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もう終わりですか?

 

 柔らかな風がゆったりと流れ、青く澄んだ湖面に僅かにさざ波が走る。穏やかな光を反射する湖面は見ているだけで心の落ち着かせる。平穏、平和。そんな言葉がぴったり当て嵌まるそんな光景だった。

 だが、そんな平和な湖の畔では平穏とはかけ離れた立ち回りを演じる執事とメイドの姿あった。


「そこっ!」

「ぐっ!?ぬわああああっ!?」


 メイド少女が裂帛の気合と共に左手を翳すと極小の白い砂粒が三メートル近くの高波の様に少年へと押し寄せ、あっさりと飲み込まれた少年が無残な叫び声をあげる。


「リーヴァもう終わりですか?」


 メイド少女―――ナスターシャは両手を胸の前で組み、自らが作り出した白い砂の小山に非難する様な、責める様な言葉をぶつけた。 


「やれやれ……そんなんだからテスラ家のメイドに辛酸を舐めさせられたのですよ?」


 肩を竦めるナスターシャの声色には隠そうともしていない落胆が込められていた。

 

「……」


 小山を一瞥し、ナスターシャはリーヴァの反応を見るが、白い小山は小揺るぎもしない。

 ナスターシャはそもそも全ての精霊と相性が悪いを突っ切って気付いてもらえないリーヴァに魔力での戦闘方法、及び特殊な体術を叩き込んだ師とも呼べる存在。その実力はリーヴァよりも上である。


「まったく……ケティルお嬢様の護衛は貴方には荷が勝ちすぎていたのかもしれませんね」


 さらさらと白い小山の粒が天辺から流れ落ちる。


「それとも、家事にかまけて鈍ったんですか?今からでもお嬢様の身の回りの世話をするメイドでも連れて行きますか?」


 形の良かった小山は所々が隆起したり、陥没したりとその姿を徐々に変化させていく。


「……お嬢様を護るのは誰の役目か思い出しなさい」


 魔力を漲らせ戦う意思を示そうとするリーヴァに口角を小さく変えるだけの微笑みを浮かべ、囁くようにナスターシャは呟いた。リーヴァの耳に届けようという意思は一片足りとてない。彼のケティルを護りたいと思う気持ちは自身と同等かそれ以上だと知っているからだ。


「そんな必要は無い!!」


 怒鳴り声をあげ、リーヴァは勢い良く小山から飛び出した。両手にそれぞれ三つのナイフ、計六本のナイフを生み出し、ナスターシャに向かってタイミングを変えながら次々と投擲していく。……無論、刺さると危険なので刃は潰している。


「良い気概です。……そうでなくては鍛えがいがありませんからね」


 手間のかかる弟を見る様な笑みを浮かべ、ナスターシャは余裕でナイフを避けていく。フェイントや逃げ道を限定する様な高度な投擲術をリーヴァは駆使していたが、フェイントにはわざわざ突っ込んでナイフを弾き、逃げ道を限定されたら強引な逃げ方をするナスターシャにはまるで意味を為さなかった。


(くそ……完全にこっちの思惑を見透かしてるな。しかも笑ってるし!)


 ナスターシャの優しさが込められた笑みを余裕から来るものだと勘違いしたリーヴァはぎりりと歯を噛み鳴らしながら、地面へと着地する。

 同時にナスターシャを視界に収めたまま、リーヴァは飛び退く。その場に居るのは危険だと経験と、本能で理解していたからだ。

 それは正しい行動だった。無数の何の特徴も無いナイフが数瞬までリーヴァが居た場所に突き刺さる。


「よく避けましたね。と言いたいけれど……」

「着地をわざと狙わなかっただけだろ」


 避けられるのが前提の攻撃なぞ攻撃の内には入らない。そもそもが絶対の隙を突かなかった攻撃。それが二人の実力を端的に表していた。


「……確かに貴方の気配は読めない。それは認めましょう。でも……それだけよ」


 ナスターシャの左手がゆっくりと振るう。すると風も無く辺りに降り積もった白い粒が舞い踊る。この白い粒子がルナ・ドラゴンたるナスターシャの魔力が物質化させた物。

 ルナ・ドラゴンは他の竜人と比して魔力が高く、同時に魔力の物質化に特化しているのが特徴だ。だが、他の竜人と比べ精霊を探知する能力は低い。

 それを補っているのが、二人の周囲に揺らめく白い粒だ。自身で生み出した魔力の粒子は展開している領域内を感知する程度の事は出来る。


「――――――――――っ」


 リーヴァは自分の体に付着する粒子を掃わんと全身から魔力を放出する。同時に白い布を生み出して全身に纏う。ナスターシャの索敵から身を隠すために。

 さらに縦横無尽に周囲を走り回り、攪乱することも忘れない。


「……」


 ナスターシャはリーヴァの行動を阻むでも無く、余裕の態度を崩さない。


(……いくらナスタ姉でもこれならっ!)


 普段は気配を消そうと思わなくても皆無な気配を、今は意識的に隠す様にリーヴァは動いていた。その隠行の冴えはもはや空気にも等しい。現に余裕の態度で視線を辺りに巡らしているナスターシャの目の動きはどう見てもリーヴァを捕えられていないのは明白だった。


(後ろ、貰った!)


 絶対の勝利を確信した一撃はナスターシャの背中に振り下ろされた。


「かっ!?……な……」


 打たれた場所が熱を持ち痛みを訴える。

 がくがくと膝が震え、意思に反して両膝を折り、地面に体を預けてしまう。


「甘いですよリーヴァ?」


 奇襲されたはずのナスターシャが、奇襲したリーヴァを見下ろすというリーヴァとしては予想外の展開を見せていた。


「く、何故……?」


 顎を打たれ軽い脳震盪状態のリーヴァは今だ言う事を聞かない足を叩いて叱咤しながら、どうして奇襲を察知出来たのかとナスターシャに問うていた。

 アイラと戦った決闘場の様な限られた戦闘領域とは違い、ここは屋外、リーヴァの気配は屋内よりもさらに察知しにくいはずだった。


「何故、気配が分かったのか?って聞きたいのでしょうリーヴァ?」

「……そうだよ」


 微妙に言おうとしていた言葉を先んじられ、やや照れを覚えたリーヴァだったが、それでも後学のために自信の察知した方法を耳に入れておきたかった。


「簡単ですよ。この辺りに漂わせておいたこれのおかげです」

「いや、それで気配を探っているのは分かっているんだが……」

「いえ、貴方の気配は分かりませんよ?でも逆に言えば、これが満ちるこの辺りで、この粒が人間大に抜け落ちる場所がありました」


 ナスターシャが操る白い粒子はその周囲を索敵する事が出来る。そしてリーヴァはその索敵に引っかからない。並みの術者なら、そこで終わってしまうだろうが、ナスターシャはリーヴァの特徴を知るが故に

さらにその一歩先の情報を読むことが出来た。

 情報が無いのがおかしいと、つまりその空白の領域にリーヴァが居ると確信できたのだ。


「まぁ、ここまで戦ったのは褒めてあげましょう。でも気配が無いのを前提に戦うのは止めなさい。……私が貴方の特性を知っていたというのが有りますが、この方法は別段、特殊な方法を使ってはいないのですから、誰がやってきてもおかしくはありません。さっきのが攻撃術式だったら……貴方死んでますよ?」

「……う、うう」


 気配が薄さに関してリーヴァは間違い無くリヴァイオールのみならず周辺諸国でも断トツのトップであるのは自らも認めるところだ。だが、それに反して脆弱な人の身に過ぎないリーヴァの防御力は紙の様にペラペラだ。

 体格的には明らかに自身よりも華奢なアイラに抱きつかれても振り払えない事からも、それは明らかだった。おそらくケティルと取っ組み合いの喧嘩をしたらまず間違い無く負けてしまうだろう。

 自分の利点を逆手に取られ、そして種族は違えど女性に腕力で劣っているを理解しリーヴァはこの上無く凹んだ。


「さぁ立ちなさい。そろそろ午後のティータイムですよ」


 凹み切ったリーヴァの姿が面白いのか、はたまた可愛いとでも思っているのか柔らかな笑みをナスターシャは浮かべ、リーヴァへと細くたおやかな右手を伸ばした。


「了解」


 自分よりもやや高い体温と柔らかい右手の掌の感触に思わずドキリとリーヴァは心音を高鳴らせてしまう。


「貴方の紅茶を飲むのは久しぶりですね」

「お茶請けは頼んだよナスタ姉」

「ナスタ姉はやめなさい……人前では」


 パシリとリーヴァの頭をナスターシャは叩く、口調はともかく、その雰囲気はとても柔らかく、見る者が見れば、二人は姉と弟に見えただろう。


「……ぐうううう」


 ナスターシャの突っ込みで地面にめり込んでいるリーヴァの姿が無ければ。








 リーヴァとケティルが寄宿している学校の寮の部屋の優に三倍の広さを誇るオーシャン家の一室――――ケティルの部屋でくすくすとした笑いが漏れていた。


「それは力を入れ過ぎだよナスタ姉?」

「い、いえ……そんな事は、リーヴァが軟弱なだけです」


 包帯を額に巻いたリーヴァと、それの原因を作ったナスターシャを交互に見つめてケティルはけらけらと笑っていた。

 現在三人はケティルの部屋に集まり、三人でテーブルを囲んでティータイムとしゃれ込んでいた。紅茶はリーヴァが、そしてお茶請けのクッキー、スコーン、その他諸々はナスターシャのお手製だ。


「流石、ナスタ姉。美味しいよ」

「リーヴァの紅茶もね。淹れる回数は少なくなったはずなのに腕は落ちていないようね」


 先の訓練の様子は二人にとって、ケティルにからかわれる材料になりかねない。咄嗟にアイコンタクトで話題を逸らそうと示し合せ、流れる様にリーヴァとナスターシャは話題を逸らす。無駄にコンビネーションが洗練されたそれにケティルは思わず、笑みを深めてしまう。


「……ふふふ」

「お嬢様?どうされました?」

「いや、二人は仲良しだなと思ってね」


 ケティルの言葉に対する二人の反応は劇的なものだった。


「い、いや、そんな事は無いっ。俺の方が菓子作りは上手い!」

「な、なんですって!?それだったら私だってこんな紅茶よりもよっぽど美味しい紅茶が淹れられますよ」

「なにっ!?ナスタ姉、戦闘はともかく紅茶に関してだけは俺は誰にも負けないぞ!」


 それまで互いに褒め合っていたのにも関わらず、仲良しという言葉に二人とも照れあい、心にも思っていない言葉を口にして、互いが互いを罵り合う。喧嘩する程仲が良い。そんな典型例だった。






「落ち着いた?」

「う、ああ」

「も、申し訳ありません」


 それから暫く続いた罵り合いの最中、キリが良い所でケティルが割り込んだ言葉で二人はようやく正気に戻った。


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