1.家を離れる日
※この物語には、序盤に暴力や虐待を含む描写があります。
過度に残酷な表現はありませんが、苦手な方はご注意ください。
物語全体は静かな恋愛と再生が中心ですので、安心して読んでいただければと思います。
頬に強い衝撃が走る。
マリアナは、なにが起こったか分からないまま、馬車の荷台から乾いた地面に転がり落ちた。十四にしては小柄で、やせ細った体。力の入らない腕で体を起こし、乱れた黒髪の間から呆然と叔父を見上げた。
馬車から下りた叔父は目を吊り上げて、マリアナに近づいてきた。
父親と同じ琥珀色の瞳から、射殺すような眼差しを向けられていることにマリアナは震えた。
「この恥知らずめ! 孤児になったお前を散々、世話してきてやったのに、どこへ行くつもりだったんだ? ええっ、言ってみろ!!」
振り上げられた叔父の手に、マリアナは身をすくめて頭を抱えた。
「あなた! やめてちょうだい」
屋敷から飛び出してきた叔母が、夫の腕にすがりついて止めた。
「離せ! 体に分からせないと、この愚か者は理解できんのだ!」
夫の怒声を弾き返すように妻は鋭く言った。
「そんなことしたら、跡が残ってしまうじゃないの!」
真っ赤に塗った長い爪で夫の顎を掴んで自分の方へ顔を向けさせると、笑いを含んだ声で続けた。
「連絡がきたのよ。明後日には迎えが来るわ」
琥珀色の瞳が大きく見開かれ、やがて三日月の笑みへと変わっていった。
二人が顔を合わせて笑いあうさまに、マリアナは教会で読んだ本の挿絵を思い出した。人間を罠にかけようと相談している悪魔の――。
叔父がマリアナへと目を向けた。その顔に、もう怒りは見えなかった。
代わりにニヤニヤとした笑みが広がっていた。
「礼儀をわきまえない娘にはお仕置きが必要だ」
「礼儀を学べる場所に行くのよ」
「そう……。皇帝の後宮に」
絡みついてくる声から逃れるように、マリアナは熱を帯び、脈打つ頬に手を添えた。
マリアナはハレムが、どんな場所か知らなかった。けれど、帝国の存在は知っていた。海の向こうにある異郷の大国。
故郷バルフレードから追放される。それだけを理解した。
「わた……私、ごめんな、さい……」
マリアナはかすれた声で言った。叔父夫妻の足元に這い寄り許しを請う。
「お願いします……、なんでもします。もう逃げだしません。だから、ここに置いてください!」
緑みを帯びた金色の瞳から雫がこぼれ、土埃の立つ地面に吸い込まれていった。
マリアナは何度も懇願した。
そして、ハレムへと売られた。




