2.旅路の果てに
帝国へと向かう船の中、マリアナは独りになってからのことを思い返して、泣いた。
一家三人が流行り病にかかったのは、マリアナが十二のときだった。
伯爵家とは名ばかりで、祖父の代から没落していたナロス家はろくに医者すら呼べず、両親は亡くなった。マリアナも生死の境を彷徨い、寝込んでいる間の記憶はまるでなかった。
目覚めてすぐ、両親の死を知らされた。
悲嘆にくれる間もなく一人娘のマリアナが家を継ぐことになったが、若年であり、成人するまで後見人に面倒をみてもらわなければならなかった。
その後見人が――叔父だった。
存在も知らなかった父親の弟。素行の悪さに祖父から勘当されたと知ったのは、一緒に暮らすようになった半年後だった。
叔父夫妻はマリアナを愛さなかった。
しつけ、教育と称し、使用人の仕事を手伝わせた。料理、裁縫、掃除、屋敷の修繕、庭仕事、動物の世話。
屋敷を我が物のように使い、家財を売り、領民から税を巻き上げた。村へ買い出しに行かされる度、マリアナは村人から憐れみと憤りの視線を向けられた。
息苦しさに溺れる二年が経ち、マリアナは十四になった。
ある晩のこと、二人が話しているのを聞いた。
「あれは、そろそろ娘になったのか?」
「ええ。つい先ごろ、初めて月のものを迎えたわ」
「そうか。では、嫁入り先を探してやるとするか」
「欲しがる人は大勢いるでしょうね」
下卑た笑いが廊下に響いて聞こえた。
暖炉の灯りに揺れる二人の影に悲鳴を漏らさないよう、マリアナは唇を噛みしめて、その場から離れた。
そのひと月後。準備を整えて逃げ出した。
行き先は特になかった。ただただ二人の元から離れたい。それだけだった。
マリアナが逃げ出したことに気づいた叔父は猟犬を放ち、追ってきた。世話をしていたマリアナに懐いていた犬たちは、すぐさま探し出し……マリアナは屋敷へと連れ戻された。
潮風に幾度となく涙をぬぐった。
船が寄港する度、風景が、耳に聞こえる言葉が変わっていく。共に行くのは野卑な男で、常に漂う酒のにおいにマリアナは何度も離れたいと思った。しかし、ひと月も経つと、同じ言葉を話すというだけで男のそばにいることに安心すら感じるようになっていた。
そんな旅路を経て帝都に着くと、その華やかさに夢の世界へ来たのかと思った。目にするものすべてが輝き、美しく飾られている。金銀宝石が溢れ、ガラスさえ虹から作られたように見えた。
男に連れられて入った宮殿は、使用人が使う小さな応接室であるのに、ナロス家の一番豪華な部屋よりも豪奢だった。繊細な絵画で埋まった天井。金の装飾棚。透明なガラスのシャンデリア。
宮殿に入る前、マリアナは男の用意したドレスに着替えさせられていたが、ひどく場違いな気がした。対応する女官が質素なデザインながら上質な絹織物のドレスで現れると、ますます、その思いは強くなった。
「名前は?」
金色の髪を上品にまとめた女官は、青い瞳を上から下まで動かし、感情のない声音で聞いた。マリアナはうつむき、スカートを握り締めて震える声で答えた。
「マリアナ・ナロス……です」
女官は手を伸ばすと、マリアナの顎に手を添えて持ち上げた。
「顔は上げて話しなさい、マリアナ。これは淑女として最低限の嗜みです」
静かな声音。なのに、叔父の怒声より抗いがたい響きに聞こえた。
「あなたは覚えることが、たくさんありそうね」
マリアナ・ナロスは帝国の後宮へと入り、皇帝の后、そして将来の皇帝の母に相応しい格を備えるよう教育された。大勢の女性が暮らす、薫り高く、豪華絢爛の奥に棘を隠した場所。
そこで女官として八年を過ごし――皇帝の顔を一度も目にすることなく退職した。
「なにもしていないのに退職金をもらって、よかったのかしら……」




