
わたしは生まれが薬草魔女だから魔力が弱いのはしかたがない。この人なんて、とんだ天然だけど絶大な魔力を秘めた一世紀ぶりの『天候魔女』だ。聖トゥーラを源流とする天候魔女は、その名の通り気象などの自然現象を意のままに操る最強の魔女なのである。
‘‘WITCH’’の公式チャンネル投稿動画では、シスター・ソラの手が寒空にオーロラのカーテンを引く神々しい情景や、嵐を雲の上へ薙ぎ払う衝撃シーンなどを見ることができる。天候の儀式は見せ物ではないので、集客を見込んで事前に日時や場所が告示されるわけではない。残念ながら最前列でとくとご拝見という機会はほぼ回ってこない。
今はシスターとしての日常業務中なので、ふんわり天然成分が全開なのだ。魔女村でもただ一人の天候魔女は、濡れたような黒目をキラキラさせて訊いてくる。
「素晴らしく熱心に祈ってらっしゃいましたが、今日はお祈りに?」
「あ、いえ」
ここで悲しそうに小首を傾げられたので、別に否定しなくてもよかったのに、と自分を責めた。こんな純真な人に対して余計な失望を与えてしまった。
「いえ、いいえ、いえ」
どうあっても乙女の純心を守らねば、と説明のつかない焦燥感に駆られて否定に否定を重ねてしまったが、もはや相殺して肯定にはなるまい。
「えっと、『魔女村史』の単位認定レポートで聖トゥーラについて書くことになって」
「まあ、それは素晴らしいですわ。何かお知りになりたいことがございますか?」
だが、具体的に考えていなかった。どうしよう。えー、頭を働かせて…
「あの、聖トゥーラは何人ですか」
こともあろうにダサい聞き方をしてしまった。
「出身国のことですね。今で言う大国ロシアではないかと推定されていますよ」
シスター・ソラは即妙に文意転換してくれた。ロシアといえば、伝統である大鍋料理の元祖といわれるボルシチの国だ。独自の言語文化を育んできた村の主要言語と文字のルーツでもある。魔女村では独自語の他、ロシア語を中心として英語や北欧系言語も混用されていて、<四聖女>の母国語が伝っているのだといわれている。祭壇上で等間隔に並ぶ四女性の像は、互いを支えとして肩を寄せ合っているようにも見える。
「<最初の四人>の一番目だったことはご存知ですね。母国を逃げ出した聖トゥーラが春にこの森へ辿り着いたため、開闢を記念して村の年度は四月始まりになったとされています。彼女は元修道女だったそうで、神の声を聞き超凡たる力を授かった、と秘伝の文献に出ておりますよ」
「そんな文献があるんですか」
テキストでも触れられていたが、参照できればレポートも書きやすいだろう。卒業するためには『魔女村史』の単位は必須なのだ。
「後の世の村人が書き残した貴重な史料ですが、聖トゥーラの没後ある程度時代を下っていますので、不正確な記述や憶測なども交じっているようです」
「その本を見せてはいただけないでしょうか」
「残念ですが、ここにはないのです。新旧の書籍はすべて学校の図書室で保管されていますので。持出不可の書棚に置かれているのではないかしら。閲覧できるかどうかミセス・ゼムフィーラにお訊ねになっては?特に村史はご専門ですし」




