13.静けさの中に届いた知らせ
それからマリアナは毎日、商館へ通い始めた。ソニアと、時おりタデオを交えて、帳簿を興していく。帳簿の付け方、決済方法、資金配分を決め、同時に調合道具や資材の選定を進める。
その合間にはマヌエラから食事や遊びに誘われたり、彼女の友人たちを紹介されたりした。マリアナから顧客となった人の話を聞いたソニアは、目を吊り上げて叱った。
「そういう話は先に言ってください。すでに仕事を始めていたなんて聞いていませんよ」
マリアナは肩を落として謝った。
そんな話をタデオにして、呆れられたり。
ひと月あまり、忙しく充実した日々を過ごした。ただ、ビクトリーノと顔を合わせる時間は減っていた。
中庭の整備が終わったと報告を受けて、久々に顔を合わせた。
ビクトリーノと一緒に店舗へ行くのも、見学に訪れたとき以来だった。
中庭に入ると雑草は綺麗に取り除かれ、土は耕されていた。草花は店の掃除と改装を終えてから整えることにしていたが、ローズマリー、ヒソップ、タイム、ローズヒップ、オリーブ、レモン……と樹木のハーブはすでに植えられている。
マリアナは足を弾ませて、一つひとつ確認して回った。葉に触れて匂いをかいでは、ため息を漏らす。
「素敵……。ビクトリーノ、ありがとうございます。こんなに良くしていただいて、なんとお礼を言ったらいいか。庭師の方にもお会いしてお礼を伝えたいです」
「いまのところは俺から伝えておく。店舗の掃除が終わったら、また庭のことで相談することもあるだろうから、そのとき礼は伝えたらいい」
そう言うと、ビクトリーノは庭師の持ち込んだベンチに腰掛け、マリアナも呼んだ。
マリアナが隣に腰かけると、ビクトリーノは顔を覗き込むようにして見てきた。マリアナは落ち着かない気分で見つめ返す。
「ゆっくり休めているか?」
「はい」
マリアナは答えてから、自分の顔に触れた。毎日のメイクやお手入れのとき、顔色や肌の調子は確かめている。気になればすぐにケアしていたし、今朝も特に気づいたことはなかった。それでもビクトリーノから見たら、調子が悪そうに見えているのだろうか。
しかし、ビクトリーノは安心した様子で言った。
「それならよかった。このところ、ろくに話せる時間もなかったから気になっていたんだ。毎日、あっちこっち忙しく走り回っているだろう?」
その言葉に、胸の奥で不思議なこそばゆさを感じた。
「ええ。ソニアとタデオのおかげで」
「あの二人に、こき使われているんじゃないか?」
ビクトリーノは、わざとらしく顔をしかめて言う。マリアナは軽やかな声を立てた。
「そうかもしれません。天使にこき使われている気分で働いています」
マリアナの手に、そっと大きな手が重ねられた。不意の温かな感触に心臓が跳ねる。体が硬直する一方、なぜか不安は覚えなかった。
「天使だろうと、あまり無理はしないように。まだ先は長いからな」
柔らかな声音が耳をくすぐる。
マリアナは理由の分からない感情を誤魔化すように、ふわりと微笑んでうなずいた。
ビクトリーノは、そのままマリアナの手を取って自分の肘に置くと、教会の広場へと誘った。ゆっくりと散策しながら昼食を買ってきて、中庭で食べる。話も尽きることがなく、あっという間に時間が過ぎた。
商館に帰りつくと、マリアナはビクトリーノが自分を休ませるために、店舗へ誘ったのだと思い至った。ビクトリーノも忙しいのに、自分のために時間を作ってくれた。その思いやりに報いるには、どうしたらいいのだろう……。
馬車を下りると、マリアナはビクトリーノを見上げた。ビクトリーノも見つめ返す。
「今日は……」
マリアナが言うより早く、商館から飛び出してきた事務員が叫んだ。
「ドン、シグエニャ号から連絡がありました! 帰ってきます!」
ビクトリーノはパッと顔を明るくして振り向いた。
「いつだ?」
「明後日です!」
「祭りの準備を急げ!」
事務員は、すぐに商館の中へ駆け戻る。ビクトリーノは浮かれた様子でマリアナに言った。
「船が帰ってくる。二年間、海を巡っていた船だ。帰還に合わせて、フィエスタを開く。マリアナも来てくれるだろう?」
キラキラと輝いた笑顔が、マリアナには眩しく見えた。
「行ってもいいのですか?」
「もちろん。マヌエラも呼ぶから一緒に過ごすといい」
ビクトリーノはそう言うと、別れを告げて足早に商館へと入っていった。
あまり意識することのなかった、ビクトリーノ、そしてバルデム商会の海運商としての顔が垣間見えた瞬間だった。
翌日は商館全体が慌ただしくなり、落ち着いて書類を見ることも出来なくなった。
マリアナはソニアと街へと出た。けれど、船の帰還は街中に知れ渡っており、行く先々で話題にされた。無事の再会を祝う準備も、そこかしこで始まっていた。
「ソニアもフィエスタに参加するの?」
「私は騒がしいのは苦手なので遠慮します」
マリアナは少し残念に思ったが、無理強いは出来ない。早めに仕事を切り上げて宿に戻ると、明日着ていくドレスを選んだ。ドレスコードがあるのか聞かなかったが、お祝いなのだから華やかな方がいいだろう。
あれこれ選んでは鏡の前で合わせてみる。ひとりでは決め切れず、宿の女中を呼んで聞いてみたが、異国のドレスはよく分からないと逃げられてしまった。
マリアナはリーズやダシャのことを思いながら、ひとりドレスと飾りを決めた。




