34.ただいまを言える場所で
暴れる二人は傭兵が担ぎ上げて連れて行った。私兵となっていた者たちも抵抗はとうに諦めていたのか、大人しくついて行った。金貸しは商会の事務員が手分けして、返済の手続きをしている。
残ったのは護衛のための傭兵と、領民たちだけだった。
彼らは一か所に集まり、マリアナを険しい面持ちで見ていた。
マリアナは彼らの元へと赴き、向き合った。
「改めて、この十年間のお詫びを申し上げます」
声がかすれていた。レースの手袋に包まれた手を固く握る。
「私は、これより誠意をもって領地を……」
中年の領民が手を上げて、マリアナを制止した。継ぎはぎだらけの服は荒く毛羽立ち、元の色が分からないほど薄汚れている。
「ドニャ。申し訳ないが我々には、もう領主さまは必要ない。自分らだけで生きていく。そう決めたんだ」
他の領民も同意の声を上げる。マリアナは言葉を失い立ち尽くした。激しくなる声にビクトリーノが止めようとしたが、それより早く屋敷から走り出てきた人物が叫んだ。
「ドニャ・マリアニータ!」
マリアナはハッとして振り返った。半ば転びそうになりながら駆け寄ってくるのは、白髪交じりの頭をした女性だった。マリアナは記憶の底から湧いた名を呼んだ。
「パメラ!」
二人は抱き合うと、そのまま一緒に乾いた地面へと崩れ落ちた。
「ドニャ、よく……よくお戻りになられて」
パメラは大粒の涙を流して言った。記憶にあるよりも白髪の増えたパメラの髪に触れながら、マリアナも涙をこぼした。
「あなたも、無事だったのね」
「今日、決起があると知らされて、他の使用人と一緒に食品庫に隠れていたんです」
「ずっと、屋敷にいてくれたの?」
「一度は解雇されたんですよ。けど、新しく雇い入れた娘が役立たずでね。また呼び戻されたんです。あいつらの面倒を見るのは嫌だったけど、ナロスのお屋敷を守れるのは、もう私ぐらいしかいないと……」
マリアナはパメラを抱き締めて、言った。
「ありがとう。ごめんなさい。私は……あなたたちを見捨てかけていたのに」
「なんてバカなことを言うんです。ドニャが謝ることなんて、ひとつもないでしょう」
パメラは身を起こすと、マリアナの顔に手を当てて微笑んだ。
「お綺麗になられて。お母上に似てきましたね」
マリアナも震える顔を頑張って笑顔にした。
「ほら、立って。せっかくのドレスが汚れますよ」
パメラはマリアナの手を取って立ち上がらせると、自分の涙を乱暴に袖で拭い、存在に気づいた領民に言った。
「なにをしてるんだい、あんたたち。ドニャにご挨拶はしたのかい? ナロス家の正統な後継者さまだよ」
「パメラ……」
マリアナはパメラの骨ばった肩に触れて止めた。パメラは怪訝そうな顔でマリアナを見やり、領民へ視線を戻した。苦々しげな顔とぶつかる。
「パメラばあさん。悪いが、そのセニョレータに従うつもりはない」
「なんだって?」
「俺たちは明日食う物もなく生きてきた。また元に戻れって言うのか?」
「謝りな! ドニャは、そんなことはなさらないよ!」
「どうだか」
領民たちの厳しい視線にマリアナは身をすくめた。
「綺麗なドレスに、バカ高い宝石まで身に着けて。ハレムで、どんな優雅な生活を送ってきたんだ? 俺の娘はボロ布のような服を着て、私兵の影におびえて生きてきた。それがどんな生活か、あんたには分からないだろう」
「そんな金があるなら、なんだって、さっさと戻ってきて俺たちを救ってくれなかったんだ」
「出て行け! バルフレードは……」
「お黙り!」
パメラは怒鳴るとマリアナに向き直った。節くれだった手が、マリアナの手を握る。マリアナが震える手で弱々しく握り返すと、皺が寄ったパメラの顔に涙が幾筋も流れた。
「ドニャ……」
消え入りそうな声だった。
「ドニャ、どうか連中を許してやってください。いまは……まだ、混乱しているんです」
「彼らの怒りは当然よ、パメラ。私が、なにも出来なかったのは事実なんですもの」
マリアナは安心させるように笑顔を見せたかったが、引きつり震え、涙をこぼさないようにするのが精いっぱいだった。
「ええ。ええ……出来なくて当然ですとも」
パメラは強くマリアナの手を握り締めたまま、領民へと視線を戻した。
「あんた、自分の娘のことを言ったが、ドニャがご両親を亡くしてから、どんな生活を送っていたか忘れたわけじゃないだろうね? そのとき、ドニャはいくつだった?」
「そんなこと……。いくつだろうと伯爵家の人間で」
「伯爵家の人間なら、たった十二の娘が、どんな扱いを受けても構わないって言うのかい!?」
パメラの言葉に領民たちはたじろぎ、視線を泳がせた。
「ドニャに助けを求める前に……私らがドニャを助けなけりゃ、ならなかったんだ。十二だよ。あのとき、誰がドニャを助けてあげた?」
マリアナは震える唇を噛み締め、うつむいた。緑みを帯びた金色の瞳から雫がこぼれ、土埃の立つ地面に吸い込まれていった。
「十四で売られたとき……誰も止めやしなかった。誰も、ドニャを守ってやらなかったじゃないか! そんな私らが、ドニャに、なにをしてもらおうってんだい?」
マリアナはパメラを抱き締めて言った。
「いいの、パメラ。もういいの……」
「ドニャ……。ドニャ、本当にごめんなさい」
パメラは嗚咽を漏らしながら、何度も……何度も繰り返した。
ビクトリーノが仲介に立ち、後日マリアナと領民の代表たちとで話をすることになった。
領民たちが集落に戻っていくと、マリアナは八年ぶりに屋敷へと入った。記憶の中の屋敷とは、ずいぶん様変わりしていた。手入れも行き届かず、ほとんどの部屋がほこりにまみれていた。
パメラは謝罪したが、マリアナは屋敷が残っているだけで十分だった。
夕方になるとマリアナはパメラを手伝い、料理を作った。昔のように。
けれど、食べてくれる人々の顔は、ずいぶんと違った。両親が亡くなってから、初めて屋敷に朗らかな笑い声が戻ってきた。
マリアナはパメラと一緒に夜を過ごした。話が尽きることはなく、幾度も泣いた。そして笑った。
「おかえりなさい。ドニャ・マリアニータ」
「ただいま」
二人は手を繋いで眠った。




