ここがどこかお忘れですか?
大きな水蓮に守られながら、二人の戦いをリーヴァは眺めていた。全身は未だに痛みを訴えており、立ち上がる事も出来ないが、幸いにも他の三人よりも高い位置にある蓮に寝かされており、二人の戦いを見るのに苦は無い。
リーヴァの存在を知覚できるケティルだからこそ出来る芸当だった。これが他の術者が唱えていたら、今頃、リーヴァは水没していただろう。
(これを発動したのがお嬢で良かった……。じゃないっ!やり過ぎだお嬢……。ああ、もうっ!)
溺れずに済んだ幸運に感謝したところで、リーヴァは気付くケティルが忠告を完全に無視してくれたことに。しかも、力の使いっぷりと言ったらリーヴァの予想を遥かに越えていた。
(……こう客観的に見てると、ホントにお母様に似ているな。いや、そうじゃなくて!)
水蓮が咲き乱れ、出し惜しみ無く力を振るうケティルにリーヴァは現実から目を逸らし、屋敷に居るケティルの母を思い出していた。ケティルの母もお淑やかな微笑みを浮かべながら数トンの水を苦も無く操り、領地に侵入してきた魔人種を悉く叩き潰す凄腕の術者だったと。
だが、そんな現実逃避も視界を塗りつぶす程の轟雷によって強制的に目を覚まされる。
「うおおお!?……俺が喰らったら死んでるかもな」
先の戦いでまさに、それと同等の雷撃魔法を喰らいそうになったのを思い出し、リーヴァは青褪め、いろんな意味で天国に近かった。などと考えていた。
雷撃がぶつかり強引に蒸発させられた水が蒸気となって辺りに満ちる。蒸気は互いの視界を奪うが、ことこの二人に関しては問題は無い。精霊知覚がそれを補うからだ。多くの物に宿る電気と、辺りに満ち満ちた水気が視界以上に情報を与えてくれる。
「やるわね。……まだ貴女を侮っていたのかも知れないわね」
角無し、子爵家であろうとも、戦うからには遠慮無しの全開と決めていたアストリアだったが、まだ心の何処かで侮っていたのかもと、思い直した。だが、アストリアが多少とは言えケティルを侮るのも無理はない。角の有る無しはそれだけで大きな実力差を示すものだ。なによりアストリアの実力は雷の上級精霊をも召喚出来る域にある。それだけの力が有るのだから、角無しで子爵位の下級生に勝てないと思う方が間違っている。
だが、実際はどうだ?通説なら弱いであろう角無しの竜人が、戦いの場それ自体を自身の得意とする領域に変化させたばかりか、水の上級精霊まで召喚して見せたのだ。
「……勝てるかしら?……ふ、違うわね」
精霊知覚のみで迫り来る水の鞭達をあるいは避け、あるいは弾き飛ばしながら小さくアストリアは呟き、目を瞑る。それは何も役に立たないから視覚を閉じたわけではない。
「勝つ、のよね!」
言葉と共に瞳を大きく開き、それまでの僅かなりでもあった驕りと侮りをアストリアは捨て去った。目を閉じ、開いたのは所謂切り替えのスイッチだ。
「……行きなさい」
アストリアの言葉に雷鳥は一つ頷くと、それまでよりも更に飛行スピードを上げ、ケティル目掛けて突っ込んだ。雷鳥を既に二体召喚し、一体は憑依召喚した自分と、戦場を自分が有利な場所に変え、一体の水姫を召喚したケティルとの戦い。総合的には戦力は拮抗していると言えたが、戦場それ自体が敵に等しい現状では、遠距離、中距離は不利だと判断したのだ。
「やっぱりそう来たわね。……でも」
突撃してくる雷鳥にケティルは慌てもせず、闘技場内の水を操り、大きな水の壁を自身の目の前に作り出す。その大きさはリーヴァの作った楯の優に五倍以上、本当だったらそこそこの詠唱をしなければならない規模の魔法だが、蓮源郷を発動させている今なら無詠唱で発動できる。
突如、目の前に現れた水の壁を前に、圧倒的な速度で飛んでいるのが仇となり、雷鳥は回避することが出来ない。
「甘いわよ!」
このままではぶつかるのは避けられない。だが、雷鳥は最初から避ける気なぞ、さらさら無かった。ばくりと嘴を開き、その口腔から雷撃のブレスを吐く。奔る紫電は水の壁を食い破らんとその牙を剥く。
そして、雷鳥は更に体自身を水の壁にぶつけ、紫電により薄くなった壁を見事に打ち破る。
「っ!!?」
爆発するがごとく水の壁が吹き飛び、雷鳥はその壁が守っていた者、ケティルへと襲い掛かった。雷鳥が水の壁を突破する。そんな事を失念するケティルでは無かったが、それ以上に雷鳥の攻撃は強力で、まさかこんな短時間で突破されるのは予想外だったのだ。
「―――――――――――!」
召喚主を護らんと音無き声をあげ、水姫がケティルの目の前に飛び出した。肩や三メートルを優に超える大鳥と水の体を持つ少女。普通に考えれば、巨大な鳥に少女が勝てるわけがないと思うだろうが、この二体は互いに上級精霊同士、属性は違えど強大な力を持つ存在。見た目だけで力を量れる存在では無い。
現に水姫は雷鳥の嘴をその華奢な両手で掴み、その進撃を阻止していた。水の瞳と、雷の瞳がぶつかり合い互いを打ち破らんと内に秘めた魔力を溢れさせていた。
「御雷の槍」
拮抗する両者の戦いのバランスを崩したのは雷鳥の召喚主、アストリアだった。雷鳥を背後から追い抜くといつの間にか握っていた空を奔る雷の様な形をした槍を雷鳥を抑えつけ、身動きが取れない水姫に振り下ろした。
術者の魔力で作られた仮初の肉体なれど、攻撃をまともに受ける利点は無い、水姫を雷鳥を押さえながらもなんとか、槍を避けようとする。
「―――――――!」
「―――――――ッ」
押さえつけていた相手が、まだ下級の精霊なら良かったのだが、水姫が抑えていた相手は自身と同じ上級精霊。僅かに緩んだ拘束の隙を逃さずに、雷鳥は全身から雷撃を放つ、一般的に物理攻撃に強い水の精霊種だが、体を構成する水を蒸発させる類の攻撃は、質量を減らされるため苦手とする攻撃だった。
水姫は体から水蒸気を幾つも立ち上らせた。だが、彼女が召喚された場所は、蓮源郷が展開されている領域、そう水精霊の聖域と変わらぬ場所。体を再構成する水には事欠かない。
「させないわ、よ!」
周囲の水を集め体を再構成しようとした水姫の胸元にアストリアの手によって雷の槍が刺し込まれ、内部から強力な高電圧が放たれた。
「――――――――っ!!!」
雷によって、水姫の仮初の肉体を結実させているケティルの魔力で作れた核が破壊され、アストリアを睨みつけながら水姫はその体を意思無き水へと戻してしまう。
「さぁ、終わりよ。ミス・オーシャン」
雷の槍をケティルの喉元に突き付け、アストリアはほぼ勝利を確信する。
二体一、いやアストリアが自身の体に宿した精霊を入れれば、三対一と言っても良い状況。喉元には一撃必倒の槍、そしてそれを構えるアストリアの背後には上級精霊の雷鳥が控えている。絶体絶命と言って差支えない状況であった。
「いえ、まだですよ。ここがどこかお忘れですか?ミス・テスラ」
言い終わるか、言い終わらないかのタイミングで雷鳥とアストリアは巨大な蓮の蕾に囚われ、当のケティルは水に抱かれ、遥か上空へとその身を逃す。
アストリアは有利な状況になったことで、すっかり忘れていたが、既にこの闘技場内はケティルに有利なフィールドへと変化している。ここはケティルにとって中級の魔法でさえほぼ無詠唱で唱える事が出来る空間なのだ。いわば、ケティルの掌も同然の場所。
「しまったっ!?弾けなさい!」
不味いと感じた瞬間、雷の槍をアストリアは振るい水の檻に叩き付けるが、斬り付けるだけの武器では線状の傷を付けるのが精々で、しかもその傷すらも瞬く間に修復されてしまう。
そして、アストリアの足元には不味いと感じた予感が見事に的中し、水が迫っていた。
「くっ!雷鳥、お願い!」
アストリアの声に従い、雷鳥も雷撃を放ったり、爪や果てはその体自体を檻の壁にぶつけるも、檻から出る事は叶わなかった。決して強固と言えないが、その修復力が厄介極まるものだった。雷の魔法の多くは速度と対生物に優れるが、その代わり余程強力な雷撃魔法で無い限りは面攻撃には適さない。この状況はアストリアにとっては不利だった。
「う……に、逃がさないわ……よ」
有利に見えるケティルだったが、その実ケティルに余裕は一切無かった。ただ単に大量の水を召喚するのと違い、ケティルが使ったのは水精霊達の聖域の一部を呼び出す魔法。最初の起動もそうだが、魔法を維持するのにも大量の魔力を使ってしまう。
現在ケティルは雷鳥とアストリアを捕えている水蓮の形をした水の檻に残った魔力を費やしていた。
「地に宿りし雷の御子よ。天に頂く汝らが同胞を導け」
ケティルがなけなしの魔力を込めてアストリアを水没させようとする中、既に膝まで水に浸かりながら、朗々とアストリアは呪文を詠唱していた。
ケティルが知る由も無かったが、実はアストリアも雷鳥を二体も召喚した事で相応の魔力を消費していた。牽制もせずに真正面から近接戦闘を仕掛けたのは、戦闘時間が長引くことで失われる魔力の消費を忌避した為だった。
徐々に水へと没していく恐怖を一切感じさせずに詠唱を続けるのは、かなりの胆力がある事の証明に他ならなかったが、逆を言えば、詠唱魔法を完成させなければ確実に水に没してしまう事を恐れているとも言えた。
((ここが勝負の決め所))
互いの心は読めずとも、奇しくも思う事は同じだった。
「それは空の怒り、それは天の裁き、大気を裂きて顕現せよ」
「深い水の底へと誘え」
アストリアの詠唱が佳境を迎え、ケティルが蓮源郷、自身が支配する水の世界そのものに命を下す。
「轟雷・天柱塵」
「飲み込みなさい!」
顔まで浸かる寸前、アストリアの魔法が完成し、術者たる彼女目掛けて巨大な雷が降り注いだ。それはまさに天を支える巨大な柱の様な雷。雷はアストリアを捕える水の檻を一瞬で吹き飛ばし、そればかりか幾筋に分かれ、闘技場内を駆け巡る。
「お嬢……お嬢!!!な、まさか!?」
普段のリーヴァからの想像できない程の大声が大声が放たれた。そして、その大声が切っ掛けになったかのようにして、リーヴァ達を包み込んでいた水蓮を形作った防御壁が崩れ、ただの水へと戻っていく。
「おじょ……ぐうぅ!お嬢!!?」
水面に派手に着水し、溺れそうになるもリーヴァは何とか立ち上がろうとする。だが、ダメージを負っている彼の体はロクに動いてくれない。
「お嬢っ!大丈夫か!返事をしろ!」
動かない、言う事を聞かない体。そんな体にリーヴァが出来る数少ない技術の一つ、身体強化を施しリーヴァは強引に立ち上がった。がくがくと笑う膝に拳の一つを叩き込み、主を呼ぶ。それは主を心配するという声と言うよりは、居場所を失いかけた童のそれに近かった。
「……そこまで、大きな声、出さなくても良いわよリーヴァ?……ふぅ効いたわね」
自身が加護を受ける水の流れの様な涼やかな声音がもうもうと立ち込める蒸気の中から零れ落ちる。そして辺りに漂う蒸気が一か所へと集まっていく。
やがて、それは闘技場の中心に集まり、汚れなき青い水の珠が、出来上がった。
蒸気が晴れると、そこには右腕と右足をボロボロにしながらも二本の足で立つケティルと、片や一切の怪我が無いものの、いつの間にか地に片膝を着くアストリアの姿があった。
「まさか、今の攻撃で倒しきれないなんてね。ま、こっちも雷鳥の、維持が出来ないんだけどね。……ありがと」
自分を守り、また共に戦場を駆けた雷鳥をアストリアは慈しむように労うと、雷鳥は小さく囀り、溶ける様に消えていった。そして、彼女に背に宿った雷の翼も同じく消える。そして、それまで意図せずとも放っていた強大な気配も鳴りを潜めた。
「……ふふふ」
「……ははは」
互いに憔悴しきりながらも、アストリアは上品に、ケティルは明るく笑い合う。
しばらく、そうして笑い合う二人だったが、その笑いは二人同時に中断された。
「負け、こちらの負けです」
「降参ね。悔しいけど」
ほぼ同じ意味の言葉が異なる口から放たれた。
「「ん?」」
激しい戦いをした同士とは思えない程に、可愛らしく二人はきょとんとした顔で見つめ合っていた。




