15.揺れる祝祭の中で
マヌエラのピンク色をしたドレスが、どこかに見えないか、あちらこちらへ顔を動かす。人垣の間からわずかに影が見えたような気がして歩き出した。しかし、突然、人陰から飛び出してきた子供とぶつかりそうになり、慌てて足を止める。子供はマリアナに気づきもせず、はしゃいだ声を上げて走り去った。
マリアナは急いでドレスを探したが、それらしい色は、どこにも見えなくなっていた。
呆然と辺りを見回す。周りの人々は、みな誰かと楽しんでいた。家族、友人、仲間――。
マヌエラに紹介してもらった人を幾人か見かけたが、自分から声をかける気にはなれなかった。人の中から弾き出されるように移動し、いつしか会場の片隅に立っていた。
視線の先ではマリアナと同い年ぐらいの青年船乗りが、壮年の夫婦と楽しそうに話をしていた。青年は父親と同じ癖のある髪をして、母親と似た顔立ちをしている。母親は背の高い息子の顔に手を伸ばし、愛おしそうに撫でた。
マリアナは目を伏せ、別の方へと向けた。そこでは中年の船乗りが小さな女の子を抱き上げていた。そばには赤毛の女性と、彼女と同じ髪色をした少年。船乗りは大きな力強い手で少年の頭を撫で回した。女の子が何事か言うと、一家はよく似た笑顔を揃って見せた。
マリアナはスカートを握り締め、うつむいた。
湧き起こってくる感情を飲み込んで、心の中で言う。
――なにをうつむくことがあるの? ここは、お祝いの席なのよ。
マリアナは長く息を吐き出してスカートを離すと、顔を上げてふわりとした微笑みを浮かべる。そして背筋を伸ばして歩き出した。
「ドニャ・マヌエラを見かけませんでしたか?」
マリアナは見覚えのある顔を見つけると尋ねた。声をかけたのは女性ばかりだったが、彼女らに同行していた男性が何人か、一緒に探そう、と申し出てくれた。マリアナは、その度に丁寧に断った。
見知らぬ男性からダンスに誘われることもあった。船乗りや、その家族ではないだろう。上質な生地で仕立てた正装で、その立ち居振る舞いから貴族や公職についていそうな上流階級に見えた。
それでも、マヌエラを探しているから、と断ると男性たちは去って行った。ビクトリーノの従妹として、彼女の名も知られているのだと気が付いた。
彷徨っている間に日が暮れて、水平線から濃紺色の夜空が広がりつつあった。松明とランタンが灯され、会場を温かなオレンジ色に染め上げる。子供を連れた家族は帰宅を始めていたが、酒の回った大人たちは、いまからが本番といった風情。
女性の数も減っているような気がした。
それなら簡単に見つけ出せそうなのに。マリアナは顔に張り付けた笑みとは裏腹に、いつまでも拭えない怯えを抱えてマヌエラの姿を求めた。
中央広場の端に色鮮やかな塊があった。女性たちの笑い声も響いている。マリアナは息をついて、足早に向かった。
五、六人の女性たちが集まり、取り囲んでいたのは――ビクトリーノだった。女性たちは一様にうっとりとした目つきで彼を見上げ、嬌声で話しかけている。彼の左右にいる女性は、それぞれビクトリーノの腕に自分の両手を絡みつかせていた。
彼女たちの陶酔した様は……皇帝の話をする愛妾たちを思い起こさせ、マリアナは胸の奥に小さな痛みを感じた。
女性たちの中にマヌエラがいないことを確認すると、踵を返した。
「マリアナ!」
弾んだ声と一緒に、ビクトリーノの駆け寄ってくる気配を感じた。
――顔を上げて、笑顔を絶やさず、ハキハキと。
胸の中で繰り返してから、マリアナは振り向いた。
ビクトリーノも、ずいぶんと酒を飲んだのか、顔は少し赤みを帯びて酒のにおいをまとわせていた。
「ひとりなのか? マヌエラは?」
「ちょっと……はぐれてしまって」
「大丈夫だったか?」
気遣うように尋ねたビクトリーノに、マリアナはさり気なさを装って答えた。
「ええ。なにも」
「すまなかった。招いておいて、相手も出来ず」
「お気になさらず。歌声を楽しませていただきましたから」
「聞いていたのか」
ビクトリーノは照れたように自分の首筋を撫でた。
楽団の奏でる音楽が早いテンポから、ゆったりとしたテンポへと変わった。手を取り合って弾むように踊っていたペアも体を寄せ合い、たゆたうようなダンスへと移った。
「よかったら一曲、踊らないか?」
マリアナはビクトリーノに取られた手を、考えないまま払うように引いた。ビクトリーノは一瞬、叱られて動揺した犬のような表情を浮かべた。
マリアナはハッとして、急いで言った。
「あの、ごめんなさい。私、ダンスは分からなくて……。帝国で教わったのは舞踊だけだったし」
ビクトリーノはなにも言わず、小さくうなずいた。
会場の熱気とは裏腹に、二人の周りの空気だけが冷え冷えとした気がした。
「あら、あなた帝国から来たの?」
それを破ったのは、棘を含ませた甘い声だった。
マリアナは姿勢を正して、近づいてきた女性たちに微笑みを向けた。ビクトリーノを取り巻いていた一団だった。女性たちはビクトリーノとマリアナの間に割り込んできて、話しかけた。
「珍しいドレスね。帝国では、みんな、そんなドレスを着ているの?」
「宝石は綺麗。カットが凝っているわ」
「あなた、お名前は?」
「帝国ではコーヒーを漉しもしないで、煮出したまま飲むって本当なの?」
「えっ。ミルクを入れて、まろやかにしないの?」
「そんなの苦い泥水を啜ってるみたい」
「やめろ!」
笑いさざめいた女性たちをビクトリーノの声が一喝した。女性たち、そしてマリアナも身をすくませた。ビクトリーノは厳しい顔をして女性たちを一瞥すると、苦々しく言った。
「シグエニャ号や他の船が、どんな場所を巡ってオラ・レガーダに富をもたらしているか、分かっているのか? 船乗りの家族なら、もっと異国の文化に敬意を払ったらどうだ」
女性たちは顔を強張らせ、押し黙った。狼狽えて視線を泳がせたり、悔しそうに顔をしかめたり、すがるような眼差しを向けたり。気まずい空気の中、空しく音楽が響く。
ビクトリーノと目が合うと、マリアナは小さく目礼した。そして、女性たちに向かって穏やかに、言葉を選んで言った。
「故郷の味を愛せるのは、素晴らしいことです。きっと帝国の人も、ポルタベルタのミルク入りコーヒーの味を知ったら、気に入ると思います」
マリアナを推し量るように観察する女性たちへ、花を咲かせたように微笑みかける。
「けれど、黒いコーヒーも大切に飲み続けると思います。特に女性は。なにせ……カップに残ったコーヒーの粉で恋占いをするのが、大好きなんですもの」
女性たちは途端に、好奇心を瞳に滲ませた。
「コーヒーで恋占いができるの?」
「あなた、やり方を知ってる?」
口々に質問する。もっと落ち着いた場所で話をしたい、と連れて行かれそうになったのを、マリアナはやんわりと留めた。
「まだドン・ビクトリーノにお祝いをしていなかったので。それだけ、させてください」




