第三話 「存在した事実」
雨上がりの空気は妙に生ぬるかった。
大学からの帰り道。
透はイヤホンも付けず、ぼんやりと歩いていた。
頭の中では、昼に見たニュース映像が何度も再生されている。
赤い傘。
交差点。
防犯カメラ。
そして。
映像の端に映った男。
あの瞬間、透は“知ってしまった”。
名前も。
住所も。
勤務先も。
全部。
「……なんなんだよ、これ」
小さく呟く。
今までの能力はまだ理解できた。
過去を見る。
真実を知る。
そういうものだと思えば納得できる。
だが今回は違う。
映像を見た瞬間、“答え”が頭へ流れ込んできた。
推理でもない。
分析でもない。
最初から知っていたみたいに。
その感覚が気持ち悪かった。
透はスマホを取り出す。
検索欄へ、無意識に男の名前を打ち込んでいた。
すぐに顔写真が出てくる。
会社員。
三十代。
妻子持ち。
SNSには、どこにでもいる普通の生活が並んでいた。
子供の写真。
休日の外食。
誕生日ケーキ。
「……普通の奴じゃん」
透は眉をひそめる。
もっと見るからにクズな人間だと思っていた。
だが。
能力が見せた“感情”は本物だった。
焦り。
恐怖。
逃避。
そして。
後悔。
透は男の家族写真を見つめる。
笑っている。
楽しそうに。
何事もなかったみたいに。
「……ふざけんな」
気づけば、そう呟いていた。
喉の奥が熱い。
胸の奥がざらつく。
あの日以来。
透だけが、時間の止まった場所に置き去りにされている。
なのに。
こいつは普通に生きている。
笑って。
飯を食って。
家族と過ごして。
何もなかったみたいに。
透は立ち止まった。
もし。
本当にこいつが犯人なら。
警察へ通報すれば終わる話だ。
本来なら。
それでいい。
でも。
それだけで終わらせたくなかった。
自分でも理由は分からない。
ただ。
あの日の真実へ、自分の手で触れたかった。
「……知らねぇよ」
透はスマホをポケットへ突っ込む。
関わるべきじゃない。
放っておけばいい。
そう思っているのに。
足取りは妙に重かった。
ーーー
帰宅後。
透はコンビニ弁当を机へ置き、PCを起動する。
モニターの光が暗い部屋を照らした。
SNS。
ニュース。
匿名掲示板。
最近の透は、それらを巡回する時間が増えていた。
まるで何かを確認するみたいに。
《#観測者》
《#未来視》
《#能力者考察》
タグはまだ伸びている。
《また事件当ててる》
《こいつ政府関係者だろ》
《いや未来改変説ある》
「だから何なんだよ……」
透は顔をしかめる。
だが、スクロールする指は止まらない。
気になる。
見てしまう。
知れば知るほど、知らなかった頃へ戻れなくなる。
その時。
ある書き込みが目に入った。
《観測者って、“知ったこと”が現実化してね?》
透の指が止まる。
《最初はただの噂だったのに、後から全部“前から存在した事実”になってる》
《記録変わってね?》
《気のせいだろ》
《でも記事増えてる時あるよな》
「……っ」
透はブラウザを閉じた。
心臓がうるさい。
気持ち悪い。
自分以外にも違和感を持ってる奴がいる。
偶然じゃないのか?
いや。
でも。
「……馬鹿馬鹿しい」
透は椅子へ深くもたれかかる。
考えすぎだ。
ネットの連中なんて、何でも陰謀論へ繋げたがる。
自分は見てるだけ。
ただ知ってるだけだ。
……本当に?
その時だった。
不意に、机の端へ置いてあった英語教材が目に入る。
透は露骨に嫌そうな顔をした。
「……クソが」
英語。
昔から嫌いだった。
耳障りな発音。
押し付けられる国際化。
世界標準。
全部気に入らない。
結局、戦争に勝った側の文化が“正解”になっただけだろ。
そんな考えが昔から頭にこびりついていた。
透は教材を開く。
だが数秒後には閉じていた。
やる気が出ない。
代わりにブラウザを開く。
検索欄。
少し迷った後。
透は文字を打ち込んだ。
『第二次世界大戦 本当の開戦理由』
「……」
自分でもくだらないと思った。
ネットの陰謀論なんて、大抵妄想だ。
でも。
もし自分の能力で“真実”が見えるなら。
歴史だって。
その瞬間。
視界が揺れた。
「っ――」
今までとは比べ物にならない熱。
頭痛。
吐き気。
脳を無理やりこじ開けられるみたいな感覚。
次の瞬間。
映像が流れ込む。
会議室。
軍服。
怒号。
外交文書。
資源。
制裁。
プロパガンダ。
炎上する都市。
泣いている子供。
誰かの演説。
誰かの嘘。
誰かの正義。
情報量が多すぎる。
「ぁ……ッ」
透は椅子から転げ落ちた。
呼吸ができない。
頭が割れそうだった。
映像は止まらない。
国。
思想。
利権。
恐怖。
憎悪。
誰もが、何かを守ろうとしていた。
誰も、自分を悪だと思っていない。
その確信だけが、何より恐ろしかった。
そして透は、不意に昼間の男を思い出す。
あの男にも。
守りたい生活があった。
家族がいた。
失いたくない日常があった。
だから逃げた。
その考えが浮かんだ瞬間。
透は無性に苛立った。
「……だから何だよ」
掠れた声が漏れる。
「だから、許されるのかよ……!」
透は頭を押さえる。
胃液が込み上げる。
数秒。
いや数分だったのかもしれない。
ようやく映像が途切れた時、透は床へ倒れ込んでいた。
「……はぁ……っ、は……」
汗でシャツが張り付いている。
呼吸が浅い。
頭痛が消えない。
「……なんだよ、今の」
今までと違う。
ただの映像じゃなかった。
あまりにも膨大だった。
まるで。
“歴史そのもの”を無理やり脳へ流し込まれたみたいに。
透は震える手で机へ掴まる。
その時。
PC画面のニュース欄へ視線が止まった。
【歴史研究家「新資料発見の可能性」】
「……は?」
透は目を見開く。
数分前まで、そんな記事はなかった。
なのに。
まるで最初から存在していたみたいに、自然に表示されている。
透はゆっくりモニターへ近づく。
記事にはこう書かれていた。
『近年、一部では従来の歴史認識を覆す可能性がある新資料の存在が噂されている』
「……っ」
嫌な汗が背中を流れる。
偶然。
そう思いたかった。
だが。
透の脳裏には、さっきの映像が焼き付いて離れない。
そして。
その“真実”が、少しずつ現実側へ滲み出している気がした。




