第五話 「改変者」
少女は、そこにいた。
PCモニターの黒い反射。
透の背後。
赤い傘。
濡れた制服。
黒髪。
そして。
どこか悲しそうな目。
『透くん』
「……っ」
透は椅子を蹴るように立ち上がる。
振り返る。
誰もいない。
静かな部屋。
PCファンの音だけが響いている。
「……はぁ、っ」
呼吸が乱れる。
最近、幻覚が酷い。
いや。
本当に幻覚なのか?
もう、その区別すら曖昧になり始めていた。
ーーー
翌日。
大学は異様な空気だった。
昨日の騒ぎ。
“観測者”。
あの単語が教室で出た瞬間から、透を見る目が変わった。
直接話しかけてくる者はいない。
だが。
視線だけは感じる。
観察。
警戒。
好奇心。
まるで危険物を見るような目だった。
「……」
透は俯いたまま廊下を歩く。
その時。
「真壁くん」
「あ……」
小野寺だった。
だが。
今日は少し様子が違う。
迷うような表情。
「昨日、大丈夫だった?」
「……別に」
「ほんとに?」
透は答えない。
小野寺は少し黙り込み、
それから小さく言った。
「私ね」
「最近、変な記憶あるんだ」
透の足が止まる。
「知らないはずなのに、“知ってる気がする”の」
「……」
「赤い傘の女の子」
透の呼吸が浅くなる。
「あと」
小野寺は透を見た。
「真壁くん、昔その子と一緒にいたよね?」
「――っ」
一瞬、世界の音が消えた気がした。
「……何言ってるんですか」
声が掠れる。
小野寺は困ったように笑った。
「いや、分かんない」
「でも、“そうだった気がする”んだよね」
透は何も言えない。
違う。
そのはずだ。
だが。
周囲の認識が、少しずつ“そちら側”へ寄り始めている。
ーーー
帰宅後。
透は部屋へ閉じこもっていた。
カーテンを閉める。
スマホ通知を切る。
静かにしたかった。
だが。
静かになるほど、頭の中のノイズは大きくなる。
『観測が進行しています』
『認識を補完します』
『矛盾を修正します』
「……っ」
透は頭を押さえる。
最近、声が増えている。
誰の声か分からない。
でも。
確実に自分の内側ではなかった。
その時。
ふと視線が、机上のアルバムへ向く。
「……」
透はゆっくりページを開く。
赤い傘の少女。
“雨宮美咲”。
忘れたはずの存在。
だが。
ページをめくるたび、違和感が増していく。
「……は?」
昨日は無かったはずの写真。
遊園地。
夏祭り。
学校帰り。
Rain。
窓際席。
透と美咲が並んで写っている。
古びた写真紙。
自然な笑顔。
最初から存在していたみたいに。
「……なんだよ、これ」
透の声が震える。
しかも。
写真だけじゃない。
アルバムのポケットへ挟まっていたレシート。
【Cafe Rain】
日付は、六年前。
「……」
透の喉が乾く。
Rainは最近“思い出した”場所のはずだった。
なのに。
記録は最初からそこにある。
さらにページをめくる。
運動会。
卒業式。
そして。
クラス写真。
透の隣には、当たり前みたいに美咲が立っていた。
「……っ」
激しい頭痛が走る。
「っ――!!」
映像。
雨。
交差点。
赤信号。
クラクション。
赤い傘。
少女が透を見る。
『透くんは』
『優しいから』
「……やめろ」
『きっと』
『また、私を助けようとする』
「やめろ……!」
白いライト。
ブレーキ音。
倒れる影。
血。
絶叫。
『――だから』
少女が笑う。
泣きそうな顔で。
『忘れられなかったんだね』
「――っ!!」
透は机を叩いた。
呼吸が乱れる。
全身が震えていた。
今。
思い出しかけた。
雨宮美咲は。
小学生の頃。
事故で死んだ。
そして。
透は、その死を受け入れられなかった。
能力へ目覚めた後も、
ふと美咲を思い出すたびに、
脳が拒絶するみたいに記憶を削り続けていた。
忘れようとしていた。
思い出せば壊れると、
本能で理解していたから。
「……まさか」
透は掠れた声を漏らす。
もし。
自分が見ている“真実”そのものが、
後から世界へ定着しているのだとしたら。
もし。
美咲の存在すら、
自分が“忘れられなかった”せいで、
現実へ滲み出しているのだとしたら。
「……俺は」
喉が震える。
政治家汚職。
能力者社会。
観測者。
戦後研究。
全部。
“元から存在していた真実”じゃなく。
自分が観測した結果へ、
世界が後から整合性を合わせ続けているだけなのではないか。
「……っ」
吐き気が込み上げる。
だが。
まだ認めきれない。
そんなこと、ありえるはずがない。
もし本当なら。
自分はもう、
人間ですらない。
その時。
スマホが震えた。
【速報】
『過去に死亡確認された女性について、生存記録との不整合が確認』
透の呼吸が止まる。
記事を開く。
そこには。
見覚えのある名前。
【雨宮 美咲】
「……ぁ」
記事には続きが書かれていた。
『戸籍情報および過去の死亡記録との矛盾について、現在行政機関が確認を進めている』
『関係省庁合同の対策チーム設立も検討されている』
透はスマホを落とした。
画面が床へ転がる。
黒い画面。
その反射。
そこには。
赤い傘を持った少女が、
透のすぐ隣へ静かに立っていた。
何も言わない。
ただ。
微かに笑っている。
「――っ」
透は振り返る。
誰もいない。
だが。
窓ガラス。
PC画面。
スマホの黒い反射。
そこだけには、
少女がずっと映っていた。
そして透は、初めて本気で恐怖する。
自分は、“真実を知る者”なんかじゃない。
もし本当に、
世界が自分の観測へ収束しているのだとしたら。
自分は。
現実そのものを、
壊し始めているのかもしれない。




