第五話 「矛盾」
クロウと別れたあとも、透の頭はずっと重かった。
『お前、“どこまで観測した”?』
あの言葉が耳から離れない。
透は夜道を歩きながら、小さく舌打ちした。
「……知らねぇよ」
誰に向けた言葉でもない。
ただ。
否定し続けないと、自分が壊れそうだった。
クロウは嫌いだ。
軽薄で、胡散臭くて、承認欲求の塊みたいな男。
なのに。
一番触れてほしくない場所だけ、正確に踏み込んでくる。
観測。
改変。
認識汚染。
そんなもの、あるわけがない。
自分はただ“知っている”だけだ。
そのはずなのに。
最近は、世界の方が勝手に辻褄を合わせ始めている。
“真実を見ているだけ”。
その前提だけが、少しずつ崩れ始めていた。
ーーー
帰宅後。
透は靴も脱がず、PCの前へ座った。
部屋は静かだった。
静かすぎた。
モニターの起動音だけが妙に大きく聞こえる。
SNSを開く。
ニュース。
匿名掲示板。
《#観測者》
《#現実改変》
《#クロウ》
タグはさらに加速していた。
クロウの配信切り抜きが拡散されている。
『“観測者は真実を定着させる”』
その一文だけで、何十万再生もされていた。
「……終わってる」
透は顔をしかめる。
人間は、刺激の強い話が好きだ。
陰謀論。
都市伝説。
終末論。
真実なんてどうでもいい。
“面白いかどうか”だけ。
だが。
その“面白がり”が、自分の能力と噛み合い始めている気がした。
クロウの能力。
共鳴。
信じられた情報を拡散・増幅する力。
もし本当にそんな能力なら。
自分と最悪の相性だった。
「……考えすぎだ」
透は検索欄を開く。
何か別のことを考えたかった。
だが。
無意識に指は、最近見たニュース記事を開いていた。
【高速道路多重事故 負傷者二十名】
昼間から報道されていた事故。
大型トラックがスリップし、玉突き事故になったらしい。
透はぼんやり記事を読む。
負傷者二十名。
死者なし。
炎上した車両の映像。
黒煙。
救急隊。
泣き叫ぶ声。
「……いや、これ絶対死んでるだろ」
何気ない呟き。
だがその瞬間だった。
「――っ」
脳の奥へ熱が走る。
視界が揺れる。
映像。
炎。
煙。
悲鳴。
運ばれる人影。
白いシート。
泣き崩れる女。
そして。
赤色灯の光の中、一瞬だけ見えた“赤”。
傘。
「……ぁ」
透は息を止める。
今までとは違った。
これは“既に起きた映像”じゃない。
まだ現実になっていない。
これから起きるはずの光景。
そんな確信だけが、異様に脳へ焼き付く。
数秒。
いや、十秒だったかもしれない。
映像はすぐ消えた。
だが。
嫌な感覚だけが残る。
「……なんだよ、今の」
透は震える手でコーヒー缶を掴む。
冷たい。
なのに汗が止まらない。
その時。
スマホが震えた。
【速報】
『本日発生した高速道路多重事故について、搬送先の病院で二名の死亡を確認』
「――は?」
透の呼吸が止まる。
記事を開く。
さっきまで“死者なし”だったはずだ。
だが。
今は自然に、
【死者二名】
へ変更されている。
しかも。
コメント欄。
《最初から重傷者多かったしな》
《やっぱ亡くなったか……》
《助からなかったか》
誰も違和感を持っていない。
「……違う」
透は画面を見つめたまま呟く。
「違うだろ……」
確かに。
自分は思った。
『絶対死んでる』
でも。
だからって。
「俺のせいじゃない」
即座に否定する。
ありえない。
偶然だ。
重傷者が後から亡くなるなんて普通にある。
ただタイミングが重なっただけ。
そのはずだ。
なのに。
胸の奥では、別の感覚が広がっていた。
――もう“知っていた”。
あの映像を見た瞬間。
自分は“結果”を理解していた。
透は乱暴にPCを閉じる。
「……クソが」
立ち上がる。
落ち着かない。
呼吸が浅い。
部屋の空気が重い。
その時。
Discordの通知音が鳴った。
【ユウ:なぁ】
【ユウ:事故ニュース見た?】
透は返信を打とうとして止まる。
嫌な予感がした。
【ユウ:俺さ】
【ユウ:ニュース更新される前に、“死者いる”って何故か分かってた】
「――っ」
透の指が止まる。
さらにメッセージが続く。
【ユウ:つーか】
【ユウ:頭の中に変な映像浮かんだ】
【ユウ:知らん女が泣いてるやつ】
【ユウ:……なんなんだこれ】
スマホが手から滑り落ちた。
床へぶつかる音。
呼吸が止まる。
違う。
違う違う違う。
それじゃまるで。
自分が観測した情報が、
他人へまで伝播しているみたいじゃないか。
「……ありえない」
透は震える声で呟く。
だが。
その否定は、もう自分でも弱くなっていた。
モニターの黒い画面へ、自分の顔が映る。
疲れた目。
青白い肌。
まるで。
自分自身が、何か得体の知れない災害へ変わり始めているみたいだった。
そして透は、初めて本気で思う。
もし。
自分が“見たこと”で世界が変わるなら。
自分はもう、
何も見てはいけないのではないか、と。
でも。
透は知っていた。
明日になればまた、自分は検索欄を開いてしまう。
真実を知りたいという衝動は、もう恐怖より深く、自分の中へ根を張り始めていた。




