第三話 「観測酔い」
最初に異変が出たのは、ネットだった。
《最近、同じ夢を見る》
《黒い画面に“観測されている”って文字が出る》
《知らない事故の記憶がある》
《赤い傘の女の子って誰?》
《行ったことない駅を知ってる》
《知らない店の匂い思い出せるんだけど》
《自分の記憶じゃない感じする》
透はベッドへ寝転びながらスマホ画面を眺める。
午前三時。
部屋は暗い。
だが。
SNSだけは異様な熱気を帯びていた。
《#観測酔い》
最近急激に伸び始めたタグ。
最初は冗談だった。
“観測者関連コンテンツを見すぎると頭がおかしくなる”。
そんなネットミーム。
だが。
ここ数日は少し様子が違った。
《本当に記憶混ざる》
《知らない景色思い出す》
《他人の人生見た気がする》
《最近夢の内容共有できるんだけど》
《事故現場知らないのに分かる》
《存在しないコンビニの記憶ある》
さらに。
まとめサイトまで半ば面白半分に記事を出し始めている。
【“観測酔い”とは? 若者の間で広がる新たなネット現象】
【能力者関連動画の見過ぎに注意?】
【“知らない記憶”を訴えるユーザー急増】
「……」
透はスクロールを止める。
胸の奥が嫌に冷たかった。
偶然。
集団ヒステリー。
SNS特有のノリ。
本来ならそう切り捨てるべきだ。
なのに。
“心当たり”がありすぎる。
ユウ。
赤い傘の少女。
事故の夢。
自分だけが見ていたはずの情報が、他人へ滲み出している。
その時。
Discord通知。
【ユウ:おい】
【ユウ:マジで変な夢見るんだけど】
透の指が止まる。
【透:どんな】
【ユウ:知らん会議室】
【ユウ:英語で喋ってる】
【ユウ:タバコ臭い】
「――っ」
透の呼吸が止まる。
それは。
以前、自分が“観測”した映像だった。
戦後外交。
情報統制。
煙草の煙。
英語。
会議室。
【ユウ:俺英語とか分からんのに】
【ユウ:なんか内容理解できる感じする】
【ユウ:あと起きた後もしばらく煙草臭かった】
【ユウ:意味分からん。マジで気持ち悪い】
透はスマホを握る手へ力を込める。
ありえない。
ありえないはずなのに。
説明がつかない。
自分が見た情報が、他人の脳へ混線している。
「……嘘だろ」
小さく呟く。
だが。
否定の言葉が、最近どんどん軽くなっていた。
スクロールを続ける。
《最近、自分の記憶信用できない》
《昨日行った店、本当は行ってない気がする》
《“最初から知ってた”感覚が怖い》
透は無意識に唇を噛む。
これはもう、ただの噂じゃない。
人間の認識そのものが、少しずつ侵食され始めている。
ーーー
翌日。
大学。
食堂の空気が妙だった。
『お前も見た?』
『いやマジで最近寝れん』
『観測酔いってやつ?』
『俺、知らん駅の夢見た』
透は無言で席へ座る。
周囲の会話が耳へ入ってくる。
以前より鮮明に。
最近は、人の感情までノイズみたいに伝わってくる時がある。
不安。
焦燥。
恐怖。
興奮。
SNS全体が巨大な神経みたいに繋がり始めている。
「真壁くん」
「あ……」
小野寺だった。
だが今日は少し顔色が悪い。
「大丈夫ですか」
「え?」
「なんか顔色悪いです」
小野寺は苦笑した。
「最近寝不足でさ」
「……」
「変な夢ばっか見るんだよね」
透の喉が詰まる。
「どんなですか」
「えー……」
小野寺は少し考え込む。
「知らない人の記憶?」
透の心臓が跳ねた。
「事故とか、ニュースとか」
「……」
「あと、すごい嫌なのが」
小野寺は少し声を落とした。
「“自分の記憶なのに、他人のもの混ざってる感じ”するの」
透は息を止める。
「この前なんて、“行ったことない喫茶店”のこと普通に思い出してた」
「……」
「コーヒーの味とか、椅子の硬さとか、細かいとこまで覚えてるのに」
小野寺は小さく眉を寄せる。
「後から、“私そこ行ったことない”って気づくの」
透の背筋へ冷たいものが走る。
「ずっと違和感あるんだよね」
「違和感?」
「うん。“本来は矛盾してるはずなのに、脳が勝手に納得しようとしてる”感じ」
それは。
今、世界そのものに起きている現象だった。
「……気のせいですよ」
反射的にそう返す。
だが。
自分自身が、一番そう思えていなかった。
小野寺は数秒、透を見つめる。
まるで。
その言葉自体の“歪み”を見抜こうとするみたいに。
「真壁くんってさ」
「……何ですか」
「最近、“他人事じゃない顔”するよね」
透の指先が止まる。
「……考えすぎです」
「かもね」
小野寺はそれ以上踏み込まなかった。
だが。
透には分かっていた。
この女はもう、“世界側の異常”へ触れ始めている。
ーーー
夜。
透はPC画面を睨んでいた。
ニュースサイト。
【観測酔い症候群か 専門家が注意喚起】
記事にはこう書かれている。
『能力者関連情報への過剰接触により、一部で認識混濁・記憶障害に似た症状が確認されている』
「……は?」
透は目を細める。
“観測酔い”。
数日前までネットスラングだった言葉が、
もう社会用語になり始めている。
しかも。
記事には当然のように症例まで載っていた。
《同じ夢を見る》
《知らない記憶》
《認識の混線》
《自他境界の曖昧化》
「……早すぎる」
社会が。
現実が。
“適応”し始めている。
その時。
視界が揺れた。
「っ――!」
大量の映像。
スマホ。
動画。
配信。
コメント。
夢。
目。
無数の“観測”。
そして。
人々が同じ言葉を呟いている。
『観測者を見た』
『夢で会った』
『真実を教えてくれる』
『観測者なら救ってくれる』
透は頭を押さえる。
痛い。
脳が焼けるみたいに熱い。
映像の中で。
何人もの人間が、自分を“観測者”だと思い込んでいた。
掲示板で暴露を始める者。
偽リークを流す者。
“世界の真実”を語る配信者。
そして。
壊れていく。
笑いながら泣く男。
“真実へ近づいた”と言って学校を辞める女。
配信中に、
『観測者に見てもらえれば救われる』
と呟く少年。
「……ぁ」
透は息を荒くする。
これが“観測酔い”。
単なるデマじゃない。
情報が脳へ侵食している。
認識が混ざっている。
その時。
Discord通知。
【クロウ:やばいぞ】
【クロウ:観測者信者みたいなの出始めてる】
【クロウ:自殺配信まで出た】
透の背筋が凍る。
【透:は?】
【クロウ:”観測者に見てもらえば救われる”とか言ってる】
【クロウ:マジで情報災害だぞこれ】
透は画面を見つめたまま固まる。
救済。
真実。
承認。
全部が歪に混ざり始めている。
そして。
その中心には、自分がいる。
「……違う」
透は小さく呟く。
「俺は、こんなの望んでない」
だが。
モニターへ流れ続けるコメントの中に、
《観測者だけは本物》
《観測者様に救われたい》
《見つけてほしい》
という言葉を見つけた瞬間。
胸の奥で、微かに熱が疼いた。
――認められている。
その感覚が、一瞬だけ心地良いと思ってしまう。
「……っ」
透は反射的に画面を閉じた。
だが。
数秒後。
無意識にまたスマホを開いていた。
通知欄。
感謝。
賞賛。
“救われました”。
透は気づく。
自分はもう、恐怖だけでSNSを見ているわけじゃない。
承認を探している。
必要とされる感覚を、確かめようとしている。
「……最悪だ」
掠れた声で呟く。
モニターの黒い反射。
そこに映る自分の目だけが、
どこか冷たく光って見えた。




