第一話 「拡散」
最初は、ただの遊びだった。
都市伝説。
ネットミーム。
陰謀論。
誰も本気では信じていない。
そのはずだった。
ーーー
大学の食堂。
昼休み。
テレビでは昼のニュースが流れている。
『――現在、SNSを中心に拡散されている“観測者”騒動について、専門家は』
「またこれか」
透はトレーを机へ置きながら呟く。
周囲の学生たちも、食事の手を止めて画面を見ていた。
『“観測されると現実になる”ってやつ?』
『普通に怖いんだけど』
『でも最近マジで変なこと多くね?』
『記録変わったって言ってる奴、また増えてるし』
透は顔をしかめる。
もう完全に社会へ広がり始めていた。
“観測者”。
匿名掲示板の怪談みたいな存在だったものが、今ではニュース番組で扱われる。
しかも。
誰も完全には笑えていない。
『昨夜も“記録改変”を訴える投稿が急増しており――』
画面にはSNS投稿が並ぶ。
《昨日とニュース違う》
《観測者に見られた》
《夢に出てきた》
《現実改変始まってる》
《もう感染してるだろこれ》
「……馬鹿みたいだな」
透は小さく呟く。
だが。
胸の奥は妙に落ち着かなかった。
もし。
この騒ぎの中心が本当に自分なら。
もう、後戻りできないところまで来ている。
「真壁くん」
「あ……」
顔を上げると、小野寺が立っていた。
「隣いい?」
「別に」
透は素っ気なく返す。
小野寺は向かいへ座り、テレビを見ながら小さく息を吐いた。
「最近やばいね」
「何がですか」
「観測者騒動」
透の手が止まる。
「うちのゼミでもめっちゃ話題だよ」
「……そうなんですね」
「なんか、“能力者かどうか見抜く方法”とか流行ってるらしい」
「は?」
「目を合わせると分かるとか、“嘘つく時だけ間が空く”とか」
「完全にオカルトじゃないですか」
透は呆れたように返す。
だが。
小野寺は苦笑しながらも、透の目をじっと見ていた。
「でも実際、最近怖くない?」
「……」
「皆、疑心暗鬼になってる感じ」
透は答えなかった。
その通りだったからだ。
能力者。
観測者。
認識改変。
最近は何か起きるたび、
『能力者のせいじゃないか』
という話になる。
昨日は駅で“能力者狩り”まがいの騒ぎまで起きていた。
“怪しい奴”を動画撮影し、SNSへ晒す。
もはや魔女狩りだ。
「……くだらない」
透は低く呟く。
人間は結局、敵を作りたいだけだ。
不安を押し付ける対象が欲しい。
能力者が現れた今、それがちょうど良かっただけ。
その時だった。
「でも」
小野寺が、不意に静かな声で言った。
「真壁くん、最近ちょっと変だよね」
透の肩がわずかに止まる。
「……何がですか」
「なんて言えばいいんだろ」
小野寺は少し考え込む。
「嘘ついてる感じじゃないのに、“隠してる”感じがする」
「……」
「矛盾してるのに、妙に自然っていうか」
透は思わず目を逸らした。
小野寺の能力。
“嘘や矛盾を感覚的に見抜く力”。
本人はそこまで明言しないが、透は薄々気づいている。
だから苦手だった。
この女は、人の表面だけじゃなく、“内側のズレ”を見てくる。
「考えすぎですよ」
「かもね」
小野寺はそれ以上追及しなかった。
だが。
その視線だけが妙に引っかかった。
ーーー
帰宅後。
透はベッドへ倒れ込みながらスマホを開く。
通知が異常な数になっていた。
《#観測者》
《#能力者狩り》
《#現実改変》
どれもトレンド入りしている。
さらに。
《観測者対策グッズ販売開始》
《認識遮断アルミシート》
《能力者探知アプリ》
「……地獄かよ」
透は乾いた笑いを漏らした。
もう滅茶苦茶だった。
デマ。
便乗商法。
炎上。
恐怖。
真実なんてどこにもない。
なのに。
人々は“信じたいもの”へ飛びついていく。
その時。
透の目が、一つの投稿で止まった。
《投資サロンで騙された》
《助けて》
《誰かこの会社調べて》
胡散臭い投資グループの広告画像。
“能力者時代の新資産”。
“未来予測AI”。
“月利保証”。
「……またこれか」
透は眉をしかめる。
最近こういう詐欺が急増していた。
能力者騒動で社会が不安定になり、人々が正常な判断を失っている。
透は投稿者のアカウントを開く。
若い女。
大学生らしい。
すでに数十万円振り込んでしまったらしい。
コメント欄は地獄だった。
《自己責任》
《バカすぎ》
《だから情弱は》
「……」
透は無言でスクロールを止める。
胸の奥が少しだけ重くなる。
別に善人じゃない。
世界を救いたいわけでもない。
でも。
騙されて終わる人間を見るのは嫌だった。
「……クソ」
透は検索欄を開く。
投資会社名を入力。
その瞬間。
視界が揺れる。
「っ――」
映像。
雑居ビル。
偽名。
口座。
脅迫。
マニュアル。
詐欺グループ。
そして。
被害者リスト。
「……は」
透は息を呑む。
全部見えた。
会社実態。
代表名。
裏口座。
隠していたデータ。
吐き気がするほど鮮明に。
「……終わってんな」
透は小さく呟く。
その気になれば。
全部暴ける。
全部壊せる。
数秒、沈黙。
そして透は、匿名掲示板を開いた。
指が止まる。
「……いや」
危険だ。
目立つ。
関わるべきじゃない。
でも。
脳裏へ、昔のネトゲ仲間の顔が浮かぶ。
騙されて。
それでも最後まで信じようとしていた。
透は舌打ちする。
「……これくらいなら」
そう呟き。
匿名アカウントから、詐欺グループの内部情報を投稿した。
数分後。
通知が鳴り始める。
《え?》
《これマジ?》
《内部情報じゃん》
《通報した》
拡散。
リポスト。
まとめ。
信じられない速度だった。
透は少し青ざめる。
「……はや」
その時。
Discord通知。
【クロウ:お前さぁ】
【クロウ:それ、“観測”したろ】
透の背筋が冷える。
【透:知らないです】
【クロウ:嘘つけ】
【クロウ:今ネットめちゃくちゃざわついてる】
透は返信を止める。
その瞬間。
スマホへ速報通知が流れた。
『違法投資グループに家宅捜索』
「……は?」
透は目を見開く。
早すぎる。
まだ数十分しか経っていない。
なのに。
SNSでは既に、
《前から問題視されてた》
《ようやく摘発》
《観測者ありがとう》
という空気が形成され始めていた。
透は画面を見つめたまま固まる。
感謝。
賞賛。
承認。
今まで自分が避けていたもの。
でも。
胸の奥で、小さく熱が灯る。
――役に立った。
その感覚だけは、
どうしようもなく心地良かった。




