12.信頼が芽吹くとき
経理を担当する雇い人が決まったと連絡をもらったのは、それからほどなくのことだった。マリアナは初めて会うのだから、と久しぶりに正装のドレスに袖を通した。
選んだのは明るい印象になるよう、珊瑚色の生地に乳白色の刺繍がされたドレス。幅広のベルトは銀糸を織り込んだ水色を合わせ、ネックレスも水を固めたように澄んだ海玉石にした。髪は高く結い上げ、首元をすっきり見せる。
このところ帝国の普段着と、ポルタベルタの服を交互に着ていたせいで、我ながら新鮮に思えた。
メイクもピンク系を置いて、若々しさと華やかさが溢れて見えた。
鏡の前に立ち、自分に向かってふわりと微笑む。
「顔を上げて、笑顔を絶やさず、ハキハキと」
後宮の教えを繰り返して気合を入れると、宿を出発した。
商館に入ると、いつもの受付が駆け寄って出迎えた。
「やあ、マリアナ。今日は普段にも増して綺麗だね」
「ありがとうございます」
マリアナは花を添えたように微笑んだ。事務室から、わらわらと他の事務員たちも出てきてマリアナに声をかける。幾度か訪れて大勢の男性にも慣れてきてはいたが、数人で取り囲むように話しかけられると、まだ身構えてしまう部分があった。
「なにをしている。セニョレータ・スリナーチは遊びに来たんじゃないぞ」
二階の階段から厳しい声が飛んだ。マリアナは内心ほっと息をついて、タデオを見上げた。
ぶつぶつと口の中で文句を言うタデオに案内されたのは、二階の応接室だった。一階よりもこじんまりとして装飾の少ない、事務的な部屋。そこでビクトリーノと一緒に待っていた人物と目が合い、マリアナは胸を躍らせた。
「初めまして。マリアナ・スリナーチです」
弾んた声音で言うと、彼女は固い表情で立ち上がって礼儀正しく挨拶してきた。
「初めまして、セニョレータ・スリナーチ。ソニア・ディアスと申します」
ソニアはマリアナより二つ下の二十歳になったばかりの女性だった。焦げ茶色の髪に、淡い栗色の瞳。化粧は薄く、そっけない印象がある。けれど、背筋の伸びた姿勢は凛々しく、頼もしく感じた。
ビクトリーノはソニアの簡単な経歴を教え、女性で経理の技術を持った人は希少で、選定に手間取ったと説明した。オラ・レガータや近隣ではみつけらず、王都から呼び寄せたたという。
「まあ、王都からわざわざ私のために? 故郷から離れても、よかったの?」
マリアナは気になって、ソニアに尋ねた。
ソニアは視線を落とし、わずかに眉根を寄せて答えた。
「働けるのなら、どこだって構いませんでした」
マリアナは、悪いことを聞いてしまったかと申し訳なく思った。なにか自分のように故郷を出たい理由があったのかもしれない。
ソニアの手を取ると、柔らかく微笑んで言った。
「来てもらって嬉しいわ。私は経理のことがまったく分からないから、これからよろしくお願いします。頑張ってお給金も出すわね」
「給金は相場がありますので、勝手に決めないように」
タデオにぴしゃりと言われ、マリアナは苦笑を浮かべた。ソニアは、マリアナを伺うように見返した。
以前、マリアナが受けたタデオの講義も、ソニアは十分に理解していた。マリアナが理解していないと気づくと、すぐに詳しく説明する。マリアナが十分に理解したと分かるまで先に進まなかったため、タデオは少しイラついたような表情を見せた。ソニアが分かっていれば構わないではないか、と言うタデオをビクトリーノが注意した。
「金回りのことだけに、意思の疎通と、理解度の把握は大切だ。遠慮しないで話したいだけ話せばいい」
マリアナは気を引き締めてうなずいた。
女性だったからと、無条件に安心しているだけではダメなのだ。ソニアを信頼し、ソニアに信用してもらう関係を築かなければならない。お金を預けるとは、そういうこと……。
マリアナはビクトリーノの言葉通り、分からないことは遠慮なくソニアに尋ね、ソニアも根気強く答えた。
ビクトリーノは途中で他の仕事へと赴き、最後まで付き合ったタデオは疲れた顔をして席を立った。
「タデオは、簡単に説明するだけのつもりだったみたい。悪いことをしてしまったかしら」
二人並んで廊下を歩きながらマリアナは言った。
「内容は適切でも、知識のない人間へ説明するには不適切な言葉遣いだと思いました。セニョール・コルテスのミスですから、セニョレータが悪く思うことはないです」
ソニアの手厳しい評価に目を丸くしたが、尊敬を覚えて言った。
「ソニアは自分の意見をハッキリ言えて立派ね。私も見習わなきゃ」
ぴたりとソニアが足を止めた。マリアナも立ち止まって、振り返る。
ソニアはじっとマリアナを見つめ、意を決したように口を開いた。
「私でよろしかったんですか?」
マリアナは意味が掴めず、小首を傾げた。
「ビクトリーノが、あなたは優秀だと言っていたわ。彼が、あなたを……」
「そうではなくて!」
声を荒げて、ソニアは恥ずかしそうに周りへ目を配った。周囲に人はいなかったが、ソニアは顔を赤らめてうつむいた。マリアナは、自分の言葉のなにが怒らせてしまったのかと、戸惑って尋ねた。
「あの、ごめんなさい……。どういう意味? 私は、あなたでよかったと思っているわ」
ソニアは引き結んでいた口を開き、苦々しげに言った。
「女でもですか?」
その言葉で、やっとソニアが、なにを気にしていたのか察した。ハレムだと、すべての物事を女官が取り仕切っていたため、ポルタベルタでは女性の仕事が少ないことを、すっかり忘れていた。
マリアナは固く握り締められていたソニアの手を、そっとほどいて握った。強張った面持ちのまま、ソニアが顔を上げる。マリアナは柔らかく微笑みかけて言った。
「あなたのように優秀で、親切な女性が来てくれて、私は心から喜んでいるの。これから一緒にお店を盛り立ててもらうんだもの、たくさんお話しして、ソニアのことを知っていきたいわ」
ソニアは顔を染め、視線を泳がせた。そして、小さな返事とうなずきを返した。
その愛らしさにマリアナは、かつての後輩女官たちのことを思い、ソニアとも仲良くしていける、と確信した。




