第四話 「共鳴」
翌日。
大学構内は妙な熱気に包まれていた。
講義前の教室。
食堂。
廊下。
どこへ行っても、昨夜の配信の話ばかりだった。
『見た? あのクロウのやつ』
『“観測者は現在視聴中です”ってやつ怖すぎ』
『演出じゃね?』
『でもクロウも固まってたぞ』
透はイヤホンを耳へ押し込みながら廊下を歩く。
音楽は流していない。
ただ、周囲の声を遮断したかった。
最近、妙に視線を感じる。
笑い声が聞こえるだけで、自分のことを話されている気がした。
“観測者”。
その単語が、自分自身を指しているように聞こえる。
「……騒ぎすぎだろ」
小さく呟く。
だが。
自分の心臓も、昨日からずっと落ち着いていなかった。
【観測者は現在視聴中です】
あの表示。
クロウの反応を見る限り、少なくとも事前演出には見えなかった。
なら。
あれは何だった?
自分の能力?
あるいは。
本当に“別の何か”がいるのか。
「……いや」
透は頭を振る。
考えすぎだ。
最近、自分はネットに毒されすぎている。
陰謀論。
認識改変。
観測汚染。
そんなもの、本来は笑い話のはずだった。
ーーー
講義中。
透は珍しくノートを開いていた。
内容はほとんど頭へ入っていない。
ただ、スマホを見続けるとまた余計なものを“観測”してしまいそうだった。
最近、能力の暴走頻度が増えている。
ニュース。
記事。
人。
関連性を感じるだけで映像が流れ込む。
まるで脳が勝手に世界の情報を拾い始めているみたいに。
「真壁」
「あ……はい」
突然名前を呼ばれ、透は肩を跳ねさせた。
教授が呆れ顔でこちらを見ている。
「珍しく真面目だな」
「……そうですか」
周囲で小さく笑いが起きる。
透は居心地悪そうに目を逸らした。
こういう空気は苦手だった。
注目されるのは嫌いだ。
でも。
完全に無視されるのも、少しだけ嫌だった。
自分でも面倒臭い性格だと思う。
「最近、能力関連で浮ついてる奴が多い」
教授は教卓へ寄りかかった。
「だが“真実”なんてものは、案外簡単に捻じ曲がる」
透の指先が止まる。
「事実そのものより、“皆が信じた情報”の方が強い時もある」
教室が静まる。
「歴史も、報道も、人間関係もそうだ。最後に残るのは、“信じられた物語”だよ」
その言葉が妙に頭へ刺さった。
――信じられた物語。
クロウも似たことを言っていた。
観測。
拡散。
定着。
もし。
世界が“認識”で補強されているなら。
真実と嘘の境界はどこにある?
「……っ」
その瞬間。
透の脳裏へノイズが走る。
スマホ。
動画。
拡散。
大量のコメント。
無数の視線。
そして。
クロウ。
『やっと見つけた』
「……!」
透は反射的に顔を上げた。
映像。
スタジオらしき部屋。
PCモニター。
黒マスクを外した男。
笑っている。
だがその視線は、明らかに“透自身”へ向いていた。
「っ……!」
透は椅子を鳴らして立ち上がった。
周囲の視線が集まる。
「真壁?」
「あ……いや、すみません」
透は顔を伏せたまま教室を出る。
呼吸が浅い。
今のは何だ。
ただの映像じゃない。
“向こうから見返された感覚”があった。
ーーー
昼休み。
透は人気のない非常階段へ座り込んでいた。
スマホを開く。
SNS。
トレンド。
《#観測者》
《#クロウ配信》
《#現実改変》
まだ騒ぎは続いている。
その中で、一つの投稿が妙に伸びていた。
《クロウって最近、急にバズり方おかしくない?》
透はスクロールを止める。
確かにそうだった。
数週間前までは、ただの都市伝説配信者だった。
だが最近は異常だ。
切り抜き。
おすすめ表示。
関連動画。
まるでネット全体が、クロウの情報を“押し広げている”。
――共鳴。
その単語が脳裏へ浮かぶ。
「正解」
「――っ!?」
透は反射的に振り返った。
そこにいたのは。
黒いパーカー。
マスク。
キャップ。
そして。
どこか楽しそうな目。
「……誰ですか」
透は即座に警戒する。
男は笑った。
「そんな怖い顔しないでよ、真壁透くん」
透の背筋が凍る。
「……なんで俺の名前」
「有名だから」
「は?」
「少なくとも、“向こう側”じゃね」
男は階段の手すりへ寄りかかった。
軽薄そうな態度。
だが。
目だけは妙に鋭い。
「初めまして。クロウ」
透の思考が一瞬止まる。
「……は?」
「いや本名じゃないけど」
クロウは笑う。
「ネットの方が通じるでしょ?」
透は何も言えなかった。
何故ここにいる。
何故自分を知っている。
頭の中で警報みたいに嫌な感覚が鳴っている。
「……何の用ですか」
透は低く尋ねる。
クロウは数秒、透を見つめた。
そして。
「確認」
「……何を」
「お前、本当に“観測者”なんだなって」
空気が止まる。
「違います」
即答だった。
だが。
クロウは小さく笑った。
「へぇ」
「……何ですか」
「今、お前。嘘ついた時の反応した」
透の喉が詰まる。
「……は?」
「まぁ俺も似たような能力持ちだから分かるんだけど」
クロウは楽しそうに目を細めた。
「人間って、“本当じゃないこと言う瞬間”だけ空気変わるんだよな」
透は言葉を失う。
小野寺と同じだ。
いや。
もっと気味が悪い。
「最近さ」
クロウはスマホを弄りながら続ける。
「“赤い傘の女”の夢見たってDM、めちゃくちゃ増えてんだよ」
「――っ」
透の呼吸が止まる。
「知らない事故」
「雨」
「交差点」
「血」
「で、皆“前から知ってた気がする”って言う」
クロウは透を見た。
「お前、あれ観測しただろ」
「……」
否定できなかった。
ヒロインの死。
あの事故。
あの感情。
あまりにも深く観測しすぎた。
だから滲み出した。
他人の認識へ。
夢へ。
ネットへ。
「……帰ります」
透が立ち去ろうとした、その時。
階段下の窓越しに、一人の女子学生が見えた。
赤い傘。
雨なんて降っていないのに。
「……っ」
透の足が止まる。
女子学生は一瞬だけこちらを見る。
知らない顔。
なのに。
一瞬、死んだ恋人に見えた。
「お前さ」
クロウの声が静かに響く。
「最近、“他人の夢”に混ざり始めてるぞ」
「――っ」
透は振り返る。
クロウはもう笑っていなかった。
「もうお前、自分だけの能力じゃ済まなくなってる」
風が吹く。
非常階段の窓が小さく軋む。
クロウは静かに続けた。
「なぁ真壁」
「……」
「お前、“どこまで観測した”?」
透は答えられない。
何故なら。
最近、自分でも分からなくなってきていた。
事故を観測したのか。
真実を観測したのか。
それとも。
“彼女がまだ存在する世界”を、観測してしまったのか。




