32.知らない故郷を前に
最初の町に荒廃は感じられなかった。小奇麗な家が並び、道も整っている。記憶にある街並みと一致せず、マリアナは戸惑いを覚えた。
「ここはバルフレードの入口だから、銀山開発のときに整備が進んで、そのまま保ってるんだ」
マリアナの様子を察したのか、ビクトリーノが言った。マリアナは窓の外から目を離さずうなずいた。
町は綺麗でも人影はほとんど見られなかった。オラ・レガーダはもちろん、宿のあった町とすら違う。わずかに通りがかった人は警戒するような視線を向け、建物に身を寄せるようにして馬車をやり過した。
マリアナは領民の心の傷を思うと胸が痛んだ。
町のはずれで合流した傭兵の一部に前後を守られ、馬車は進んだ。木立を抜けると緑の丘陵が続く。丈の長い草や低木が風に揺れる、のどかな……寂しい風景だった。昔は羊や牛が放牧され、犬を呼ぶ牧童の声が聞こえていた。オリーブ畑やブドウ畑で作業する人々の歌声が響いていた。
遠くに見える風車は羽根が欠け、長いこと回っていないのが見て取れた。
そんな中にポツリポツリと残った牧場や畑が現れる。けれど町と同様、人の気配を感じることはほとんどなかった。
幼い頃、両親が生きていたときは貧しくても領民は明るく働いていた。畑の手入れは行き届き、村は綺麗な花で飾られていた。
両親が亡くなり、叔父がバルフレードを支配するようになって少しずつ変化し始めた。村から花が、人々の顔から笑顔が消えた。
次の村にさしかかる。村人と傭兵が話をするため停車すると、ビクトリーノは窓のカーテンを閉めた。
「いまは、まだ領民と話をするときじゃない」
ビクトリーノの静かな言葉に、マリアナは強張った顔でうなずいた。
外から聞こえる殺気立った声にマリアナは耳を澄ませ、その言葉を聞き続けた。
新しい村に入ると焦げたにおいが鼻を突いた。子供の泣き声が響き、けたたましく犬が吠えている。マリアナは全身を震わせ、浅い呼吸を繰り返した。
「大丈夫。危険があれば女子供は避難させるように言ってある。安全だから、ここにいるんだ」
ビクトリーノはマリアナを抱き寄せて言った。
マリアナはビクトリーノの手を強く握り、うなずいた。歯の根が合わない口元に力を込めて引き結び、涙をこぼさないよう――記憶を追い払った。
廃屋に隠れ、息を殺し、小さくなって震えていた耳に届いた、近づいてくる犬たちの鳴き声。故郷を奪われた十四歳のあの日。
屋敷にほど近い村は大勢の人で溢れていた。男性ばかり。農具や棒、中には剣や弓矢を手にしている人間もいた。革の胸当て。金属の兜。木の板を胸に下げたもの。
カーテンの隙間から見えた人々の強い眼差しにマリアナは怯えた。あの頃と同じ、いや、もっと強い怒りと憎しみに燃えている。
馬車が強く叩かれる。
マリアナはびくりと跳ね、危うく悲鳴を漏らしかけた。
「ドン! 俺たちのために、やつらを追い出してくれ!」
「ここは俺らの土地だ! もう貴族なんていらねぇ!」
「そうだ!」
馬車を叩きながら口々に発せられる言葉にマリアナは体を強張らせ、ビクトリーノへ身を寄せた。ビクトリーノは怒声から守るようにマリアナを抱き締めながら、力強く声を張った。
「ああ、分かっている! お前たちの気持ちは十分に理解している。だから、さあ、道を開けてくれ! すべてを今日、終わらせる!!」
馬車の周りから人が引いていった。誰からともなく歌が始まる。古い古い戦歌。誰に教えてもらったのだったか。マリアナは歌にまつわる古い昔話が同時に思い出された。
この僻地にも戦火が及んだ戦乱の時代。人々は団結して谷間の小さな土地を守った。犠牲を出し、敵を打ち払い、美しい故郷を守り抜いた。
いまも……人々は自分たちの手で故郷を取り戻そうとしている。
――私がしようとしていることに、意味はあるの……?
ビクトリーノのように支えるのでも、鼓舞するのでも、まとめ上げるのでもない。
遠ざかる歌声を聞きながら、呆然と思った。
「マリアナ」
そっと呼ばれ、マリアナは青ざめ、引きつった顔を上げた。
「ビクトリーノ……。私……」
かすれた声をビクトリーノの視線が止める。
「マリアナ・ナロス。君と俺では役割が違う。君は、君自身が出来ることをすればいい」
ビクトリーノはマリアナの耳元に手を添え、指先で頬を撫でながら言った。
「それでも無理だと思うなら、する必要はない。自分を守ることを優先してほしい」
温かな手のひらの熱が、冷えた肌を温める。マリアナは深く深呼吸し、ゆっくりとうなずいた。
ほどなく馬車はナロス伯邸に着いた。
八年ぶりの帰還――。
マリアナは、ダシャの言葉を繰り返した。
――顔を上げて。目を見据えてハッキリと言う。人前で述べる正しい言葉は、なによりも強い武器となる。
ビクトリーノに手を取られ、マリアナは馬車から下りた。
懐かしい屋敷の前に多くの人がいた。捕らえられた人々を、腕に揃いの赤い布を巻いた傭兵が取り囲んでいる。
その中心に彼らはいた。




