19.ひとりで示す価値
朝食は食べる気分になれず、コーヒーを飲んだだけで身支度に取りかかった。
宿の女中に手伝いを頼んで髪をきっちり結い上げると、銀の小花と真珠を繋いだ目立たない飾りをつける。化粧は薄く、落ち着いた色合い。それでも印象的な口元になるよう、口紅は二色を混ぜて深みと抑えた艶を出す。
ドレスは、新しくポルタベルタの正装を作った。生地は上等なものを選んだが色は灰色。装飾は少なくし、襟元と袖口からレースをのぞかせたぐらい。乳白色のレースショールを羽織ると、緑みを帯びた金細工の鳥のブローチで留めた。
華やかさはないが、埋もれるほど貧相でもない。
最後にリーズから贈られた手袋をつけて、姿見の前に立った。
首元まで布で覆われた襟。肩口は大きく膨らむが、肘から下は腕をぴったりと包み込む袖。体のラインを消すように締め上げた上半身。
緩やかに体の線を出す帝国スタイルとは、まるで違う。
けれど――こういうものだった。
鏡の中にいる自分の姿に、おぼろになっている母の面影が重なった。
込み上げてきた感情に息を吸う。しかし、体を締め付けるボーンが肌に食い込み、痛みが感情を退けた。
深く息が吸えない。胸を上げて呼吸しなければならないことに戸惑いを覚えた。
「こんなに苦しいなんて……」
思わずマリアナは漏らした。
「とてもお似合いですよ」
手伝いをしていた女中が言った。
「色は地味ですけど、いつもの装いより上品さがあります」
マリアナは鏡越しに女中の顔を見た。屈託のない笑顔に、嫌味で言ったわけではないのが見て取れた。それだけに少し動揺を覚えた。
身だしなみに品がないと言われたのは、後宮に入りたての頃以来だった。
マリアナは女中に笑み返し、リーズの手袋をつけた手を握り締めた。
迎えに来たタデオ、ソニアと共に薬種商組合の会館へと向かう。
ビクトリーノは用事で来られないが、しっかり補佐するよう言いつかってきた、とタデオは言った。マリアナは不安を胸の中に抱えながら、お願いします、と答えた。
グレミオ加入の承認は、ビクトリーノの見立て通りあっさりと下りた。いくらかの質問は来るかと身構えていたのに、グレミオの役員たちは揃ってタデオの顔色をうかがうばかりだった。
タデオではなく、その後ろにいるビクトリーノ・バルデムなのだろうが。
この街にビクトリーノに逆らえる人間はいないのだと改めて思い知らされた。
だからこそ、マリアナは自分の価値をグレミオに示さなければならなかった。彼の存在がなくても、加入させた意味があったと考えてもらう必要が。
総会が終わると会館の大広間へと移り、それぞれの奥方や子供たちも参加する親睦会となった。
――顔を上げて、笑顔を絶やさず、ハキハキと。
マリアナは胸の中で繰り返すと息を一つ吐き、顎を上げた。
柔らかく、花が咲くような笑みを浮かべて大広間へと入った。
賑やかに話されていた声が少し小さくなる。マリアナは向けられた視線に小さく会釈をしながら、上座へ座るトルドラの元へと進んだ。
「セニョール・トルドラ。先日は、ぶつしけなお話しをしてしまったこと、改めてお詫び申し上げます。にも関わらず、この度はグレミオ加入をご許可頂き、ありがとうございました。グレミオの一員として精いっぱい、働いてまいります」
トルドラは顔も向けず口の中でもごもごと、期待しているや、よろしく頼む、などと言いワインをあおった。マリアナは軽く礼をすると、トルドラの隣に座る妻へと向き直った。
「初めまして、奥様。この度、新しくグレミオに加入させて頂きました、マリアナ・スリナーチと申します。右も左も分からぬ若輩者ゆえ、どうかご指導を賜りますようお願い申し上げます」
トルドラよりも幾分か若そうで、気位の高い面持ちを浮かべた妻は、マリアナを上から下へと見やり、口元だけに笑みを出して言った。
「初めまして、セニョレータ・スリナーチ。女の身空で店を構えるなんて、素晴らしい行動力ね。それだからドン・ビクトリーノに気に入られたのかしら?」
近くの女性たちが顔を見合わせ、忍び笑いをした。男性たちは妻や娘を視線でたしなめたが、すぐさまマリアナの後ろに控えたタデオの様子を気にした。
マリアナは微笑みを崩さず答えた。
「ドン・ビクトリーノのご親切には、とても感謝しております。私のような者の、なにに商機を見出されたのか分かりませんが、ご期待に沿えるよう努力しなければ、と思っております」
そして、ソニアへうなずきかける。ソニアは手にしていたバスケットから螺鈿細工の小箱を取り出すと、トルドラの妻の前に置いた。帝国で買った化粧品に使われていた小箱だった。
「私の調合した塗り薬です。これから寒く、乾燥してくる時期になりますので、ご挨拶代わりにお納めください」
トルドラの妻はそっけない口調で礼を述べると、関心がないような素振りで小箱を手にした。けれど、小箱を凝視し、うっとりと指で撫でる様から、気持ちを高ぶらせていることは容易に分かった。そんな妻へ、トルドラはなにか言いたげな様子で眉根を寄せた。
マリアナはソニアから封筒を受けると、トルドラへと差し出した。
「こちらはセニョール・トルドラへ」
トルドラは封筒を受け取ると、期待を滲ませた様子で裏へとひっくり返した。しかし、蝋封を確認すると、面白くなさそうに小さく鼻を鳴らした。ビクトリーノの印章が押されていることを期待したのだろう。
マリアナは膝を折って身をかがめると、そっと囁いた。
「塗り薬のレシピを入れてあります。材料はセニョールの御店で揃えましたので、なくなりましたらセニョーラへ作って差し上げてください。ドン・ビクトリーノのご親類、ドニャ・マヌエラにもお納めしている品のレシピですから、きっとお気に召されると思います」
トルドラは封筒と妻の小箱を交互に見やり、威厳を保とうと表情を固めたまま、しかし緩んだ口で礼を言った。
「まあ、なんだ。頑張りなさい。ドンの顔に泥を塗らないようにな」
「はい。グレミオの一員として恥じないよう努めてまいります」
マリアナは折り目正しく礼をして答えた。




