第四話「偽物」
“観測者”は、増殖していた。
SNS。
動画サイト。
匿名掲示板。
どこを見ても、“本物”がいる。
《未来予知できます》
《政府機密リーク》
《能力者一覧公開》
《観測者から警告を受けた》
「……終わってる」
透は大学構内を歩きながら、小さく呟いた。
数週間前まで、“観測者”は得体の知れない都市伝説だった。
だが今は違う。
“観測者”という概念そのものが、コンテンツ化されている。
配信者。
インフルエンサー。
情報商材屋。
スピリチュアル系。
全員が、“観測者”を利用し始めていた。
『今夜、観測者から受け取った未来を公開します!』
構内ベンチでは学生たちが動画を見て笑っている。
『観測者対策セミナー』
『能力者波動カウンセリング』
『認識汚染除去』
もはや宗教だった。
しかも厄介なのは、誰も完全には否定できないことだ。
実際に、“おかしな現象”が起きているから。
―――
講義中。
教授の声は半分も頭へ入ってこなかった。
透は机の下でスマホを見つめる。
《#本物の観測者》
《#観測者認定》
トレンドには、自称“観測者”たちの動画が並んでいた。
その中で、一つの配信が異様に伸びている。
【私は“本物”です】
再生。
映ったのは、三十代くらいの男だった。
痩せた顔。
落ち窪んだ目。
妙に興奮した声。
『次に大きな事件が起きます』
『場所は関東』
『火災です』
コメント欄が流れる。
《うおおお》
《本物!?》
《怖》
透は顔をしかめた。
「……適当だろ」
火災なんて毎日起きている。
曖昧な予言。
後付け。
典型的な詐欺師だ。
だが。
人はこういうものを信じる。
不安な時代ほど。
“答えを持つ人間”へ縋りたがる。
その瞬間。
視界が揺れた。
「っ――」
映像。
炎。
煙。
マンション。
焦げた匂い。
救急車。
焼け落ちたベランダ。
さらに。
泣き叫ぶ子供の声。
煤だらけの手。
誰かが窓を叩いている。
「……ぁ」
透は息を呑む。
今までより、鮮明だった。
ただの映像じゃない。
熱さまで伝わる。
数秒。
映像は消えた。
背中を冷たい汗が流れる。
「……いや」
偶然だ。
また脳が勝手に関連づけただけ。
そう思おうとした、その時。
教授のスマホが鳴った。
続けて、学生たちの端末も一斉に震え始める。
『え?』
『火災速報?』
透の呼吸が止まった。
【速報】
『関東地方で大規模マンション火災』
「……っ」
教室がざわつく。
『当たってるじゃん』
『やば』
『本物では?』
透は机を見つめたまま動けなかった。
違う。
違うだろ。
あいつが予知したんじゃない。
自分が“観測”した。
でも。
その順番が、もう分からなくなっていた。
自分が見たから現実になったのか。
現実になる未来を見ただけなのか。
境界が、曖昧になっている。
その時。
「真壁くん」
小野寺の声だった。
透は反射的に顔を上げる。
「顔色やばいよ」
「……別に」
「その火災動画見てた?」
「まぁ」
小野寺は少しだけ眉を寄せた。
「最近、こういう“当たった”動画増えてるよね」
「再生数欲しいだけですよ」
「うん。でも」
小野寺は言葉を選ぶように視線を落とす。
「最近、“当たった後”に皆の記憶が補強されてる感じする」
透の指先が止まる。
「補強?」
「例えば、“最初から全部言ってた”みたいになるの」
「……」
「実際は曖昧だったのに、後から皆の認識が一致してく感じ」
透は何も言えなかった。
それは。
自分が今、一番恐れていることだった。
―――
夜。
透はPC画面を睨んでいた。
件の配信者は、既に登録者十万人を超えている。
【観測者の弟子】
【認識共有者】
【真実視能力者】
似たようなアカウントが大量発生していた。
「……馬鹿らしい」
透は吐き捨てる。
だが同時に、気づいてもいた。
こいつらは、ただの偽物じゃない。
“観測酔い”が進行している。
本気で、自分を特別だと思い始めている。
承認欲求。
不安。
選民思想。
そこへ“観測者”という概念が入り込み、人格ごと侵食している。
その時。
Discord通知が鳴った。
【クロウ:見た?】
【透:何を】
【クロウ:新しいカルト】
リンクが送られてくる。
透は嫌な予感を覚えながら開いた。
動画。
薄暗い部屋。
大量の蝋燭。
そして。
数十人の男女。
『観測者様は真実をお示しになる』
『観測者様は世界を書き換える』
『我々は選ばれた観測者の民である』
「……は?」
透は本気で顔を引きつらせた。
画面中央には、白いローブ姿の男。
恍惚とした表情。
『観測者は神ではない』
『真実そのものだ』
「終わってるだろ……」
透は頭を押さえる。
冗談じゃない。
自分はただ、
騙される人間を減らしたかっただけだ。
なのに。
現実はどんどん歪んでいく。
【クロウ:笑えないよな】
【クロウ:でももっとヤバい】
【透:何が】
【クロウ:そいつら】
【クロウ:“お前の夢”共有してる】
透の指が止まる。
【透:は?】
【クロウ:赤い傘の女】
【クロウ:戦後会議】
【クロウ:お前しか見てないはずの映像】
【クロウ:一致してる】
透の背筋が凍る。
ありえない。
自分の観測情報が、
ここまで広範囲へ漏れている?
【クロウ:しかもさ】
【クロウ:細部まで一致してる】
【クロウ:煙草の匂いとか】
【クロウ:机の傷とか】
【クロウ:お前、もう“発信源”になってる】
発信源。
その単語が、妙に重く胸へ沈んだ。
その時。
動画の中のローブ男が、ゆっくり顔を上げた。
まるで。
画面越しに、透を見つけたみたいに。
『観測者様』
男が笑う。
『我々は、あなたを見ています』
「――っ」
全身へ鳥肌が走った。
その瞬間。
PC画面が激しくノイズを走らせる。
映像。
大量の目。
スマホ。
監視カメラ。
ライブ配信。
人間。
無数の“視線”。
見ている。
見られている。
観測が観測を呼び、
認識が際限なく増殖していく。
そして。
頭の奥へ、誰かの声が響いた。
『観測されるほど、現実は強くなる』
「――っ!」
透は反射的にPCを閉じた。
呼吸が乱れる。
汗が止まらない。
静かな部屋。
なのに。
どこかで誰かが、自分を見ている気がする。
スマホのカメラ。
モニターの黒い反射。
窓ガラス。
ネットの向こう側。
無数の視線が、自分へ向けられている。
そして透は、初めて理解し始める。
“観測者”とは。
もう、自分一人の問題では済まない。




