第二話 「“正しい”現実」
世界は、矛盾を嫌う。
ーーー
その違和感に気づいたのは、英語の講義中だった。
『第二次世界大戦後、アメリカ主導による民主化政策は――』
教授の声が教室へ響く。
透は気怠そうに教科書を開いていた。
だが。
「……は?」
視線が止まる。
教科書の一文。
【終戦直後、日本国内では能力者研究の初期事例が確認されていた】
「……なんだこれ」
透は眉をひそめる。
そんな記述、前はなかった。
能力者発現は最近の現象のはずだ。
なのに。
文章は何の違和感もなく、“歴史の一部”として組み込まれている。
透は周囲を見る。
誰も気にしていない。
普通にページをめくっている。
「……」
嫌な汗が流れる。
透はスマホを開き、検索する。
【戦後 能力者研究】
大量に出てきた。
論文。
政府資料。
都市伝説サイト。
海外文献。
『GHQは超常現象研究を秘密裏に接収していた』
『戦後日本には“観測者計画”が存在した』
「……は?」
透の呼吸が浅くなる。
昨日まで存在しなかった情報。
それが。
今は“最初からあった歴史”として存在している。
しかも。
透の脳裏には、微かな既視感まで生まれていた。
煙草の匂い。
英語の会話。
薄暗い会議室。
以前“観測”した映像。
まるで世界が、あの断片へ後から辻褄を合わせ始めているみたいだった。
ーーー
講義後。
透は廊下を歩きながらスマホを睨んでいた。
頭が痛い。
最近、情報を見れば見るほど現実がズレていく。
その時。
「真壁くん」
「あ……」
小野寺だった。
「顔やばいよ?」
「寝不足です」
「最近皆そんな感じだね」
小野寺は苦笑する。
「観測酔い、だっけ?」
「……まぁ」
透は曖昧に返す。
小野寺は少し声を落とした。
「でも最近、本当に変じゃない?」
「……何がですか」
「記憶」
透の心臓が跳ねる。
「昨日まで無かったはずのものが、“前からあった”ことになってたり」
「……」
「逆に、覚えてたはずのことを思い出せなくなったり」
透は無意識に拳を握る。
「小野寺さんも、感じるんですか」
「うーん……」
彼女は曖昧に笑った。
「でも、多分皆ちょっとずつ気づいてると思う」
その言葉が妙に怖かった。
世界規模でズレが起きている。
なのに。
誰も深刻に認識できていない。
まるで。
“現実側”が無理やり整合性を合わせているみたいに。
その時。
小野寺がふと首を傾げた。
「そういえば真壁くん、最近またRain行ってる?」
透の空気が止まる。
「……え?」
「ほら、駅前のカフェ」
Rain。
その名前を聞いた瞬間、胸の奥がざわつく。
知っている。
昔から知っている場所だ。
なのに最近、“別の記憶”が混ざり始めている。
ラーメン屋だったような感覚。
でも本当は違う。
Rainは昔からあった。
少なくとも、透はそう記憶している。
高校時代。
いや。
もっと前から。
「……たまに行きます」
掠れた声で答える。
小野寺は少し笑った。
「真壁くん、前も誰かとよく行ってたよね」
「……誰か?」
「ほら、女の子」
透の呼吸が止まる。
脳裏が、軋む。
雨音。
窓際席。
白いマグカップ。
笑い声。
黒髪。
赤い傘。
そして。
名前。
「……あ」
思考が、一瞬だけ空白になる。
知っている。
当然みたいに知っている。
なのに。
そこへ触れようとすると、脳が拒絶する。
霧がかかったみたいに輪郭だけが崩れる。
「真壁くん?」
「……いや」
透は反射的に目を逸らした。
小野寺は不思議そうな顔をする。
だが、それ以上追及しなかった。
ーーー
夜。
透は机へノートを広げていた。
最近の異変を書き出している。
・ラーメン屋の“記憶”
・Rainの違和感
・認識科学研究会
・戦後能力者研究
・共有夢
・赤い傘の少女
「……」
透はペンを止める。
Rain。
思い返そうとするたび、胸が痛む。
本当は知っている。
本当は最初から覚えていた。
ただ。
ずっと避けていただけだ。
あの日以来。
思い出した瞬間に壊れそうになるから。
「……なんで今さら」
透は小さく呟く。
今までは、無意識に蓋ができていた。
名前を考えない。
写真を見ない。
Rainへ行っても、そこへ触れない。
そうやって、“存在ごと曖昧にしていた”。
なのに最近は違う。
世界の方から、思い出させようとしてくる。
その時。
ふと透は、ある可能性へ辿り着く。
「……もし」
もし世界が。
人間の認識で固定されているなら。
忘れられた記憶はどうなる?
答えは簡単だ。
“無かったこと”へ近づいていく。
逆に。
強く観測された記憶ほど、現実へ定着する。
つまり。
透がずっと忘れようとしていた存在は。
世界からも少しずつ薄れていたのではないか。
「……馬鹿らしい」
透は自嘲気味に笑う。
陰謀論者みたいだ。
だが。
最近はその“馬鹿らしい”が現実になる。
しかも。
透は気づき始めていた。
自分の“観測”した情報ほど、世界へ深く定着している。
事故。
夢。
戦後研究。
赤い傘。
Rain。
全部。
透の記憶を中心に、現実が補完され始めている。
その時。
Discord通知。
【クロウ:お前さ】
【透:何】
【クロウ:最近“雨宮美咲”って名前見ること増えてない?】
透の指が止まる。
心臓が、一瞬動きを忘れる。
【透:……は?】
【クロウ:いや】
【クロウ:俺、その名前どっかで見た気がするんだけど思い出せん】
【クロウ:事故の記事だったか?】
透は返信できなかった。
雨宮美咲。
その名前を見た瞬間。
脳の奥で、何かが決壊する。
「っ――!」
映像。
雨。
横断歩道。
赤い傘。
少女。
笑い声。
『透くん』
名前を呼ぶ声。
小さな手。
振り返る笑顔。
そして。
ブレーキ音。
「――っ!!」
透は反射的に立ち上がる。
椅子が倒れる。
呼吸が乱れる。
「……雨宮、美咲」
掠れた声が漏れる。
知っている。
最初から知っていた。
忘れていたんじゃない。
忘れようとしていた。
思い出したら壊れるから。
事故の日からずっと。
自分の中で、“見えない場所”へ押し込めていただけだ。
その時。
スマホが震えた。
通知。
【6年前の思い出】
透は震える指で開く。
表示されたのは、Rainの写真だった。
雨の日。
窓際席。
二つのマグカップ。
そして。
隣で笑う黒髪の少女。
赤い傘を抱えたまま、当たり前みたいにこちらを見ている。
雨宮美咲。
透の幼馴染。
2020年12月22日。
“轢き逃げ事故で死んだ少女”。
「……っ」
胸が軋む。
懐かしい。
苦しい。
会いたい。
感情が一気に押し寄せる。
その瞬間。
写真の日付表示が、一瞬だけノイズ混じりに揺れた。
【20XX/X/X】
そして。
脳裏へ、あの日の最後の言葉が蘇る。
『また来年も、一緒に来ようね』
「――っ」
透はスマホを落とした。
床へぶつかる鈍い音。
そして。
世界のどこかが、静かに軋む音がした気がした。




