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10.静かな準備の時間

 翌日、女中を伴ってマリアナは宿の近くを散策した。お店をのぞいて可愛らしい雑貨を愛でたり、宝飾品の質を確認したり、屋台で揚げたてのチュロスを買ったり。女中はマリアナより幾分か年上だったが、リーズと別れてから女性と出かける機会もなく、久々に気の置けない時間を過ごした。


 最後に立ち寄ったのは古着屋だった。


「ここで買うんですか?」


 女中はマリアナの服を見ながら言った。

 今日は落ち着いたベージュに藍色の長衣を合わせていた。古着屋にあるような厚手の生地ではなく、柔らかで薄手の上質なコットン。

 マリアナは店内に入りながら答えた。


「少し……汚しても気にならない服が欲しいの」


 昨日、空き店舗へ行ってみて、帝国から持ち帰った服では、普段着でも掃除をするには向かないと分かった。次の店舗が、どんな状態かは分からないが、持っていて邪魔になることはないだろう。


 古着とはいっても、それなりに高級品を扱う通りの店。売られているのは中産階級の女性や、富裕層の家で働く使用人が着ていた服だった。街の女性たちが着ている服ほど簡素ではなく、フォーマルなドレスほど格式張ってもいない。

 何着か見繕うと試着してみた。


 レースで飾られたシャツ。幅広のウエストを持った、たっぷりのスカート。腰よりも短い丈をした上着。

 マリアナは鏡の前で体を動かしながら確認した。

 シャツとスカートだけなら十分に動きやすい。上着を華やかなものにすればお洒落にもなる。女中は、それにボディスを組み合わせるのだと教えたが、マリアナは動きやすい方がいいから、と買わずにすませた。

 女中は呆れた表情を見せたが、付き添いのお礼に一着プレゼントすると、途端に誉めそやした。


 それから数日、マリアナは服の補修をしたり、買い揃える薬種や道具を書き出したり、たまに街を散歩して、ビクトリーノから連絡が来るのを待った。



 次に連絡がきたとき、迎えに来たのはビクトリーノだった。いつもの二頭立ての漆黒の馬車ではなく、一頭立ての小振りな幌馬車。それでも車体に施された鍛鉄の飾りは繊細で、革張りの座席も柔らかくクッションが効いている贅沢な作り。


「新しい店舗の場所は道幅が狭いから、いつもの馬車だと入れないんだ」


 ビクトリーノは、そう言いながら意外そうな目でマリアナの服装を見ていた。

 ほつれていたレースをはずして、首周りに簡単な刺繍を施したシャツ。朱色のスカートのウエストには上着の薄い青に合わせたビーズの腰帯を巻き、髪には、まとめるための金細工のかんざしだけにした。

 地味すぎて失礼だったかとマリアナは心配したが、ビクトリーノは特になにも言わず、馬車に乗り込むと出発した。


 マリアナは隣に座るビクトリーノの存在を少し気まずく感じた。御者台に並んで座ったときは、高さに注意が向いて距離の近さは気にしていなかった。けれど、いまは触れ合いそうなほどの距離に緊張を覚えた。

 流れていく景色に目を向けて、あまり考えないようにした。


 新しい店舗は……確かに狭い道を抜けた先にあった。馬車一台が通るのがやっとで、通りがかった人は建物入り口の窪みへ入り込むようにしてやり過ごしていた。

 店舗が面した通りは抜けてきた道より広かったが、それでも二頭立ての馬車がすれ違えるほどの幅はなかった。


 ビクトリーノは店舗の前で馬車から下りると、そのかたわらにある大きな木戸を開いた。建物の一部を繰り抜いたような馬車通路に馬を引き入れて馬車を進める。馬車が入り切ると馬の手綱を壁の鉄輪に通し、木戸を閉じた。

 その間にマリアナは馬車から下りて、通路の奥に目を向けた。

 雑草が生い茂っている。中庭があるようだ。


「この辺りには金細工や機織り工房があるんだ」


 ビクトリーノは中庭へと歩きながら言った。マリアナも、その後に続く。


「昔、この店は染織工房の一部で、ここでも作業していた」


 中庭に出るとマリアナは息を呑んだ。

 表からは想像できなかった広い中庭だった。布を干していたのか竿が幾本も並び、屋根のついた大きな井戸がある。大きな柑橘の木のそばには石造りの水槽と、地面に半分ほど埋められた十数の壺。どちらもいまは空っぽで、枯葉や土が溜まっていた。

 どこか雑然とした雰囲気だったが、開けた空間が心地よく感じらた。


 ビクトリーノが馬に水と餌をやるのを待って、中庭から店舗へと入る。

 表に面した部分はさほど広くなく、据えられたカウンターも書き物が出来る程度の小ささだった。壁の一面には細かく区切られた棚が作りつけられており、引き出しをつけたら、そのまま薬種をしまえそうだった。


 一階は他に事務室と応接室が一体になった小部屋、小さな台所、作業場を兼ねた物置。二階は居住に使っていた部屋と広い倉庫部屋があった。


 居住部屋からバルコニーに出ると、近くまで柑橘の緑が育ち、濃い緑色の葉の間から枯れかけの花が見えた。中庭を取り囲む三面では植えられた木々が高く育ち、隣の家屋からの目隠しのようになっていた。

 マリアナは、しばしバルコニーに立って中庭を見つめていた。

 風に乗って職人の歌声が響いてきた。金属を打つ音、機織り機の音、水音。草木を煮詰めるにおいもした。

 教会が近いのか、お昼を告げる鐘の音がこだました。


「素敵な場所ですね」


 マリアナは振り返って言った。

 入り口の壁に寄り掛かっていたビクトリーノは、その言葉に笑顔を見せた。


「気に入ったのなら、よかった。機織り職人には女も多いし、金細工組合(グレミオ)の警備が目を光らせてるから治安もいい。少し奥まってはいるが、かえって秘密裏に来たい客にはいいかもしれないな」


 マリアナはビクトリーノの気遣いに胸を打たれ、先日の親切を素直に受け取らなかったことを恥ずかしく思った。理由がどうであれ、この人の行いは善意からのものだと信じられた。


「ありがとうございます。ここに決めたいと……」

「まあ、そう慌てなくていい」


 ビクトリーノは笑って遮った。


「ちょうど昼時だし、見学がてら教会前の広場まで行こう」


 店舗を抜けて通りに出ると、三人組の女性が通りかかった。ビクトリーノを目にして、いそいそと近づいてくると挨拶した。ビクトリーノと顔見知りの機織り職人だった。


「よかった。彼女を広場まで案内してくれないか。俺は少し片づけて食べられるようにしておく」


 ビクトリーノは、そう言ってマリアナを送り出した。



 女性だけになると、三人組(セニョーラス)は根掘り葉掘りビクトリーノとの関係を聞いてきた。マリアナはあけすけな問い方に驚きつつ、薬種店の開業を支援してもらっている、と答えた。


「おや。じゃあ、さっきの場所に?」

「はい。とても素敵な場所なので、あそこで決めようかと思っているんです」

「どんな物を置くつもりなんだい? 私らでも買えるようなものならいいんだけど」

「この辺りに薬屋はないからねぇ」


 セニョーラスはマリアナの返事を待たずにお喋りする。マリアナは彼女たちの話を聞きながら、店舗で並べる品は庶民でも手に取りやすい物にしようと思った。

 広場に近づくと同じ方へ向かう人も増えていく。セニョーラスは知り合いを見つけてはマリアナを紹介した。誰もかれもビクトリーノのことを知っており、口々に語った。織物職人グレミオにも金細工グレミオにもバルデム商会は顔が効くらしく、マリアナは感心して言った。


「海運商とは、そういうものなのですか?」


 その言葉に、みな驚いて代わる代わる教えた。


 数年前、バルデム商会の船は三隻の船を率いて戻ってきた。出港したときは一隻だったのに、だ。詳細が公表されることはなかったが、噂では異国で成功を収めてきただの、海賊船を強奪しただの、魔法使いと契約しただの言われている。

 船に積まれていた荷は、どれもポルタベルタでは希少な品ばかり。王都へもお呼びがかかり、一気に影響力を増した。


「けどねぇ、ドン・ビクトリーノのすごいところは、それで威張り散らさなかった、ってところさ」

「ホントに感心するよ。あたしらみたいのにも、よく声をかけて下さって」

「グレミオにいろんな仕事もくれるから、すっかり忙しくなってねぇ」


 どんな注文を受けただの、検品は厳しいから大変だの。楽しそうな会話にマリアナは居心地のよさと、少しのやるせなさを感じた。


 故郷は……バルフレードは、どうなっているだろう。両親が生きていた頃、領民は貧しくても、彼女たちのように笑いながら仕事をしていた。生活が苦しくても、助け合いながら生きていた。マリアナを気遣ってくれる人も……。


 広場につくとマリアナは、そんな思いに蓋をした。自分のことさえままならないのに、他のことに気を向けられるだけの余裕は、まだ持てなかった。


 教会は細かな彫刻と鍛鉄、美しいステンドグラスで飾られた荘厳な建物だった。

 マリアナは広場に並ぶ屋台で昼食を買う前に、教会へと入った。音すら冷えそうな清廉な空気の中、祭壇に跪いて祈りを捧げた。国に帰ってこられた感謝と、これから開く店の加護を祈る。

 顔を上げると、日差しを透かしてステンドグラスが虹のように輝いていた。


 広場に出ると勧められるがまま、白身魚のフライやハムを挟んだサンドイッチ、山羊のチーズ、焼き野菜を買った。両腕に抱えて、無事に持って帰れるかしら、と途方に暮れていると、近くに住むという老婆がワインと木のカップを入れたバスケットを手渡してくれた。


「ドンに、よろしく言っておいておくれ」


 マリアナは礼を言って、セニョーラスと共に店舗まで戻った。

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