16.祝祭に舞うひとりの影
マリアナは広場に立ち、ビクトリーノを正面に見た。それから楽団へ小さくうなずいて合図した。スカートを持ち上げ、深く膝を落として一礼。
楽団がゆっくりとリズムを取って、演奏を始めた。
マリアナは前奏でリズムを覚えると、即興で音に乗せて腕を優美に動かした。波のようにゆるやかに。風のようにしなやかに。指の先までのびやかに。
その動きを体全体へと広げていく。艶めかしく腰を揺らし、体をそらせる。
足を滑らせるようにステップを踏み、ビクトリーノへと歩み寄った。腕を伸ばせば触れられるほどの距離に立つと、ゆるりと首を傾げ、伏せていた瞳を流れるように向ける。ビクトリーノと視線が絡むと、匂い立つような微笑みを送った。
そして、誘うように手を動かすと、最後まで視線を残して体を反転させる。髪を払うように大きく腕を動かし、ステップを踏んで離れた。
ポルタベルタの音楽に合わせて、帝国の後宮の舞いを踊る。
なんて不思議なのだろう。
マリアナは、ふと隣でリーズが一緒に踊っているような気がした。他の友人たちも。
ハレムを出た女性は、ほとんどが帝国に留まったと聞いた。高官や貴族の妻となり、あるいは仕事を始めた。国に帰った者も、母国とは違う国へ旅立った者もいたらしい。
彼女たちは、いまどんな風に過ごしているのだろう。
きっと、みんな頑張っている。自分の足で立ち、歩んでいる。
スカートと長衣をなびかせて、くるりと回転。正面に戻ると、ビクトリーノの姿。
ビクトリーノの周りには大勢の人がいて、彼を囲んでいた。女性たちだけではない。商会の人々、船乗り、その家族。上流階級の人々。マヌエラの姿もあった。
ドン・ビクトリーノ・バルデム。バルデム商会を統べる人。
マリアナは敬意を込めた笑顔をビクトリーノに贈った。
――私は、もうハレムの女官ではないの。ただのマリアナ。
店を持って、私は私だけの主人となる。
ひとりで、生きていくの……。
音楽が止まり、マリアナは深く膝を落とした。
拍手が鳴り響き、歓声と指笛が飛ぶ。
マリアナは頬を上気させ、周囲にも礼をするとビクトリーノの近くへ移動した。
どこか惚けたような面持ちのビクトリーノに微笑みかけると、マリアナは右手を胸にそっと当て、唇に、そして額に移動させた。半円を描くように手を下ろすと、左手も同じように動かす。さらに両手を揃えて繰り返すと、スカートを上げて恭しく礼をして述べた。
「ドン・ビクトリーノ、この度はシグエニャ号、無事のご帰還おめでとうございます。稚拙ではありましたが、バルデム商会のますますの繁栄を祈願して、祝いの舞を舞わせていただきました」
「ありがとう……。マリアナ、素晴らしい踊りだった」
ビクトリーノは少し上ずったような声で言った。
「ええ、本当に! マリアナ、とても美しかったわ」
マヌエラは、そう言うとマリアナへと飛びつくように近づき、手を取った。瞳をキラキラとさせて熱心に言う。
「あなたに、こんな特技もあったなんて知らなかったわ。はぐれてしまって、ごめんなさい。でも、そのおかげで素敵な踊りが見られて嬉しいわ」
他の人も口々にマリアナを称賛した。その言葉の大半がビクトリーノへ向けられたものであることに気づいていたが、マリアナは笑顔で礼を返した。
楽団が新しい音楽を奏で始める。マリアナの舞に刺激された人々は、広場に集まると手を取り合って踊り始めた。男女関係なく一つの輪となってリズムに乗る。マリアナもマヌエラとビクトリーノに挟まれて、見よう見真似で踊った。
ステップを踏みながら、くるくると輪は回る。歌声と笑い声が重なる。
マリアナは歌えないまま、輪の中で踊った。
宿に帰り着いたときには、空高くに月が昇っていた。
マリアナはドレッサーの前に座ると、ランプの明かりの中、引き出しにしまったリーズの手袋を取り出した。柔らかく繊細なレースを指先でなぞるように撫でる。
「リーズ。あなたに会いたい……」
口に出してしまった言葉に後悔を覚え、手袋を引き出しに戻した。
真っ直ぐに鏡の中の自分を見つめ笑顔を作ると、背筋を伸ばして化粧を落とした。




