第六話 「NRO」
東京同時真実化事件から三日後。
政府はついに、
「認識災害」
という言葉を公式に使用した。
ーーー
ニュース速報。
『政府は本日、“認識災害対策緊急法案”を可決』
『SNS規制強化』
『能力者関連情報の統制開始』
『不要な情報拡散を控えるよう呼びかけ――』
透は大学近くのコンビニでその映像を眺めていた。
周囲の客も皆、スマホを見ている。
最近の人間は、
“現実”ではなく“情報”を見て生きている。
そんな感覚があった。
「……遅いだろ」
透は小さく呟く。
もう手遅れだ。
真実化は止まらない。
情報は現実へ侵食している。
その時。
店内照明が一瞬明滅した。
透の頭痛。
ノイズ。
最近は頻度が異常だった。
そして。
背後から声。
「真壁透さんですね」
透の身体が固まる。
振り返る。
黒いスーツの女。
二十代後半ほどに見える。
白い手袋。
感情の薄い瞳。
だが。
その視線だけは異様に鋭かった。
「……誰ですか」
「内閣認識災害対策室」
女は静かに言った。
「通称、NRO」
その略称を聞いた瞬間。
透の脳裏へ最近SNSで拡散されていた断片が蘇る。
《現実維持機関》
《政府の認識操作組織》
《存在しないはずの組織》
陰謀論。
都市伝説。
そのはずだった。
「初めまして」
「白峰零です」
ーーー
店内の空気が張り詰める。
透は警戒する。
だが。
白峰零は妙に自然だった。
敵意がない。
というより。
感情より先に“目的”で動いている人間だった。
まるで。
現実そのものが、必要な確認作業をしているみたいだった。
「……宗教勧誘なら結構です」
「違います」
「警察?」
「近いですが違います」
白峰は透をまっすぐ見る。
「現在、あなたは“第一種認識災害指定対象”として登録されています」
「……は?」
透は眉をしかめる。
「通称は」
白峰は一拍置いた。
「観測者」
透の喉が冷える。
その単語。
最近ネットで急増している。
【観測者】
現実を書き換える存在。
真実汚染源。
世界崩壊の中心。
都市伝説。
陰謀論。
そのはずだった。
「……意味分かりません」
「でしょうね」
白峰は淡々と言う。
「大半の能力者は、自分の能力本質を理解していません」
透は黙る。
その時。
店外を救急車が通り過ぎた。
最近では珍しくない。
認識災害関連の事件は毎日増えている。
白峰は続ける。
「現在、東京では“共有記憶崩壊”が始まっています」
「……」
「昨日の出来事を、人によって別の歴史として認識している」
「法律、戸籍、記録媒体」
「全てで不整合が発生中です」
白峰の声は変わらない。
だからこそ怖かった。
「このまま進行すれば」
「社会は“共通現実”を維持できなくなります」
透の心臓が重くなる。
「存在しない施設」
「改変される記録」
「矛盾する歴史」
「人格汚染」
「死者再演」
そして。
白峰は一瞬だけ目を細めた。
「その中心点に、あなたがいる可能性が高い」
ーーー
沈黙。
コンビニBGMだけが流れる。
透は小さく笑った。
「……買い被りすぎですよ」
「本当に?」
「俺はただの大学生です」
「……」
「英語嫌いの」
「……調べたんですか」
「仕事なので」
透は舌打ちしたくなる。
だが。
白峰の目は変わらない。
感情が薄い。
けれど。
完全な機械ではない。
透は直感する。
この女は、
感情を捨てたんじゃない。
感情より先に“世界”を選び続けている。
「……NROって何なんですか」
白峰は少し考えるように沈黙した。
「Narrative Regulation Organization」
「認識現実管理機構」
「目的は、“客観現実の維持”です」
「は?」
「認識災害発生後、政府が極秘設立しました」
「対処対象は」
白峰は淡々と並べる。
「情報汚染」
「集団幻覚」
「現実改変」
「認識崩壊」
「超能力暴走」
「そしてミーム汚染」
透は眉をしかめる。
「……ミーム?」
「バズです」
白峰は即答した。
「現在、SNSは災害媒体として扱われています」
透は乾いた笑いを漏らす。
「陰謀論みたいだ」
「最近は陰謀論と現実の境界が曖昧です」
白峰は真顔で言った。
笑えなかった。
ーーー
「NRO内部には複数派閥があります」
白峰は続ける。
「現実維持派」
「能力利用派」
「研究派」
「宗教化派」
透は眉をひそめる。
「宗教?」
「観測者を“新しい神”として扱う危険思想です」
透の背筋が冷える。
「……は?」
「現在、あなたはネット上で既に半ば神格化されています」
スマホ通知。
【#観測者】
【#世界改変者】
【#真壁透】
透は画面を伏せた。
見たくなかった。
「能力利用派はあなたを兵器として利用したがっています」
「研究派は進化事例として観察したい」
「宗教化派は崇拝対象化を進めている」
「現実維持派だけが、“止める必要がある”と判断している」
「……あんたは?」
「現実維持派です」
即答だった。
「なぜ」
白峰は少しだけ沈黙した。
「世界が壊れるからです」
感情のない声。
だが。
透はそこに、薄く疲労を感じた。
ーーー
「来てください」
「……どこへ」
「安全な場所です」
「行きたくないです」
「でしょうね」
白峰は当然のように頷く。
「ですが、このままだとあなたはいずれ壊れます」
「……」
「世界ごと」
その瞬間。
透の頭へノイズが走った。
視界。
断片映像。
崩壊した都市。
空の裂け目。
人々の記憶喪失。
そして。
“自分を崇拝する群衆”。
「っ……!!」
透は壁へ手をつく。
白峰は静かに見ていた。
「今、見えましたか」
「……何を」
「未来予測ではありません」
白峰は淡々と言う。
「“認識収束候補”です」
透は理解できない。
だが。
怖かった。
ーーー
「Reality Anchor」
白峰が小さく呟く。
「現在NROが開発中の現実固定システムです」
「……現実固定?」
「情報ノイズを抑制し、認識矛盾を圧縮する」
「現在、都内各所で試験運用中です」
透は思い出す。
最近、一部地域だけ異常に“静かな”場所がある。
SNSが急に伸びない区域。
情報汚染が弱い区域。
違和感。
「あれか……」
「ただし副作用があります」
「能力者へ極端な負荷を与える」
「場合によっては、“観測者”を排除する方向へ収束する」
透は顔を上げる。
「……排除?」
「あなたは現実改変中心点です」
「Anchorから見れば、“ノイズ源”です」
白峰はあまりにも静かに言った。
透は寒気を覚えた。
ーーー
その時。
店外から声。
「真壁くん!!」
小野寺だった。
息を切らしている。
だが。
白峰を見た瞬間、顔色が変わった。
「……NRO」
「小野寺梓さん」
白峰は僅かに視線を向ける。
「矛盾観測能力保持者」
小野寺は透の腕を掴んだ。
「真壁くん、行っちゃダメ」
「……」
「その人たち、“現実を固定”しようとしてる」
白峰は否定しない。
「必要です」
「今の世界は崩壊寸前なので」
小野寺は睨む。
「だからって情報統制するの?」
「制御しなければ文明が崩壊します」
白峰は静かに返す。
「現在、人類は“真実共有”能力を失いつつあります」
「NROは正義組織じゃない」
小野寺は低く言う。
「記憶改竄もする」
「SNS削除もする」
「人物抹消もする」
白峰は否定しなかった。
「必要悪です」
その言葉に、透はぞっとした。
だが。
同時に理解してしまう。
この世界はもう、
“必要悪”なしでは維持できない。
ーーー
その時。
透のスマホ通知。
【速報】
『政府、“観測者”存在を否定』
だが。
その数秒後。
記事内容が変わる。
『政府、“観測者”存在可能性を認識』
さらに更新。
『政府、“観測者”対策本部設立』
透は凍りつく。
数秒で“真実”が変化している。
白峰はスマホ画面を見ながら呟いた。
「……もう固定速度が限界を超えてる」
「……何ですかそれ」
「認識が現実へ反映される速度です」
そして。
白峰は初めて少しだけ表情を曇らせた。
「真壁透さん」
「現在、“観測者”はネット上で人格を獲得し始めています」
透の呼吸が止まる。
「真壁透という個人ではなく」
「“世界を書き換える存在”として」
「信仰対象化が始まっている」
雨音。
コンビニ照明。
スマホ通知。
白峰は静かに続けた。
「人は理解できない現象へ、“人格”を与えます」
「昔はそれを神と呼びました」
その瞬間。
SNSトレンドが更新される。
【#観測者】
【#真壁透】
【#会った】
【#見つけた】
透は息を止める。
《昨日駅で見た》
《目が合った》
《世界が歪んだ》
《あいつが原因だ》
《観測される》
雨が降り続いていた。
まるで世界そのものが、
崩壊を先延ばしにしているみたいに。




